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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ウィーン世紀末文学選

2024-07-19 19:00:09 | 読んだ本
池内紀編訳 1989年 岩波文庫
これはことし5月に買い求めた古本の文庫、ごく最近読んだ。
世紀末ったって、もちろん20世紀の末ぢゃないですよ、1890年代からナチス・ドイツによるオーストリア併合くらいまでの時代のもの。
読んでみようとおもったのは、丸谷才一さんの『人魚はア・カペラで歌ふ』のなかでホメられてたからで。
そこでとりあげられてたシュニッツラーの「レデゴンダの日記」は1909年の作品で、レデゴンダは女性の名前。
夜の市立公園で作家に話しかけてきたドクトル・ヴェーヴァルトの語る話、連隊大尉の夫人レデゴンダにひとめぼれしたけど、近づきになる機会がない。
勇気を出して話しかけていたらどうなってたろうと、つぎつぎと空想を楽しんで、それで満足してたんだけど、いよいよ連隊が街を離れる日が近づく。
そんなとき夫である騎兵大尉がやってくるんだが、レデゴンダの日記を持ってきたんだという。
うーん、丸谷さんがいう「ただ吐息をつくしかない」ってほどの感想はもてなかったけど、こういうのがロマンなんだって言いたい時代のものってのはなんとなくわかる。
それよか、
>役所には、いろいろな仕事があった。
>たとえばである、シャイブスの町は執拗に、週のうちにもう一日、木曜日を認可してほしいと請願してきているのである。シャイブスの市民たちが、またもや欲ばったことを願い出たのに当局はあきれはてた。つい先だっても町名にもう一つのbを――つまり、これまでの Scheibs を Scheibbs と表記する特権を――認可したばかりではなかったか。(p.129)
という始まりからして不思議さにひきこまれる「シャイブスの町の第二木曜日」なんかのほうがおもしろいと感じた。
あと、並外れてトランプ好きで山のように借金があるルドルフ・フォン・シュティルツ伯爵の物語「すみれの君」もいいなあって思う、貴族の時代のおわりって感じがして、時は1914年だけどまさに世紀末が描かれてるって雰囲気がなんとも。
でも一読したなかでいちばん気に入ったのは、オーストリア鉄道の駅長の物語「フォルメライヤー駅長」ということになるかもしれない。
ウィーンから南に二時間たらずのL駅の駅長フォルメライヤーは妻と双子の娘と暮らしていたが、1914年のある日、列車事故で運びこまれてきた女性に心を奪われる。
ウィーンからメラーノへの旅行の途中だったロシア人のヴァレヴスカ伯爵夫人は、彼の寝室を使って安静にしていたが七日目には旅立った、去ったあとも駅長は彼女を忘れられない。
やがて戦争が始まって国家総動員令が発せられると、フォルメライヤー駅長は軍務について戦場へ出て戦った。そして戦いのあいまにロシア語の勉強を始めた。すべてはロシア領土へ入って伯爵夫人に再会するためだった。
こういう物語のほうが、夢かうつつかわかんないモノローグ聞かされるとかより、好きだな、私ゃ。
(※2024年7月21日付記 「フォルメライヤー駅長」は、前に読んだロートの短篇集『聖なる酔っぱらいの伝説他四篇』のなかに入ってました、すっかり忘れてました。
収録作は以下のとおり。どの作品にも1ページ大の絵が入ってて、それがクリムトとかその時代のものらしいのがいいですね。
「レデゴンダの日記」シュニッツラー
「ジャネット」バール
「小品六つ」アルテンベルク
「バッソンピエール公綺譚」ホフマンスタール
「地獄のジュール・ヴェルヌ/天国のジュール・ヴェルヌ」ヘヴェジー
「シャイブスの町の第二木曜日」ヘルツマノフスキー=オルランド
「ダンディ、ならびにその同義語に関するアンドレアス・フォン・バルテッサーの意見」シャオカル
「オーストリア気質」フリーデル
「文学動物大百科(抄)」ブライ
「余はいかにして司会者となりしか」クー
「楽天家と不平家の対話」クラウス
「すみれの君」ポルガー
「落第生」ツヴァイク
「ある夢の記憶」ベーア=ホフマン
「フォルメライヤー駅長」ロート
「カカーニエン」ムージル

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