日本の文学17 北原白秋・高村光太郎・萩原朔太郎 昭和40年 中央公論社
きっかけは『文学全集を立ちあげる』を読んだときに、この架空の日本文学全集に萩原朔太郎を一巻入れるとしたら、詩集はほどんど全部入るとしたあとで、
>鹿島 あと、アフォリズム集。あれは僕は大好きなんだなあ。芥川なんかと格が違いますよ。
>丸谷 そう、あれは大変いいもんだね。これぞ文学、という感じがするのね。
>三浦 芥川のほうが頭がよくて、理論的で、朔太郎のほうが感覚的で、頭が悪いと思われているけど、ぜんぜん違う。(略)書いているものを読むと、理が通っているのは朔太郎のほうでしょう。
>鹿島 少なくともアフォリズムに関する限り、朔太郎はボードレールを超えているんじゃないか、と思うぐらいすごい。
>丸谷 僕も朔太郎はすごいと思うよ。(『文学全集を立ちあげる』p.216)
って議論がなされてるのをみて、そんなすごいの、読んだことないよ、って思ったからで。
どこでどう探せばいいのかわかんないでいたら、この全集をみてみたらアフォリズムが入ってた。
私の生まれ育った家には、この「日本の文学」って全集がほぼ80巻(一つか二つ欠けてる)そろってあるんだが、夏目漱石も芥川龍之介もこのシリーズで読んだものさ。
でも興味ないものは、っていうかほとんど多くの日本文学は、読まないでいたんで、この巻も開いてみた記憶なんかない。
さてさて、問題のアフォリズムなんだけど、巻末解説によると、大正十一年に「新しき欲情」って人生哲学の書を出版して、それって「日本で珍しい芸術的思想の書」なんだそうである。
本書では、その「新しき欲情」と「虚妄の正義」(昭和四年)と「絶望の逃走」(昭和十年)というアフォリズム集または評論集ってものから、いくつか集めてあるようである。
で、読んでみたんだけど、なんか私にはあまりピンとこないんで、困ってしまう。
それでも、わかりやすそうなのをいくつか、抜いてみますか。
「帽子と求婚」
>帽子を買ふためにすら、人は遠方まで出かけて行き、数軒の店をひやかし、幾百の中からただ一箇を選ぶのである。それでも尚、じつに満足する品を得ることはむづかしい。(略)
>(略)いかにして諸君は結婚したか? いかに諸君の唯一の妻を(もしくは良人を)幾千人の異性の中から選定したか?(略)おそらくは無造作に、つい手近の所で、僅かに数人の中の一人を(略)見込んだにすぎないのだ。(略)
「芸術には上達がない」
>すべての技術は、練習によって上達する。ところで練習とは、筋肉または思惟の法則が、脳髄の中に溝をつくることである。(略)
>(略)然るに芸術が意義するところの、創作の本意は何だらうか? 創作の真の本意は、すべての習慣上の型を破って、不断に新しき世界を創るにある。(略)
>されば芸術家の修養は、技術家の勉強と反対である。後者にあっては、練習が上達の秘訣であるのに、前者にあっては、むしろ練習しないことが、平常の善き心掛けに属してゐる。(略)
>それ故に芸術は、それが単なる技芸――ヴァイオリンを巧みに弾くことなど――でなく、本当の意味の芸術ならば、芸術は練習すべきものでない。(略)
「日本の文学」
>日本の文学には、いつも二つの範疇しかない。「老人の文学」と、そして「少年の文学」である。(略)
>「日本人の特殊なことは」と、或る外国人が評して言った。「一般に早老であり、少年期から老年期へと、一足跳びに移って行き、早く年齢を取ってしまふ。」と。同様に我々の文学が、また少年期から老年期へと、一足跳びに変移していく。(略)
>日本の文壇と文学とは、人生の収穫すべき、最も重要な時期を通過しない。それからして文学が、いつも永遠の「稚態」と「老耄」との外、一の成熟をも見ないのである。
…うーん、なんかわかったようなわからんような、もっと若いときに読んで触れてたら、受ける印象ちがったのかもしれないけど。
コンテンツは以下のとおり。
読者への挨拶
危険人物!
輝かしい心像
良心! いみじき意匠
技芸家
賤民根性の人々
楽天的自然主義と悲観的自然主義
有神論のジレンマ
結婚の時期
帽子と求婚
或る野戦病院における美談
永世輪廻
門
芸術には上達がない
日本の文学
ポーの名言
友情の侵害区域
私が此処に居る
天才の鬼哭
女と厭世哲学
忘却への熱意
セザンヌの逆定義
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