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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

百万人のお尻学

2018-01-13 17:43:32 | 読んだ本
山田五郎 1992年 講談社
去年9月に古本まつりで見かけて、なんとなくおもしろそうなんで買ってしまった、読んだの最近。
「お尻学」とは、カバーの内っ側にある紹介にいわく、
>1.お尻というおろそかにされがちな部位を通じて、文学、芸術、風俗など、あらゆる現象を研究する学問。
>2.物語の表面にまどわされず、裏側から真実を追究する懐疑的姿勢。
>3.心理は頭=脳ではなく、お尻=肉体に宿るとし、精神と肉体を再び統一させようとする反近代主義。
ということだそうで、けっこうマジメなんで、勉強になった。
たとえば、日本人の美意識を語るとき、「和尻」と「洋尻」のちがいが大きな問題だという。
ちなみに、和尻とは「薄い・低い・歪つ、ぽっちゃり・すべすべ、触覚的・直感的・個性的、経験論的個性美」が特徴で、かたや洋尻は「厚い・高い・丸い、むっちり・ごわごわ、視覚的・分析的・類型的、観念論的理想美」だという。
そんなことはどうでもいいんだけど、ぢゃあなんで洋尻のかたちのほうがすぐれていると思ってしまうのかというと。
きっちり幾何学的にデザインした人体図でつくられたりする西洋美術なんかのほうが、比較や分析が可能で、分かりやすいという性質をもってるからだと。
>いつでもどこでも誰にでも同じように理解できる、つまり、時間や空間や個人差といった自然の条件に左右されず、理性でコントロールできる普遍的なシステムへの意志――。
>西洋文化にすぐれて特徴的なこの傾向を、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは『世界の脱呪術化』への意志と呼び、近代資本主義が西洋社会で生まれたのは、プロテスタンティズムの倫理感を通じてこの意志が展開された結果だと説明している。(略)
>いずれにせよ、近代資本主義と民主主義は、いままでに人類が作り出した最も普遍的な文化システムだといってよい。それは、あらゆる「いわくいいがたい」差異を数字に置き換えることで、交換可能な「分かりやすい」価値にしてしまう。(略)
>『洋尻』が世界を席巻する理由はここにある。近代資本主義自体は文化の違いを超えた普遍的なシステムだが、それを取り入れると、西洋人の肉体を基準とした象徴体系と美意識が、もれなくついてきてしまうのだ。(p.32-33)
ということで、中沢新一のカイエ・ソバージュ・シリーズで遅まきながら勉強している、一神教と資本主義の問題に、こんなとこで出くわすとは思わなかったんで、驚いた。
あと、西洋文化史とか美術には私はぜんぜん知識がないんだが、西欧文化とは、古代ギリシャ・ローマ文化、ユダヤ・キリスト教、ケルト・ゲルマン民族という三つの要素の混合性から成るという話が繰り返しあって、そいつは勉強になった。
古代ギリシャは神の似姿である人間の肉体を讃美する、キリスト教は堕落への誘惑として肉体を否定する、ゲルマンは着衣が本来の姿であり裸体は人間の尊厳をはぎ取られた状態という羞恥をもつ、そういうのが入れ代わり立ち代わりしてつくられてきたっていうんで、こんど美術館でも行ったら(まず絶対行かないけど)なんか見る目変わっちゃいそうな気がした。
章立ては以下のとおり。
巻頭に特別寄稿があって、タモリの「お尻の思ひ出」というのはともかく、笠井寛司の「お尻の医学」というほうは骨格と筋肉の説明があっておもしろいと思う。
第1章 尻学原論
第2章 お尻の西洋美術史
第3章 お尻のファッション史
第4章 お尻と写真の変態史
第5章 お尻の戦後史
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怪奇まんが道 奇想天外篇

2018-01-08 17:48:06 | マンガ
原作・宮崎克/漫画・あだちつよし 2017年 集英社ホームコミックス
(原作者の名前はほんとは「宮﨑」です、環境依存文字なので。)
きのうのつづき、もうひとつ、この連休で買った新しいマンガ。
『雨の日はお化けがいるから』の近くにあったんで、気づいたんだけど。
お、諸星!と思ったんだけど、ん、なんだろ? 漫画家の名前が四つある。
アンソロジーかなとも思ったんだけど、「原作」「漫画」の意味がよくわかんない。
裏表紙みたら、やっぱ四人の漫画家の作品のものと思われる画があって、「才人4人の描き語り」なんて書いてある。
こーゆーとき新刊書店ではぴっちりラップされてしまってるんで中身がわかんないんで困る。
んー、なんかわかんないけど、いっか、と買ってみた。
開けてみたら、すぐわかった。
そうか、漫画家を題材にしたマンガね、そうかそうか、それでタイトルが「まんが道」なのね。
で、肝心の諸星先生の話はといえば、ご本人だけぢゃなくて、当時のジャンプ編集者への取材もされていて、むしろそっちの視点からの構成が秀逸。
ジャンプ向けの子どもが喜ぶエンタメ作を描けばいいのに、自分の描きたいものしか描かない若き諸星に対して、
>「ジャンプ」というメジャー少年誌でチャンスを勝ち獲りながら
>人気も売れ行きにも興味を示さない(略)
>そのくせ知的好奇心と創作意欲だけは旺盛で(略)
>たった一人己の宇宙を描き続けてる
と不思議がりながらも、その才能から生みだされるものに魅かれてく。
当時のジャンプは、おなじみの人気アンケート主義以外にも、編集部でこれは凄いと思ったら載せてたそうだ、それで『暗黒神話』が連載されたのね、えらい!ジャンプ編集部。
コンテンツは以下のとおり。不勉強なので読んだことないが、近藤ようこ、読んでみよっかと思った。
第1話 御茶漬海苔の苦悶
第2話 諸星大二郎の孤高
第3話 外薗昌也の本音
第4話 近藤ようこの戸惑い
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雨の日はお化けがいるから

2018-01-07 18:25:40 | 諸星大二郎
諸星大二郎 2018年1月 小学館・BIG COMICS SPECIAL
犬も歩けば棒に当たるというか、休みの日にはたまには本屋でものぞかなきゃと思って、地元でフラッとコミック売り場に寄ったら、こーんなにイイものを見つけた。
私の最も好きなマンガ家のひとり諸星大二郎の新刊、しかも焼き直し版ぢゃないとみた、帯に“初収録読切、満載。”ときたもんだ、こいつぁ春から縁起がいいや。
急いで買って帰って、急いで読んださ、あー幸せだ。
読んだことあるのはひとつだけ、あとは雑誌読まないせいもあって初見、それでいて昔から馴染みのテイストが感じられて、ワクワクしながらも安心。
あと嬉しいのは単行本のサブタイトルが「諸星大二郎劇場 第1集」となっていること。
第2集以降も続々出るんだろうな、小学館!? 頼むぜ、おい。
(「稗田の生徒たち」も1だけで2は出てないしな、そもそも『子供の王国』だって「珠玉短編集(1)」だったんだがそれきりだし、正直あまり期待せずに、それでも待とう。)
「闇綱祭り」(2013年)
いまはない小さな町の片身神社で毎年行われていた祭の話。
闇のなかで見えない相手と綱引きをするんだが、勝っても負けてもいけない、この世でいちばん大事なのは均衡だという。
これは『天才たちの競演(1)』ってアンソロジー単行本で読んだことがある。
「雨の日はお化けがいるから」(2015年)
タイトルから想像したとおり、「あもくん」の話。
雨の日には嫌でもお化けを見てしまうのだが、家へついてこられないように、自分で工夫してルールを作るのだけど、うまくいかない。
「ゴジラを見た少年」(2014年)
小さいころに両親と妹も亡くした少年は、その日に自分はゴジラを見たんだと言う。
その後も夢にゴジラをみるし、その場所へ行ってみるとビルが壊れていたりする。
周囲の大人たちはとりあわないが、少年はゴジラを見たことをはっきり覚えている、ゴジラは何かの象徴なのか。
「影人」(2016年)
私の好きな中国もの「諸怪志異」シリーズっぽいやつ。
宋の下級役人の李昌のところへ、ある夜、影人(えいじん)が李昌の影を迎えにやってくると、影は本体から離れて遊びに行ってしまう。
たびたび影が留守にするようになり、李昌は自分も影人の国へ行ってみたくなる。
「(眼鏡なしで)右と左に見えるもの~エリック・サティ氏への親愛なる手紙~」(2016年)
エッフェル塔の見える広場にすわり、眼鏡をかけたりはずしたりして街を見る二人組。
ふつうのひとには見えないものが見えて、使命は危険なものがいたら退治することらしい。
私はサティの曲を知らないので、何がなんのひっかけになってるのかとか、いまいちわかんない。
「空気のような…」(2006年)
“悪趣味クラブ”という突拍子もない話を語り合う集まりの場で、新たに参加したベネット卿は自分の家族の話をする。
家族というのは空気のようなものであるべきだというポリシーの持ち主だが、妻が自分の思ったより嫉妬深い性格だったことからトラブルになったという。
「怒々山博士と謎の遺跡」(2006年)
「怒々山博士と巨石遺構」(2006年)
なつかしの怒々山博士シリーズに新しいのがあったなんて。
博士と助手の林くんが山中で遺跡を探すんだが、当然バカバカしい展開になる。
「河畔にて」
第1話「クーリング・オフ」(2013年)
第2話「上流からの物体X」(2016年)
第3話「欲しいものは河を流れてくる」(2017年)
大きな河のほとりに住む少年が主人公。ほとんどセリフがなし。
河にはいろんなものが、流れてくるので、それを拾い上げるのが人生の一環。
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幸福の無数の断片

2018-01-06 17:29:33 | 中沢新一
中沢新一 1992年 河出文庫・文藝コレクション
去年秋に古本屋で手に入れた文庫。
わりと短い評論のようなのの集まり。
初出媒体は、雑誌、新聞とかに加えて、パンフレットとかもあったようで。
最後まで読んでったら、あとがきで、
>こんな原稿を引き受けてしまうなんて、と原稿の書けない夜、自分の人の良さ、断り切れなかった意志の弱さを後悔しながら、ぼくはしばしばこのように考えて、自分をなぐさめることにしてきた。
なんて書いてあって、自らの意思ぢゃなくて、頼まれて書かざるをえなかった文章が含まれていることを打ち明けてはいるんだけど。
ちなみに、「このように考えて」というのは、ロラン・バルトが人の良さからか種々雑多なジャンルのエッセイを書いているんだけど彼はそこに新たな興味の対象を発見していた、ってことで、やってみれば良いことにも出会えるというポジティヴな面の感想。
本書の構成全体は大きく三つの章、「眼のオペラ」「物質の抵抗」「文字の炎上」にわかれてて、だいたい、映画のこと、アートのこと、書評とか文庫の解説みたいなもの。
タイトルの幸福の無数の断片というのは、ジョナス・メカスさんという映画監督?私は無知なんで知らないんだが、との対話のなかで出てくる言葉に由来すると思われる。
「私はほんのわずかなあいだしか持続しないものにだけ、興味があって、それを撮影したいと思うのです」というメカス氏が幸福とは何かについて、
>幸福とは、私の考えでは、生きているあいだに一瞬だけかいま見ることのできる、人生の可能態のことをさしています。じっさいには、持続したものとしては実現されなかったが、そうもありえたという理想的な人生の状態が、かいま見える瞬間、それが幸せなのだと思います。あるいは、話をもっと拡大すると、文明の発達によって失われてしまった、純粋無垢な状態が、破片のようにして出現する時、そういうものをかいま見る瞬間、私の心は幸福感にみたされるのです。(p.66「幸福の無数の断片」)
うーむ、最近そういうの、まったくといっていいほど、見えないなあ。
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ポリタン

2018-01-03 17:59:38 | マンガ
とり・みき 昭和60年 白泉社
もうひとつ、去年買ったとり・みきの古本。
12章からなるつづきものだけど、これは著者らしさのあるギャグマンガ。
一回あたりだいたい16ページだけど、パロディーもいっぱいでおもしろい。
どこぞの警察の捜査一係を舞台にしたものだけど、登場キャラはおなじみのメンバーが多い。
ドロドロに溶けてしまう宮入部長、いつもコンピュータオセロやってる一ツ橋、サングラス姿の比浦。
若手の新舞君と、第一話で転属配置されてきた女性巡査部長の南は、比較的まともな感じで、ストーリーを進行させるのに必要な立場なんだろう。
いつも目が血走ってる天知と、西部警察を模したと思われる大問題というキャラは、私はあまり見たことないけど。
なんつっても、本作では北って名前で出てくる、田北鑑生のキャラはレギュラーメンバーで、芸風もいつもどおり、いい味。
それにしても、犯行現場で鑑識が足あとを調べて、「タンゴですね これは」とかって、私のツボにはまるんだよな、あいかわらず、おもしろい。
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