百目鬼恭三郎 昭和五十九年 講談社
これは、今年6月ころだったか買い求めた古本、最近やっと読んだ、読み始めるとなんか勢いついてどんどん進めちゃう感じはした。
著者は昭和59(1984)年3月に、31年つとめた朝日新聞社をやめて、その直後に出した本ということになる。
ずっと新聞はおかしい、自分の考えとへだたりがあると思ってたらしいけど、なんでもっと早く辞めないのかな。
新聞を疑えってのは、新聞に書いてあることが真実とはかぎらないとか、そういうことですね、たいしたことでもないのを騒ぐとか、なんかバイアスがあるとか。
>(略)新聞が真実を報道しない理由については、この本の各章で縷々述べているつもりだが、一口でいうと、それが新聞の伝統的な性格だからである。つまり、新聞は、イデオロギーあるいはセンセーショナリズムによって作られているのであり、真実を追求しているようにみせかけているのは、読者をだます手段だと思えばまちがいなかろう。(p.13)
って、ことだそうです、真実はなにかなんてことより、読んだひとにウケりゃいいってことらしい。
著者は学芸部に長くいたんだが、新聞は、文化勲章とかそういう権威ありそうな賞の受賞者決定すると、この人すごい、この人の仕事すごいって持ち上げるけど、
>私にいわせると、こういう時にこそ文化ジャーナリズムの真価が問われるのであって、受賞者が本当にそれに価する業績をあげている人物かどうかを検証するのが、ジャーナリズムに課せられた使命であるはずだ。(p.29)
という意見をもってます、もちろんその価値判断するのはやさしいことではないんだろうけど。
でも、たとえ可能でも、そういう新聞社のなかの人の識見は紙面には反映されることはないといい、
>(略)本来新聞には事物の価値判断など必要ない、という抜きがたい通念にぶつかるのである。この研究は学問的に価値があるのか、この絵は美術的にすぐれているのか、といったその事物が本来問われるべき価値を、新聞は避ける。いま流行の現象学の用語を借りるなら、「判断停止」ということになろう。そして、新聞が専ら問うのは、ニュース価値という得体のしれぬ代物なのである。
>(略)おおよその見当でいうほかはないのだが、ニュース価値とは、広く世間の話題になるかどうかということであるらしい。平たくいうと、みんながおどろくか、みんなの共感を呼ぶような事物が、ニュース価値があるということになる。(p.31-32)
ってことで、本来の価値なんか検証せんと、ウケることを目指すと。
うーん、そういう方向走ってくと、たとえば学者の研究内容そのものなんか置いといて、そのひとの趣味とか意外な一面とか、そーゆーのばっかフォーカスあてるんだろうねえ。
ものごとの本質とか真実とかには全然興味なくて、世論を煽りたてるような報道ばっかしている新聞記者はあぶないよ、ってことは、
>戦争中、新聞は、軍部に強制されて嫌々戦争に協力する紙面を作ったように、新聞研究史などには書かれているが、あれは全部ホントというわけではない、自分から進んで戦争に協力した新聞記者も少なくなかったはずである。そういう彼らに共通していたのは、理性の働きによって物事を判断しようとせず、ただ世間の感情によりかかっていたこと。先入観にとらわれて、事物を直視しようとしなかったことなどであろう。要するに、一切の既存の価値判断、先入観をぬきにして、事物の本質を見極めようという、ジャーナリズム本来のありかたに背いていたということである。(p.65-66)
みたいな言い様もされている。ウケねらうだけぢゃなく、世論誘導しちゃおうみたいになると、もっと危ないってか。
新聞が自らを権威づけるような傾向に走るのもよろしくないという、たまに読者が電話で何か訊いてくるんだが、わからんと答えると怒り出すひとさえいるとして、
>読者にしてみれば、それだけ朝日新聞の権威を買いかぶっているわけで、つい国立国会図書館とか国立科学博物館などとおなじような社会教育機関と錯覚してしまっているのであろう。新聞はそのように権威ある存在にみせかけることに成功しているけれど、私は、その姿勢はまちがっていると思う。なぜなら、新聞は、何度も繰り返すようだが、立ち向う対象の虚像の部分をひきはがして、真実の姿を読者に示すことを使命としているはずである。その新聞が、自ら虚像を読者に示すことに汲々としていは、結局その報道姿勢まで疑われる事態を招くことになりかねないからだ。(p.95-96)
と危惧している。
最後の章で、新聞の文章の書き方について、この著者得意の講演の形をして書いているけど、これはちょっとおもしろい。
>ご承知のように、新聞記事は、ようやく版を組み終えたと思った途端に、新しく大きなニュースが飛びこんできて、それをのせるために、組んである記事を落としたり、削ったりする場合が甚だ多い。従って、記事は、どこを削ってもいいような文章が好ましいとされています。(略)
>ですから、筆者は、どこを削られても文意がとれる文章を書かなければならないことになる。文章読本の類に名文のお手本としてあげられている文章のように、各部分が互いに有機的につながりをもっていて、どこも削れないような記事は、新聞では歓迎されません。(p.239)
ってことを新聞記者だったひとから教えてもらうと、よくわかる、無味乾燥というか砂をかむようなというか、新聞がそういう文章でも文句は言えないね、そりゃ。
最後の最後に付録として、昭和51(1976)年に田中角栄前首相が逮捕されたときに、裁判もまだなのに逮捕で悪者退治は終わったみたいに騒ぐのはいかがか、みたいなこと書いたら、読者から悪いやつの味方をするのかみたいな抗議がたくさんきたって話があんだけど、
>戦争を知らない若い人たちのために断っておくと、正当な意見を非国民呼ばわりして抹殺しようとしたのは、軍部やその手先ばかりではない。世論までそうだったのである。ちかごろ、戦争の悲惨さを若い人たちに伝えようという運動が盛んなようだが、ついでに世論がいかに戦争に迎合しそのお先走りをしたかも、よく伝えておいてもらいたい。(略)
>とにかく、この種の世論は、自分たちの考えに逆らうような意見が、この世に存在するのは許せない、という感情から出発しているので、はなはだ始末が悪い。反対意見の存在を認め、それと自分たちの意見との調整をはかってゆく、というのが民主主義のやりかただ、などとこの人たちに説明してもムダだろう。この点で、日本はいまなお、戦争中と変わっていないようにみえる。(p.271-272)
って感想が述べられてんだけど、それから50年ちかく経ったわけだが、いまの日本も変わってねえなあと、私は思ってしまった。
コンテンツは以下のとおり。なかで「たった一人の世論」は「現代」に昭和57年から2年間連載したものらしいけど、どれもおもしろい。
新聞を疑え――序にかえて
飛ぶ鳥の記(上) 内から見てきた朝日新聞
飛ぶ鳥の記(下) 内から見てきた朝日新聞
「風」とともに去った朝日新聞
たった一人の世論
人三化け七
新版罪と罰
被害妄想史
就職難
文化勲章
大義名分
共通一次試験
人間になった警官
戦死地図
子どもの地位
死の値段
無党派市民
黒い手の英雄
都市生活者の資格
狂った季節
革命志向
文学賞の物差し
分身
下手も芸のうち
能力別学級
お年玉
オリンピック
音声言語
挑戦
悪の代理人
殺人嗜好者
新聞の文章
付録
これは、今年6月ころだったか買い求めた古本、最近やっと読んだ、読み始めるとなんか勢いついてどんどん進めちゃう感じはした。
著者は昭和59(1984)年3月に、31年つとめた朝日新聞社をやめて、その直後に出した本ということになる。
ずっと新聞はおかしい、自分の考えとへだたりがあると思ってたらしいけど、なんでもっと早く辞めないのかな。
新聞を疑えってのは、新聞に書いてあることが真実とはかぎらないとか、そういうことですね、たいしたことでもないのを騒ぐとか、なんかバイアスがあるとか。
>(略)新聞が真実を報道しない理由については、この本の各章で縷々述べているつもりだが、一口でいうと、それが新聞の伝統的な性格だからである。つまり、新聞は、イデオロギーあるいはセンセーショナリズムによって作られているのであり、真実を追求しているようにみせかけているのは、読者をだます手段だと思えばまちがいなかろう。(p.13)
って、ことだそうです、真実はなにかなんてことより、読んだひとにウケりゃいいってことらしい。
著者は学芸部に長くいたんだが、新聞は、文化勲章とかそういう権威ありそうな賞の受賞者決定すると、この人すごい、この人の仕事すごいって持ち上げるけど、
>私にいわせると、こういう時にこそ文化ジャーナリズムの真価が問われるのであって、受賞者が本当にそれに価する業績をあげている人物かどうかを検証するのが、ジャーナリズムに課せられた使命であるはずだ。(p.29)
という意見をもってます、もちろんその価値判断するのはやさしいことではないんだろうけど。
でも、たとえ可能でも、そういう新聞社のなかの人の識見は紙面には反映されることはないといい、
>(略)本来新聞には事物の価値判断など必要ない、という抜きがたい通念にぶつかるのである。この研究は学問的に価値があるのか、この絵は美術的にすぐれているのか、といったその事物が本来問われるべき価値を、新聞は避ける。いま流行の現象学の用語を借りるなら、「判断停止」ということになろう。そして、新聞が専ら問うのは、ニュース価値という得体のしれぬ代物なのである。
>(略)おおよその見当でいうほかはないのだが、ニュース価値とは、広く世間の話題になるかどうかということであるらしい。平たくいうと、みんながおどろくか、みんなの共感を呼ぶような事物が、ニュース価値があるということになる。(p.31-32)
ってことで、本来の価値なんか検証せんと、ウケることを目指すと。
うーん、そういう方向走ってくと、たとえば学者の研究内容そのものなんか置いといて、そのひとの趣味とか意外な一面とか、そーゆーのばっかフォーカスあてるんだろうねえ。
ものごとの本質とか真実とかには全然興味なくて、世論を煽りたてるような報道ばっかしている新聞記者はあぶないよ、ってことは、
>戦争中、新聞は、軍部に強制されて嫌々戦争に協力する紙面を作ったように、新聞研究史などには書かれているが、あれは全部ホントというわけではない、自分から進んで戦争に協力した新聞記者も少なくなかったはずである。そういう彼らに共通していたのは、理性の働きによって物事を判断しようとせず、ただ世間の感情によりかかっていたこと。先入観にとらわれて、事物を直視しようとしなかったことなどであろう。要するに、一切の既存の価値判断、先入観をぬきにして、事物の本質を見極めようという、ジャーナリズム本来のありかたに背いていたということである。(p.65-66)
みたいな言い様もされている。ウケねらうだけぢゃなく、世論誘導しちゃおうみたいになると、もっと危ないってか。
新聞が自らを権威づけるような傾向に走るのもよろしくないという、たまに読者が電話で何か訊いてくるんだが、わからんと答えると怒り出すひとさえいるとして、
>読者にしてみれば、それだけ朝日新聞の権威を買いかぶっているわけで、つい国立国会図書館とか国立科学博物館などとおなじような社会教育機関と錯覚してしまっているのであろう。新聞はそのように権威ある存在にみせかけることに成功しているけれど、私は、その姿勢はまちがっていると思う。なぜなら、新聞は、何度も繰り返すようだが、立ち向う対象の虚像の部分をひきはがして、真実の姿を読者に示すことを使命としているはずである。その新聞が、自ら虚像を読者に示すことに汲々としていは、結局その報道姿勢まで疑われる事態を招くことになりかねないからだ。(p.95-96)
と危惧している。
最後の章で、新聞の文章の書き方について、この著者得意の講演の形をして書いているけど、これはちょっとおもしろい。
>ご承知のように、新聞記事は、ようやく版を組み終えたと思った途端に、新しく大きなニュースが飛びこんできて、それをのせるために、組んである記事を落としたり、削ったりする場合が甚だ多い。従って、記事は、どこを削ってもいいような文章が好ましいとされています。(略)
>ですから、筆者は、どこを削られても文意がとれる文章を書かなければならないことになる。文章読本の類に名文のお手本としてあげられている文章のように、各部分が互いに有機的につながりをもっていて、どこも削れないような記事は、新聞では歓迎されません。(p.239)
ってことを新聞記者だったひとから教えてもらうと、よくわかる、無味乾燥というか砂をかむようなというか、新聞がそういう文章でも文句は言えないね、そりゃ。
最後の最後に付録として、昭和51(1976)年に田中角栄前首相が逮捕されたときに、裁判もまだなのに逮捕で悪者退治は終わったみたいに騒ぐのはいかがか、みたいなこと書いたら、読者から悪いやつの味方をするのかみたいな抗議がたくさんきたって話があんだけど、
>戦争を知らない若い人たちのために断っておくと、正当な意見を非国民呼ばわりして抹殺しようとしたのは、軍部やその手先ばかりではない。世論までそうだったのである。ちかごろ、戦争の悲惨さを若い人たちに伝えようという運動が盛んなようだが、ついでに世論がいかに戦争に迎合しそのお先走りをしたかも、よく伝えておいてもらいたい。(略)
>とにかく、この種の世論は、自分たちの考えに逆らうような意見が、この世に存在するのは許せない、という感情から出発しているので、はなはだ始末が悪い。反対意見の存在を認め、それと自分たちの意見との調整をはかってゆく、というのが民主主義のやりかただ、などとこの人たちに説明してもムダだろう。この点で、日本はいまなお、戦争中と変わっていないようにみえる。(p.271-272)
って感想が述べられてんだけど、それから50年ちかく経ったわけだが、いまの日本も変わってねえなあと、私は思ってしまった。
コンテンツは以下のとおり。なかで「たった一人の世論」は「現代」に昭和57年から2年間連載したものらしいけど、どれもおもしろい。
新聞を疑え――序にかえて
飛ぶ鳥の記(上) 内から見てきた朝日新聞
飛ぶ鳥の記(下) 内から見てきた朝日新聞
「風」とともに去った朝日新聞
たった一人の世論
人三化け七
新版罪と罰
被害妄想史
就職難
文化勲章
大義名分
共通一次試験
人間になった警官
戦死地図
子どもの地位
死の値段
無党派市民
黒い手の英雄
都市生活者の資格
狂った季節
革命志向
文学賞の物差し
分身
下手も芸のうち
能力別学級
お年玉
オリンピック
音声言語
挑戦
悪の代理人
殺人嗜好者
新聞の文章
付録