河合雅雄 昭和60年講談社文庫版
副題は「原罪の自然誌」
以前読んだ本をいくつも探していくうちに、やっぱりこの本が読みたくなって、古本屋で探して文庫を買ってきた。
これを初めて読んだときの衝撃というか、その刺激的な視点は、文学とかばっかり読んでたし、いわゆる文系だなって自分の道を決めてた私に対して、しばらく自然科学に目を向けさせるものになりました。
だって、哲学とかなんとかいって「人間とは」なんて考えるよりも、この本読んだほうが、よっぽど人間のことわかるんだもん。
副題にある「原罪」ってのは、なにかっていうと、本書のテーマになることだと思う。
>人類は生態系からはみだした存在であり、そのことによって自然に対してもろもろの罪科を重ねる存在である、との認識をしっかり持たねばならない。人類は自然界における異端であり反逆者である。人類は存在において不自然であるゆえに、その行為はすべて自然を乱すものにつながっていく。これこそ人類が担った現在の一つなのだ。(第三章 人間、この不自然な生物) ってとこですね。
人間ってのは、自然界においてはヘンなんだ、なんでこんなヘンな生き物が出てきちゃったかって疑問を解くには、たぶんサルから出てきたんだから、サルを調べようってとこに目を着ける。
で、サルを研究すると、サルってのが、これまた哺乳類のなかでも、やはり飛び切りヘンだってことがわかる。
で、そうしてサルがヘンかっていうと、森林を棲みかに定めたとこに起因するようだと。
森林に住んでると、まず食物が豊富、サルの数に比べて、食べきれないほどの量の食物に恵まれている。そして、もうひとつ、天敵がいない。つまり、食うもんいっぱいあって、一方で自分たちは食われる心配がない。そういうなかで、独自の進化をしていったと。
通常は、自然のなかで動物は、食う・食われる関係があって、それなりのバランスがとれている。草食動物を保護しようと、その草食獣を襲って食べてしまう肉食獣を人間が駆逐すると、そのうち草食動物が増えすぎて、エサである草を食いつくして、やがてその草食獣も減っていくことになる。そんな連鎖がはたらいている。
だけど、樹上生活をしているサルたちには、そういうのがない。そこで問題になるのは、人口(って言わないか、動物は?)調節をどうするか。ありうる手段は、病気と、仲間同士での殺し合い。人間が何故戦争するかって、サルまで遡ると、見えてくることもあります。
そのほかにも、文化って何なのか、それはどうやって伝えられてくのか、ってあたりについても詳しい考察があります。
個々のサル類の観察の報告もすごく面白くて、読んでて楽しいけど、とにかく読むたび、人間ってなんなのか、すごく考えさせてくれる本です。
副題は「原罪の自然誌」
以前読んだ本をいくつも探していくうちに、やっぱりこの本が読みたくなって、古本屋で探して文庫を買ってきた。
これを初めて読んだときの衝撃というか、その刺激的な視点は、文学とかばっかり読んでたし、いわゆる文系だなって自分の道を決めてた私に対して、しばらく自然科学に目を向けさせるものになりました。
だって、哲学とかなんとかいって「人間とは」なんて考えるよりも、この本読んだほうが、よっぽど人間のことわかるんだもん。
副題にある「原罪」ってのは、なにかっていうと、本書のテーマになることだと思う。
>人類は生態系からはみだした存在であり、そのことによって自然に対してもろもろの罪科を重ねる存在である、との認識をしっかり持たねばならない。人類は自然界における異端であり反逆者である。人類は存在において不自然であるゆえに、その行為はすべて自然を乱すものにつながっていく。これこそ人類が担った現在の一つなのだ。(第三章 人間、この不自然な生物) ってとこですね。
人間ってのは、自然界においてはヘンなんだ、なんでこんなヘンな生き物が出てきちゃったかって疑問を解くには、たぶんサルから出てきたんだから、サルを調べようってとこに目を着ける。
で、サルを研究すると、サルってのが、これまた哺乳類のなかでも、やはり飛び切りヘンだってことがわかる。
で、そうしてサルがヘンかっていうと、森林を棲みかに定めたとこに起因するようだと。
森林に住んでると、まず食物が豊富、サルの数に比べて、食べきれないほどの量の食物に恵まれている。そして、もうひとつ、天敵がいない。つまり、食うもんいっぱいあって、一方で自分たちは食われる心配がない。そういうなかで、独自の進化をしていったと。
通常は、自然のなかで動物は、食う・食われる関係があって、それなりのバランスがとれている。草食動物を保護しようと、その草食獣を襲って食べてしまう肉食獣を人間が駆逐すると、そのうち草食動物が増えすぎて、エサである草を食いつくして、やがてその草食獣も減っていくことになる。そんな連鎖がはたらいている。
だけど、樹上生活をしているサルたちには、そういうのがない。そこで問題になるのは、人口(って言わないか、動物は?)調節をどうするか。ありうる手段は、病気と、仲間同士での殺し合い。人間が何故戦争するかって、サルまで遡ると、見えてくることもあります。
そのほかにも、文化って何なのか、それはどうやって伝えられてくのか、ってあたりについても詳しい考察があります。
個々のサル類の観察の報告もすごく面白くて、読んでて楽しいけど、とにかく読むたび、人間ってなんなのか、すごく考えさせてくれる本です。
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『1=1'』
左側の『1』と, 右側の『1'』が同等であるならば, 必ず同じ時間平面上に両者は存在しなければならない。但し質的に連続する時間平面上にあればよいので, 一方が視界(平面上)より質的に消え, また一方が視界(平面上)に質的に現れる場合は極端な例として含まれる。最も安定した例は紙の上に書かれた記号である。例えば紙の上に『A』と書いたとすると, この『A』は絶対変化系『±A=0』となり, 厳密にその形を保つことは出来ない。つまり『A=A'』(同等)として扱う場合は, 必ず質的に変化する前の『A』とは質的に変化する平面ごと重なり合わなければならなくなる。よって次の様に表される。
『A→A'=A←A'』
【解説】
時間平面AはA'方向へ変化すると言う【過程】『A→A'』と, 時間平面A'はA方向より変化して来たと言う【過程】『A←A'』は同じ時間平面上に一致する。(『→《右向きベクトル》』は, その方向への経過。『←《左向きベクトル》』は経過してきた方向を表す無方向ベクトル。)
±A=0《絶対変化系》
±(A→A')=0
(A→A')=(A←A')《一致》
念のために確認しておくが, 『±A=0』(絶対変化系)は如何なる観察場に於いても成り立つ。『0』は特別な記号で, 絶対性・不可分性・識物性・変化性の森羅万象の真理を表すと考えられている。尤も, これを記号として繋いだなら他の記号と変わりないのだが, 便宜上こうなっていると考えて構わないだろう。『A』と【0】(真性)はぴったり重なる。と言うより真理なる性質を与えられていると考える方が正確かも知れない。『A』は時間平面に嵌まらないこの裏側(の絶対無)と不可分であり, 拡がりがなく, 絶対的で, つねに質的に変化する。識物性とあった通り, この裏側(の絶対無)に支えられている時間平面上のすべて, 即ち時間平面を構成する絶対的要素のすべてが『A→A'』を成しており, 分けてゆけば無限大である。(ノートブックの紙, 黒鉛など‥)
問題は, 質的に連続する観察場時間平面上から切り離された【記憶】の2つ以上の時間平面の関係, 特に心象的時間平面的複雑系は, 如何にして心象的時間平面的単純系(記号)と関係を持っているか, である。
複雑系P=P'
記号系A=A'
{P→P'=P←P'}≠{A→A'=A←A'}
“デカルト”か“涼宮ハルヒ”を読んで、勉強しておきますね