kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

自己主張?

2016-07-04 | 陸上競技
ちょっと思うことを。前も書いた「部活動」についての考え方です。

前日見た番組で「クレーム」についてもありました。保護者から連絡があるという話。本当かどうかわかりませんが、クラス担任に夜遅く電話してきて「うちの子供は朝起きるのが苦手だから起こしに来てくれないか?」という話があったとかないとか。いや、そういう部分は間違いなく自己責任だともいます。保護者がついているのであれば「自分の子供は自分で起こしてください」という話。笑い話にもなりません。

今の世の中、「言わないと損をする」という感覚があるのでしょうか。何か起きた時に黙っていたら自分が不利益を被るという感覚。が、本当にそれでいいのかどうか。少し話がそれます。リオオリンピックの「結団式」が実施されたそうです。その中で選手が「国歌」を歌わなかったと元総理大臣が選手団を叱責したとの報道。「代表としてその場に立っているのだから日本の代表としての自覚を持て」と伝えたそうです。それに対してyahooのコメントなどでは「税金を使っていくのだからそれくらいの自覚を持て」という意見。が、詳しく報道を聞いてみると「国歌斉唱」ではなく「国歌独唱」だったようです。代表の一人が「独唱」をするという設定だったとのこと。それを理解しているから歌わなかったという選手も大勢いたのではないかと想像されます。

が、こうやって「きちんとやれよ」と言葉を発した後ではその言葉を戻すことはできません。本当に歌わなかったのかもしれませんし、「理解して歌わない」のかもしれません。こういう部分は難しいと思いますが「これまでの発言」を聞いているとほとんど「自分の意見の押し付け」でしかない方なのかなと思います。

話を戻します。その時の番組では保護者が「この選手を使え」とか「〇〇を辞めさせろ」と顧問に対して保護者が電話で指示をしてくるという話もありました。こうなったら「言ったもの勝ち」です。自己主張とは大きく違います。「発言をする」ということの意味をしっかりと考える必要があります。自分の子供がかわいいからそれを妨害する者を排除しようというのであれば「自己中心的」でしかありません。選手をどのように使うかはそれぞれの顧問の裁量だったりすると思います。中学校や高校では「素人」が顧問に就くことだってあります。自分のほうが競技に詳しいからと言って保護者があれこれ口出しをし始めると収拾がつかなくなります。

その顧問は「ボランティア」でやっている場合が多いのです。いや、多いというか完全にそうだと思います。それなのに「土日の練習試合が少ない」とか「もっと細かい指導をしろ」というのは違うのではないかと思っています。部活内の事に保護者が「もっとこういう運営をしろ」と良い始めたらどの意見を大切にすればいいのか。前も書きましたが「ノイジーマイノリティ」の意見があたかも「全員の意見」のようにまかり通る。「声の大きい少数派」という意味です。「サイレントマジョリティー」(沈黙する多数派)のほうが多い。自己主張をするほうがあたかも「正しい」という風潮がある。

こうなると「なんでもっと意見を言わないのか」となる。「〇〇を辞めさせろ」とひたすら主張したらその子を辞めさせることになるのか。そんなことができるはずがありません。「〇〇を試合で使え」と言ったらその選手を優先的に使うのか。そんなことがまかり通ったら「ノイジーマイノリティ」の方が良いということになる。どちらが良くてどちらが悪いという気はありません。民主主義ですから「声の大きい少数派」の意見を無視するのは違うかもしれません。が、「声が大きい」からその意見が正しいかどうかは別問題だと思います。冷静に判断して「やるべきこと」をやる必要があると思います。

顧問をする。ここに「権利」がある程度発生すると思っています。「これをやれ」と言われてそれに従うだけでは良いことにはなりません、。「お飾り」ではないからです。それぞれ立場があると思います。自分の子供のことだけを考えている発言をすると周囲からどのように思われるでしょうか。それさえ気づかないパターンも多いと思います。なんせ、自分の子供は最高にかわいいですから。自分の子供が嫌な思いをするのは避けたい。そうであれば他の子供はどうだっていい。視野が狭くなり行動が制限されます。

「自分の子供はもっと活躍すはずだ」と思うかもしれません。野球などでいれば試合に出れるのは限られています。それ以外の選手はどうしてもサポートに回ることになる。レギュラー選手を「辞めさせろ」と主張すれば出場する可能性が増えるのかもしれません。しかし、それで試合に出れるでしょうか?そういう考えの中では「自分の邪魔になるものはすべて排除すればいい」という感覚になる。これではよくないと思っています。

私自身、部活の指導をする中で「他の事をやったほうが良いのではないか」という話をすることがあります。基本的な約束事が守れない、練習を一生懸命やらない。こういう子が「単独」でやるのであれば問題はないかもしれません。しかし、集団の中で「自分さえよければよい」という風潮がまかり通れば組織は成り立ちません。当然の話だと思っています。ほかの道を進めることもある。それはお互いのためになると思うからです。こういう指導をすれば「排除するのか」と言われるかもしれない。しかし、そうではないのです。「サイレントマジョリティ」は無視していいのかという話になります。

国歌を歌った、歌わないの件。選手団がそこで「独唱ですよ」「歌う必要なかったではないですか」とその場で反論することはなかったと思います。それぞれの立場を考えての事。「自分だけの立場」で考えのは良くない。それは決して「自己主張」ではないのですから。

うーん、まとまりません。番組を見たときはかなり憤りを感じていたんですが。少し薄らいできている感じでしょうか。まとまりません。お許しを。
コメント
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