もう少しだけ思うことを書いておきたい。競技の指導をするうえで多くの人に影響を受けている。様々な方からの影響を受けて今の自分がいる。自分の枠の中で生きていたらそうはならない。他者を批判する、否定するのではなく「自分自身の在り方」を考えていく必要があると思っている。どんな生き方をしても「なんなんだあいつは」と思われる。そうであれば尚更批判的な意見だけに耳を傾けるのではなく「前向き」になれることを考えていきたい。
人生の中で最も尊敬するのは陸上競技における師匠かもしれない。これまでやっていたことを打破し、積極的に外に出る。自分の信じることをやり続ける。だからと言って柔軟性がないわけではない。競技だけではなく多くの事を学ばせてもらっている。師匠との出会いがあったから「今のままでは嫌だ」と思えた。福岡の大学に練習見学に行ったときには師匠と話をしたことがなかったと思う。その後数年間で親しくさせてもらうようになった。これまでの「自分の枠」の中から抜け出して次のステップを踏めたのだと思う。
師匠に師事しながらも「県外」に出た。単独であちこち回っている。岡山や宮崎には選手を連れて行った。東京には自主的に練習見学に行かせてもらった。師匠の口利きで兵庫や京都の練習も見させてもらった。「過去の自分がやっていたことが全て」という感覚を抜け出すには十分な刺激だったと思う。どれだけ多くの人が外に出て刺激を受けているのかは分からない。同じ場所にだけではなく様々な場所に行く必要があると思っている。それが「枠」を超えるために必要不可欠なことになるから。
「今まで通り」が一番楽。が、それで本当にいのか。こんなところで何を書いてもそれは誰にも響かない。分かってる。が、自分自身を鼓舞するために書いている。このまま「今まで通り」が一番だとは思わない。ある程度指導ができるようになってきたとき、「他の人に指導してもらう」というのを避けていた。自分がやっていることと違うことを言われるのが嫌だったから。が、選手にとっては「様々な刺激」を受けることが必要になる。合わなかったら「元に戻せばいい」だけの話だから。とはいっても「全く考えていない指導」を受けるのは避けたい。何度か痛い目に合っているから。ここは見極めだと思う。
ちっぽけなプライド。これを捨てることにしている。信頼できる指導者であれば練習を見てもらって選手にプラスになるようにしたい。自分だけが全てできるわけではないから。「今まで通り」でやっていく。これを抜け出す必要があると思っている。が、「今まで通りでいい」と思っている人達に「変わったほうがいい」と主張しても意味はないと思う。効率が悪くても効果が低くても「今まで通り」がいいと思う人はいる。きっと「不安」を抱えることがないから気持ちが楽なんだと思う。これは性格的なものもあるから何を言っても変わらないものは変わらないと思う。そこを変える必要があるかどうか。
広島に棒高跳び練習会に行った。私の中では「知らない世界」だ。単純に人を集めて練習をするのではなく「専門的な指導を徹底してやる」という部分。完全に指導者に任せる形でその練習は進んでいく。もう少し突っ込んで質問すればよかったのだが「サタデー陸上」といのを前日に実施してその中でも「基礎指導」をしているとのことだった。「とりあえず真似してやる」という形ではなくきちんとした指導が入っての「陸上教室」が継続的に行われる。本当の専門家がついての指導。面白い。
若い指導者がいる。私からすれば「なぜ外に出ないのか」という気持ちになる。自分の「師匠」となる人を決めてその人から多くを学べばいい。これまでの経験だけによらない指導。本を読んで分かったつもりになる指導。これでは選手は育たない。県内に限らず県外で多くのことを学ぶ機会はある。競技面だけではなくもっと他のことを学ぶべきだと思う。
選手の指導をする。みんな自分よりは年下だからそれなりに指導に従う。また、教育現場とはいえ本当に関わりが狭くなりより狭い世界で生きていくことになる。これはある意味「居心地がいい」と思う。自分のやりたいようにできる。が、実際はそうはいかない。波風立てずにそれなりに生活をしていれば周囲からあれこれ言われることもない。無難な生き方。それで本当に良いのか。これも価値観の相違だからこちらが強制するものではない。
師匠やBOSS、先輩や県外の指導者を見てきた。みんな「陸上が大好き」だと思う。だから心から尊敬するし「この人たちのような指導者になりたい」と感じる。大好きだから選手のために一生懸命になれる。体裁にこだわらず「本当に必要なこと」に力を注げる。選手が強くなるため、成長する為であれば何でもする。「自分の得意分野」で貢献する。本当に大きなことだと思う。自分の「名誉」のためにやるわけではない。周りからあれこれ批判を受けようと「芯」がブレない。これは本当にすごいことだと思う。
こういう姿を見ていて何も感じないというのはよくない。すでに私も今年で40歳。間違いなく「若手」ではなくなっています。だからこそ「自分のやるべきこと」をしっかりと見極めてそこに邁進していく必要がある。自分の道をしっかりと進んでいく。ポールの指導者であるG先生が山口県に来て間違いなくポールのレベルは上がった。これまでは「とりあえず跳ぶ」だけだったものが専門性が出てきた。大きな貢献だと思う。我が師匠は我々若い指導者に様々なことを教えてくれている。これは大きな貢献だと思う。BOSSも「投擲」に関して長い時間をかけて指導者を育ててきた。
私は何をするか。ここだと思う。同じようなことはできない。が、命ある限り自分の「役割」を果たしたいなと思う。広島の棒高跳びの先生方が「普及」と「強化」に努めてこられた。それが形になっていく。「強化」に関しては私の出る幕ではないだろう。が、私の手の届く範囲で「強化」をしていく必要がある。それは「全国で活躍できるチーム作り」だと思う。とにかく「チーム」を作る。それは他者から批判されるかもしれないが「強いチーム」を作ることが必要になる。圧倒的に強いチームを作っていきそうやって「全体のレベルを上げていく」のです。「あそこには勝てないな」というのではなく「あのチームに勝つために何をしないといけないのか」をみんなが考えるようになると県内のレベルも上がっていくのかもしれない。
こんな偉そうなことを書いていていいのか。良く分かりません。が、県外を見た時に「強い学校」と思われるチームが複数あります。毎年強い。そのチームが県外で力を示すことで「広島」や「岡山」は強いなというイメージを持つことになる。そうであれば私はそこを目指したい。県外で「戦えるチーム」が県内にあればそれを目標に強くなるかもしれない。県外のチームは「自己満足」ではなく「切磋琢磨」してチーム同士が競り合っている。それが競技につながるのだと思います。
県外の指導者から受ける刺激は本当に大きい。好きで指導している。それは「選手のため」という大きな共通点を持っている。だから「形」にはこだわらない。徹底して「強くなるため」にアクションを起こせる。フットワークが軽く自在に動く。こういう感覚を持ち続けたい。
まとまらないなー。書きたいことが上手く言葉にできません。
人生の中で最も尊敬するのは陸上競技における師匠かもしれない。これまでやっていたことを打破し、積極的に外に出る。自分の信じることをやり続ける。だからと言って柔軟性がないわけではない。競技だけではなく多くの事を学ばせてもらっている。師匠との出会いがあったから「今のままでは嫌だ」と思えた。福岡の大学に練習見学に行ったときには師匠と話をしたことがなかったと思う。その後数年間で親しくさせてもらうようになった。これまでの「自分の枠」の中から抜け出して次のステップを踏めたのだと思う。
師匠に師事しながらも「県外」に出た。単独であちこち回っている。岡山や宮崎には選手を連れて行った。東京には自主的に練習見学に行かせてもらった。師匠の口利きで兵庫や京都の練習も見させてもらった。「過去の自分がやっていたことが全て」という感覚を抜け出すには十分な刺激だったと思う。どれだけ多くの人が外に出て刺激を受けているのかは分からない。同じ場所にだけではなく様々な場所に行く必要があると思っている。それが「枠」を超えるために必要不可欠なことになるから。
「今まで通り」が一番楽。が、それで本当にいのか。こんなところで何を書いてもそれは誰にも響かない。分かってる。が、自分自身を鼓舞するために書いている。このまま「今まで通り」が一番だとは思わない。ある程度指導ができるようになってきたとき、「他の人に指導してもらう」というのを避けていた。自分がやっていることと違うことを言われるのが嫌だったから。が、選手にとっては「様々な刺激」を受けることが必要になる。合わなかったら「元に戻せばいい」だけの話だから。とはいっても「全く考えていない指導」を受けるのは避けたい。何度か痛い目に合っているから。ここは見極めだと思う。
ちっぽけなプライド。これを捨てることにしている。信頼できる指導者であれば練習を見てもらって選手にプラスになるようにしたい。自分だけが全てできるわけではないから。「今まで通り」でやっていく。これを抜け出す必要があると思っている。が、「今まで通りでいい」と思っている人達に「変わったほうがいい」と主張しても意味はないと思う。効率が悪くても効果が低くても「今まで通り」がいいと思う人はいる。きっと「不安」を抱えることがないから気持ちが楽なんだと思う。これは性格的なものもあるから何を言っても変わらないものは変わらないと思う。そこを変える必要があるかどうか。
広島に棒高跳び練習会に行った。私の中では「知らない世界」だ。単純に人を集めて練習をするのではなく「専門的な指導を徹底してやる」という部分。完全に指導者に任せる形でその練習は進んでいく。もう少し突っ込んで質問すればよかったのだが「サタデー陸上」といのを前日に実施してその中でも「基礎指導」をしているとのことだった。「とりあえず真似してやる」という形ではなくきちんとした指導が入っての「陸上教室」が継続的に行われる。本当の専門家がついての指導。面白い。
若い指導者がいる。私からすれば「なぜ外に出ないのか」という気持ちになる。自分の「師匠」となる人を決めてその人から多くを学べばいい。これまでの経験だけによらない指導。本を読んで分かったつもりになる指導。これでは選手は育たない。県内に限らず県外で多くのことを学ぶ機会はある。競技面だけではなくもっと他のことを学ぶべきだと思う。
選手の指導をする。みんな自分よりは年下だからそれなりに指導に従う。また、教育現場とはいえ本当に関わりが狭くなりより狭い世界で生きていくことになる。これはある意味「居心地がいい」と思う。自分のやりたいようにできる。が、実際はそうはいかない。波風立てずにそれなりに生活をしていれば周囲からあれこれ言われることもない。無難な生き方。それで本当に良いのか。これも価値観の相違だからこちらが強制するものではない。
師匠やBOSS、先輩や県外の指導者を見てきた。みんな「陸上が大好き」だと思う。だから心から尊敬するし「この人たちのような指導者になりたい」と感じる。大好きだから選手のために一生懸命になれる。体裁にこだわらず「本当に必要なこと」に力を注げる。選手が強くなるため、成長する為であれば何でもする。「自分の得意分野」で貢献する。本当に大きなことだと思う。自分の「名誉」のためにやるわけではない。周りからあれこれ批判を受けようと「芯」がブレない。これは本当にすごいことだと思う。
こういう姿を見ていて何も感じないというのはよくない。すでに私も今年で40歳。間違いなく「若手」ではなくなっています。だからこそ「自分のやるべきこと」をしっかりと見極めてそこに邁進していく必要がある。自分の道をしっかりと進んでいく。ポールの指導者であるG先生が山口県に来て間違いなくポールのレベルは上がった。これまでは「とりあえず跳ぶ」だけだったものが専門性が出てきた。大きな貢献だと思う。我が師匠は我々若い指導者に様々なことを教えてくれている。これは大きな貢献だと思う。BOSSも「投擲」に関して長い時間をかけて指導者を育ててきた。
私は何をするか。ここだと思う。同じようなことはできない。が、命ある限り自分の「役割」を果たしたいなと思う。広島の棒高跳びの先生方が「普及」と「強化」に努めてこられた。それが形になっていく。「強化」に関しては私の出る幕ではないだろう。が、私の手の届く範囲で「強化」をしていく必要がある。それは「全国で活躍できるチーム作り」だと思う。とにかく「チーム」を作る。それは他者から批判されるかもしれないが「強いチーム」を作ることが必要になる。圧倒的に強いチームを作っていきそうやって「全体のレベルを上げていく」のです。「あそこには勝てないな」というのではなく「あのチームに勝つために何をしないといけないのか」をみんなが考えるようになると県内のレベルも上がっていくのかもしれない。
こんな偉そうなことを書いていていいのか。良く分かりません。が、県外を見た時に「強い学校」と思われるチームが複数あります。毎年強い。そのチームが県外で力を示すことで「広島」や「岡山」は強いなというイメージを持つことになる。そうであれば私はそこを目指したい。県外で「戦えるチーム」が県内にあればそれを目標に強くなるかもしれない。県外のチームは「自己満足」ではなく「切磋琢磨」してチーム同士が競り合っている。それが競技につながるのだと思います。
県外の指導者から受ける刺激は本当に大きい。好きで指導している。それは「選手のため」という大きな共通点を持っている。だから「形」にはこだわらない。徹底して「強くなるため」にアクションを起こせる。フットワークが軽く自在に動く。こういう感覚を持ち続けたい。
まとまらないなー。書きたいことが上手く言葉にできません。