many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

木精(こだま)

2016-03-22 18:37:05 | 読んだ本
北杜夫 昭和54年 新潮文庫版
昭和54年8月発行の文庫だけど、私の持ってるのは同年12月で既に四刷を重ねている。
サブタイトルは、「―或る青年期と追想の物語―」。
『幽霊』の続編にあたるんだけど、本書の刊行は昭和50年だという。
『幽霊』はたしか昭和29年の刊行だから、続編出すまでに二十年?
そんな時間あいてでも書かずにいられないのは、ライフワークだからか。
主人公は31歳になっていて、ドイツのチュービンゲンという街に3年間の留学にきている。
医学をおさめるかたわら、創作=小説を書くこともしていて、日本の出版社からの便りによれば、そっちの道でやっていけるかもという手応えをつかみかけた微妙な段階。
あこがれの作家は、とーぜんトーマス・マンなんだけど、おそれおおいのか名前は直接記さないで「リューベックの作家」と呼んでいる。
>以前は比較的気分にまかせた書き方をしたものだが、リューベックの作家の作品をまた読み返し、今度こそ一語一語、丹念に言葉を選びぬくことから出発することにした。たとえばどんな物体を表現するにも、無数にある形容詞の中で、もっともそれにふさわしいものが一つ、或いは三つなり四つなりがある。それを選び抜いて、完璧にその事象を浮彫りにし形造ることが必要なのだ。
という力の入れよう、やっぱこっちが本業でしょう。
ところで、ドイツでの毎日をつづるだけぢゃなくて、ことあるごとに日本を発つ前のできごとの回想がはいる。
これが、ぜんぜん忘れてたけど、年下の人妻との熱い熱い恋愛、著者にこんなテーマの話あったっけと今回読みかえして戸惑った。
テーマとしてめずらしく思うのは、たぶん発行当時は、まだ不倫ってやつが市民権(ヘン?)得てなかったと思うからなんだけど。
で、結局、その関係を断ち切るって目的もあって、ヨーロッパに留学することを決めた。
でも、ぜんぜん忘れることできない、うーん、ウジウジと悩む内面をもつ人間、日本文学の定番といえば定番といったとこか。
それはそうと、主人公は日本に帰る前に、北欧のデンマークの方へ旅をする。
これは著者の愛してやまない「トニオ・クレーゲル」の足跡をたどる道中ということらしい。
私にとっては全然記憶ないトニオ・クレーゲルの旅路なんかよりは、どうでもいいけど、旅のまだ初めにハンブルクでビールを飲みいった場面で、
>シュタインヘーガーという焼酎に似た強い酒を小さな陶器の容器に入れて売りにくる。みんなはそれを少し飲み、いわば口内の生気を取戻して、またビールをあおるのだ。
という一節があって、そうそうシュリヒテ・シュタインヘーガーは良いよね、なんて妙なところがツボにきてしまった。
物語は最後に『幽霊』の書き出しに戻る。20年経ってもとにもどるような、そういう構造は好きだったりする。
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突然の災禍

2016-03-17 20:42:57 | 読んだ本
ロバート・B・パーカー/菊池光=訳 2005年 ハヤカワ・ミステリ文庫版
古本を探してはつづきを読もうとしているスペンサーシリーズ。
本作は第25作目、原題は「SUDDEN MISCHIEF」、害といってもイタズラの部類?いやいややっぱりそんなかわいいものぢゃない。
シリーズがすすむにつれて、過去の登場人物がなにかっていうと再登場してきて、オールスターキャストの様相を呈してきてるパターンが多いんだが。
二十年くらい前は、そういう世界が飽きたというかヤんなっちゃって、読むのやめたようなとこがある。だって少年ジャンプぢゃないんだからさあ、という感じ、いまもする。
さて、今回はなんとスーザンの元夫が登場する。そこまできたか、ネタが尽きたのかと言いたくなるような気もちょっとする。こうなったら、たとえ次作でホークの幼少期が語られても驚かないぞってか。
事件の方は、スーザンが二十年ぶりくらいにあった彼から、経済的には破産寸前なところ、セクハラで訴えられてる窮状について助力を求められたところから、スペンサーに救いをもとめるとこから始まる。
スペンサーは、彼女の昔の男のために働くなんてやだなんてことは言わない、いま現在の彼女が望むなら、そのことを喜んで引き受ける。
ただ、最初っから、「この一件は、あらゆる面で、自分にとってうまくいきそうもない徴候が現れている」なんて感じを受ける。そのことは、物語中で何度も繰り返される、あらゆる面でうまくいきそうもない徴候が現れているぞと。
で、スペンサーが、その元夫に会ってみると、自分は破産なんかしやしないし、セクハラも訴訟にはならない、弁護士も探偵も必要ない、と言われる。なんかうさんくさい。
一方、セクハラだと言ってる側の女性のひとりの夫は、とても優れた訴訟弁護士だというんだが、スペンサーはあたりまえだけど、そういうのにはビビんない。
でも、例によって、あちこちをスペンサーがつっつきまくってると、こわもてを気取る連中が脅しをかけにきたりする。
それにもビビんないけど、いちどスーザンと一緒のところを襲ってきたときは、ルール違反だと言ってスペンサーは激怒する。
そうこうしてるうちに、これまた例によって、死体がころがってるのを見つけてしまう破目になるスペンサーとホークなんだが。
事件は単なる訴訟の話ぢゃなくて、べつのキーポイントがなにかあるように思えてくる。
けど、そんなことはどうでもよくて、この物語では、いかにスーザンが自分の過去のことを語るか、あるいは、自分がパートナーに求めているのは何なのかを考えて整理するかみたいなことが、テーマになってくる。
なんせ、スペンサーに守られていながら、強い男の守りを必要とする人間ではいたくない、みたいなことをこれまでも表明してきたシルヴァマン博士のこと、ややこしく悩む、むずかしいねえ精神科医は。
元夫とのことも含めて、自分の過去のほかの男たちのことを、スペンサーに話さないほうがいいだろう、スペンサーはそれを望まないだろうみたいに考える彼女に対して、スペンサーのほうは、
>おれは、きみがおれに話したいことを知りたい
とか
>おれはきみの人生のあらゆることに関心があるのだ。おれが話し合いたくないことはいっさいない
とか、オットナーなんである。


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埋められた時計

2016-03-16 20:25:06 | 読んだ本
E・S・ガードナー/中田耕治訳 1959年 ハヤカワ・ポケット・ミステリ版
できるだけ順番に、あるだけ読みかえしてる、ペリイ・メイスンシリーズ。
飛行機や新幹線の移動のなかで読むのに丁度いいというのは、むかし読んだときと変わらぬ感想。
持ってるのは1990年の6版。原題は「THE CASE OF THE BURIED CLOCK」
依頼人はミスタ・ヴィンサント・P・ブレイン、銀行家でデパートの所有者、ふたりいるうちの上の娘の、夫が殺された事件を持ち込んできたんだが。
被害者は義理の息子ということで働かせてやってたら、銀行のカネを横領したとんだ食わせものだという。
ありふれた事件には興味を示さないメイスンだけど、殺人の行われた別荘の近くに、箱に埋められた時計がみつかり、二十五分遅れて動いていたという話を聞き、謎を解くため乗り出す気になる。
メイスンは、この時間のずれは恒星時をあらわしているという見解をだすが、誰が何のためにそんな時計を持ってて、箱に入れて埋めたかって肝心なところはわかりっこないので、事件は混乱する一方で解決には向かわない。
そうこうしてるうちに、依頼人の娘である被害者の妻が逮捕され、裁判に舞台は移る。
>私はその質問に異議を申したてます。それは議論のための議論に亙ることになります。それは弁護士に代って彼自身の証人を反対訊問しようとする企図です。それは証人に結論をくだすことを要求しています。
とか例によってがんばるメイスンはかっこいいんだが、どうにも情況は不利。
それに相手になっている、新任の「法律の旋風」「十件のうち九件までは有罪にしてしまう」地方検事のマックネアは、なかなか手ごわい。
弾丸をとりだしたのを見たという証人に、メイスンが「とり出したのではなく、置いたところを見たのではないか」と反対訊問する、いつもの手段を承知のうえで、そう仕向けることで検察有利にしようとしたりする。
敗色濃厚だったメイスンは、午後の閉廷から翌日までのあいだに、新しい証拠を探し出すことをひらめくんだが、そのときに関係者の留守宅に忍び込むという、いつもながらの危ない橋をわたる方法をとる。
「それは押し入り強盗の部類になるんじゃない?」と訊く秘書のデラに対して、メイスンの
「ぼくがその家の持主の委嘱を受けて、彼の暗黙の許可を受けていると考えられる事実から見れば、強盗の企図なるものは技術的な問題だね」
という答えが秀逸だと思う。
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乗りやすい馬なので、熱くなんない

2016-03-14 16:12:54 | 馬が好き
芦ノ湖スカイラインでは雪のため滑り止めが必要、なんていうラジオを聴きながらでかけていく、寒いんで冬装備にもどしての乗馬。
きょうの馬は、三回連続のサンダルフォン。どうして?好きな馬だからいいけど。

きょう私と初めてペアを組むひとは、なんでも6年ぶりの乗馬らしい。
私も長期休養明けで復帰したときは、乗るのは意外と身体がおぼえてたけど、肢アテの左右とか全くわかんなくなってたなあ、なんて言いながら馬装。
きょうもネックストレッチ無し、先週でちょっと自信ついた、なんとかなるだろ、きっと。
馬場に入ったら、先週まで部班してた区画がまたリニューアルされて、コーンとバーで完全に周回コースができてる。
一鞍目はそこ使わないで、広いほうの一角で部班やることになる。
なんの目安もないとなんなんで、角に90度の角度で横木置いて、そこまわることにする。
結果、いつもより蹄跡の一辺が短く、正方形に近い形状の馬場になる。
馬5頭だとけっこう窮屈だが、私は列の三番手。サンダルフォンはガンガン前に進むんで、少し前との間隔に余裕をもたせるが、回転する前には急いで距離詰める。
軽速歩でクルクルまわる。なるべくリズムよく進ませるように気をつけるが、隅角では内に入らないように少し外に圧す感じが続く。
動いてきたところで、すこしだけ丸くなってもらう。隅角をきっかけに、開き手綱をつかう、馬が内を向いたときに外の手綱が一緒にまわっちゃわないように壁を固定しといてそこへぶつけてく感じ。
馬ゆずってくれたときに、内の手綱それ以上引いたりしないようにして、クビ叩いてホメる。
だんだんアタマの位置がいい感じになってくる。ひとが上でグラグラすると、バランスくずれて、とたんにまたアタマ上がるし歩様も乱れるから、なるべく安定してくようにする。
狭い区画のなかで、半巻きを何回も繰り返す。
ふつうの馬場での半巻きは、直径の3倍の長さのとこへ帰ってくとしたもんだが、今日の区画ではムリ。中心線を意識して、蹄跡の半分程度の巻乗りをする感じにして、もと来た蹄跡の隅角のほうへ向かってく。
回転で失速すると、蹄跡へ戻ってくときに前出る勢いが全然無くなっちゃうんで、回転を強く心がける。
急回転しようとすると、馬のリズムを崩すので、前に出る勢いを維持して外の手綱でまわるようなイメージ、内を引いたりしたらきっと止まっちゃうから。

んぢゃ、輪乗りで駈歩。ポンと出るんで、そのあと少し勢いよく前に出すこと重視、狭いからって手綱でいじくろうとすると馬の肩が窮屈になるから、とにかく前に、また外の手綱を意識。
駈歩から速歩に移行する、駈歩で前に出た後だから速歩に勢いがある、それを利用して前に出る速歩のまま、すこし輪乗りを詰める。
前に出てないと、輪乗りの直径を小さくしたときに、馬の勢いが止まる、勢いよい速歩で円の大きさは外の手綱でつくる。
何度か繰り返して、おしまい。狭い馬場のなかでも、サンダルフォンはとにかく前進してくれることだけは間違いないので、ムダに何度もアクセル踏み直すようなジタバタをしなくて済んだので、とてもラクだった。
冬でも馬上で私が薄着なのは、ムダに力使って熱くなるからだけど、ここんとこそんな汗かくような場面がない。
札幌のときなんか、冬でもヘルメット脱いだとたん、アタマから湯気が真っ白に上がってたと思うんだけど。
ちょっとは馬動かすのうまくなったのかな? いい馬に当ってるだけだろうな。
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月長石

2016-03-10 21:42:41 | 読んだ本

ウィルキー・コリンズ/中村能三訳 1962年発行・1970年上下合本 創元推理文庫版
丸谷才一のエッセイ選文庫「膝を打つ」を読んでたら、この「月長石」をやたらほめている一篇があった(「長い長い物語について」)。
いわく、
>いや、ミステリーの愛好者と自負しているほどの人なら、何も長い長い物語を特に好むたちでなくとも、これは絶対読む必要があるだろう。(略)
>『月長石』は悠々と進み、ほぐれてゆく物語である。が、それにもかかわらず、読者は決して退屈しないのだ。コリンズの力量はまったく恐ろしいくらいであって、これならあのディケンズが彼から影響を受けたのも無理はないと、誰でも感心するだろうと思う。
ということである。
名前はずっと以前から聞いて知ってたんだけど、いままで読んだことなかったんだが、この薦めかたにふれて、やおら読まなくてはという気になった。
原題の「THE MOONSTONE」は、物語の中心になる大きな黄色いダイヤモンドのこと。
インドの寺院の宝だったんだが、1799年の戦争のどさくさのうちに現地から誰かが持ち去って英国にわたってきて、登場人物のひとりに贈られた1848年のある晩に、屋敷から紛失してしまうという事件が起きる。
この謎の解決のために呼ばれたのが、
>全身これ骨と皮ばかりと言いたいくらい、みすぼらしいまでにやせていた。こざっぱりとした黒服に白のネクタイをつけ、顔は斧のように鋭く、顔の皮膚は秋の朽ち葉のように、かさかさして黄色かった。冷たい灰白色の目は、ふと目と目がぶつかると、相手自身さえ知らないことまで見通そうとするような、こちらをどぎまぎさせるようなところがあった。
という外貌をした、白髪まじりの初老の男、カッフ部長刑事。
このひとがホントに有能な探偵かどうかは知らないけど、おもしろいのは、こうやって部長刑事の到着のときの模様を紹介した語り手、舞台となるヴェリンダー家に勤める70歳を越えた老執事ガブリエル・ベタリッジの筆による語り口である。
文庫で770ページある長い物語は、複数の語り手によってつなげられていくんだけど、最初の300ページをうけもつこの執事の手記の部分のおもしろさに、ぐいぐい引き込まれていくのは誰も同じだろう。
丸谷才一は先にあげたエッセイで、
>(略)彼がその各々の語り手の性格をじつにくっきりと見せていること、および執事ベタリッジと部長刑事カッフという不朽の人間像を造型したことは、どのように賞讃しても過褒の言とそしられることがないだろう。
と作者の物語のつくりを称賛している。
たしかに、たしかに。推理小説としておもしろいかどうかは私にはジャッジを下すことはできないけど、小説として十分おもしろい。
とても1868年に書かれたものとは思えない、こういうの不朽というんだろう。
どうでもいいけど、ヴェリンダー卿の娘で月長石の正当の持ち主になるはずだったレイチェルの性格について、
>一般に若い女が自分の関心をそそる話をきかされた場合、最初の本能として、さんざ質問の雨を降らし、それから駆けだして行って、誰か親しい友だちにすっかりそのことを話してきかせるものである。ところが、レイチェル・ヴェリンダー嬢の最初の本能は、同じ場合でも、自分の中に閉じこもり、ひとりでじっと考えることであった。(略)
と語られる一節があるんだけど、前段の「一般に若い女」のことを言ってる部分は、こないだ読んだ「男は邪魔!」の女の脳に関するくだりと一致してて、妙にうなずけるものあった。

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