kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

どんなチームを目指すのか

2016-07-25 | 陸上競技
続き。になるかどうかは分かりませんが。

ここまで「やりたい動き」をやるために1か月近く準備をしてきました。前も書きましたが長い距離を走る前に60mまでの距離を中心にしっかりと動きの定着を図ってきました。短期間でできないことであっても時間をかけることで確実に動きが変わってきますが、この「準備段階」をきちんとやっていないと「走るだけ」になってしまい本当にやりたいことに到達するのは難しくなります。短い距離を走ってきたのにはそれなりに狙いがあるからです。同じ練習だけを漠然と繰り返している。それもありなのかもしれません。

私は「その日の課題」を練習ごとに示すようにしています。とりあえず走って終わりというのは嫌いです。自由にやるという感じはほぼありません。何をどのようにやるのかを意識させる。これも練習に向けての意識づけですから重要だと思っています。「何のためにやっているのか」が分からないような練習であれば選手にとってプラスにはならないと思うからです。「目的意識を持つ」ことが重要。

前の記事に書いた事があり並走に関しては一切見ませんでした。準備不足の練習を見る必要性を感じないからです。きちんとやっているのであれば見て改善点を指摘する意味がありますがないのであれば必要性はない。当然の話だと思っています。

そこからはスタート練習へ。あまりにも放置するのは大人げないのでこの辺りからは見る事にしました。男子は上位3人が同じ組。女子はリレー4人が同じ組。それなりのレベルのスタート練習だと思います。裏を返せば「簡単に勝てない」のです。どこが失敗すれば他の選手に負けてしまう。高い緊張感を持ってできるといいなと思っています。どうしても「負けたくない」という気持ちが先に立ちます。が、「負けたくない」のであればまずは「自分の動き」をする事が必要になります。相手に勝つ事だけを考えていて勝てるのであれば簡単です。が、実際は自分自身が速く走らないと勝てないのです。そこは勘違いしないようにしたい。あえて言いませんでしたが。

男子にしても女子にしても1年生が強い。2年生が勝てることはほとんどありません。が、ここの段階でどうするかです。勝てないからもういいや、と諦めてしまう上級生ではチームとしては戦えません。どうしたら勝てるだろうかと真剣に考えてくれる上級生でなければチームとしての成長はありません。勝てなくても必死についていく事ができるかどうか。これは1年生同士でも同じ事が言えると思っていますが。

身近にいるライバルに勝てそうになかったらその一本は捨てる。そんな考え方をしていたら差は埋まりません。まー厳しく指導した後ですからそこまでの余裕はなかったかもしれません。それでも1年生が強くなってくれないとうちのチームが戦えないのだけは確かです。それに負けないように2年生が全体を方向づけてくれないとダメ。

そこからバトン合わせをやりました。これは...。走る前の段階です。声が出ません。もちろんその責任の一端は私にあります。私がかなり怒ったので雰囲気が重くなっているのだけは確かでした。が、なぜその空気を変えようとしないのか。「なんでそんなに言われないといけないのか?」と不貞腐れていたり「先生にまた怒られるんじゃないか」と顔色を伺うような練習をしていたら良い練習はできないのです。そこの部分を自分達で切り替えていかなければ。高校生にそういう部分を求めるのは難しいのかもしれません。それでもやっていけるようにならなければ。

チームとして目指すものは何か。これまでは「チーム作り」の土台の部分でした。まずは練習を一生懸命にやる。手を抜かない。サボらない。この手のことをやるのにやはり1年間かかりました。1年経過してこれからは「戦うための組織作り」をしなければいけないと思っています。それができなければ勝負はできないからです。私が強引に誘導する。それも一つの手段だと思います。実際にこの1年間はそうやってきました。

今練習をやっている子は基本的に良い子ばかりです。強くなりたいという気持ちがある。が、穏やかな環境の中で過ごしてきた分、気持ちが優しい所があります。何が何でもやってやるんだという気持ちになれない。また、その必要性を感じない。ここに課題があると思っています。ここを自分達で超えていければかなりの水準に到達すると思っています。

どうしても1年生が目立ちます。が、やはりチームとしては2年生のチームです。この子達がどれだけ同じ方向を見てチームを盛り上げてくれるか。気持ちを引き締めてくれるか。ここにかかっています。戦うのは私ではない。自分達で目指すところを考えてそこに向かう。そうでなければ「面白くない」と考えています。私が面白いのではなく選手自身が面白いと感じなければ苦痛になりますから。

私は矢面に立ちます。この子達に好かれようとは思っていませんから。馴れ合いの関係の中でやる事に価値は見出せません。全ては選手にプラスになると思ってやっています。発言も同じ。

私は「日本一」を目指すつもりでいます。今はまだ周りから「何言ってるの?」と思われるかもしれません。が、今の選手たちなら近づけると思っています。信じているからキツイことも口にします。ご機嫌を取りながらやるつもりはないからです。目指す所が明確なのに届かない事が分かっていて中途半端な指導をするのは無意味になります。遠すぎる目標でしょうか?中国大会に進めたら良いなということは考えていません。

練習自体は悪くない。が、物足りない。それをスタートや合わせをしながら感じていました。満足するレベルではない。本当に目指す所を見てもらいたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

準備すること

2016-07-25 | 陸上競技
思ことを少し。

以前に比べてかなり穏やかになったと思っています。そう思うのは私だけかもしれませんが。前は選手の行動で少しでも「なんだ?」と思うことがあれば徹底して注意していました。が、少し大人になったのか我慢できるようになりました。だからと言ってすべてに関して寛容になるわけではない。何でもかんでも許すというのは間違っていると思います。速く走れないことを怒っても仕方ない。が、やればできることをやらないというのは問題外。ここは最低限の部分だと思います。

月曜日の練習、競技場で並走をしようと思ったら「バトンがありません」とのこと。これは問題外。うちの練習の中心には常にバトン練習があります。やらない日のほうが少ない。競技場でも学校でも走るときには必ずと言っていいほどバトン練習をします。試合前に取ってつけたようなバトンをするつもりはありませんから。練習パターンの中に完全に組み込んでいます。必要な道具の一つです。

が、「バトンを忘れた」とのこと。競技場から借りるという判断をしたようです。本当にそれでいいのか。私はかなりこだわってやっています。バトンも値段が少し高くなりますが「試合で使うバトン」と購入して使用しています。どうでもいい話かもしれません。そんな細かいことを言うなという話でしょうか。が、実際の試合で用いるバトンで普段からやっていくというのは私にとっては重要だと思っています。重さが少し変われば感覚的にも変わるかもしれません。他の部分のこだわりはそれほどないのですが使うバトンに関してはしつこくしつこく言ってきたつもりです。

「少しくらい良いじゃないか」と思われるかもしれません。確かに。が、今回の問題点は「準備が不十分だった」ことにあります。持っていくものは限られています。その準備が足りなかった。普段と異なる物を持っていくようにしているわけではありません。それなのに「準備ができていない」というのはどうなのか。前日が休日だったのもあるかもしれません。当日の朝に道具を取りに来ていますから慌てていたのかもしれない。分からなくはありません。それでも「ぜったに許せない」部分です。これが1度目ではなく前にもありました。その日は練習計画をすべて変えてバトン練習なし。必要な道具がないのですから練習どころではありません。

全ての部分は同じだと思っています。「バトンがないくらいでなぜ怒るのか」と思われるかもしれません。借りればいいではないかと。まー確かにそうなのですが。こちらのこだわりの部分もありますし、「準備すること」を重視していますからこういう部分の抜けはアウトだと思っています。すべてはつながっているのですから。

「試合に出る」ためには「毎日の練習をする」という準備が必要です。きちんとした準備ができていなければ試合では結果は期待できません。春先のリレーは万全の状態ではありませんでした。全員が「準備する」という意味では一人でも故障者が出てこちらが思うような練習が積めていない状態での「試合」で結果がついてくるはずがありません。そんなに甘いものではないのです。きちんとした「準備」ができて試合を迎えることが出来なければ絶対に戦えないと思っています。

試合で結果を出すために「練習」という「準備」をする。今回はその「準備段階」である「練習」をするための「準備」ができていないのです。その時点で「勝てる要素はない」と思います。根性論でも何でもなく「やるべきことをやる」という基本的なことができていないのに勝てるはずがない。準備ができていないのにいい練習ができるはずがない。

以前、インターハイを本気で狙っていった中国大会。選手がユニフォームを忘れてきたことがあります。初日は何も出ないので問題はないと言われればそれまでですが、そこで間違いなく「必要ない心の乱れ」が生まれます。その時点で「勝てるモノも勝てなくなる」のです。準備がしっかりできていれば試合が近づいたときに「どうしよう」と慌てることはない。結果的に「間に合えばいい」のではなく「無駄なことをしなくていい」というのは本当に大きなことなのです。試合が近づいてきたときにバトンが不安だからと言ってバトン練習を始めるようでは「勝負する前に終わり」です。

こんなことはどうでもいいと思うかもしれません。が、こういう部分の積み重ねが間違いなく大事なのです。「目標に向かって準備する」という感覚があるかどうか。「自分が目指す動き」があってそれに向けて一つ一つ動きの改善をしていく。これも「準備」です。とりあえずやっているだけで上手くいくのであれば指導する必要はないと思います。自分の思うようにやればいい。中学校時代とは違う。去年とは違う。その感覚を持っているのかどうか。「誰かがやってくれるだろう」というスタイルが定着しているからこのような「必要のないミス」を繰り返すのです。

やれることを全てやってレースに臨む。この感覚を持てているのかどうか。できないなら仕方ないという選手であれば100%大成しません。学校で練習をするのであれば道具の運搬などは関係ないかもしれません。が、学校と競技場を利用しながらやるのであれば「準備する」という感覚は必要不可欠だと思っています。

試合でいい結果を残したいと思えばいい練習をするしかありません。適当な練習をしていて勝てるのであれば簡単な話です。私がわざわざ足を運んであれこれやる必要はありません。自分たちで「自己満足」をしておけばよい。最後に「もっとやっておけば良かった」と悔し涙を流せばよい。「自分たちはこんなに頑張ったのだから」という感覚の中で生き続ければ良い。その枠の中から出ていかないと何も生み出さないのです。それに気づかない限りは「県で優勝したい」という言葉を口にするべきではありません。インターハイに行きたいというのは本当に一生懸命にやっている選手に対して失礼だと思います。口にする資格がない。

私は「みんなで集まってワイワイやりたい」という部活をやりたいとは思いません。どうせやるからには「全て一生懸命にやる」ことで今まで見えなかった自分自身に気づきそれを超えていくことが必要だと思うからです。そういうチャンスは人生の中で何度もありません。私に「怒られるのが嫌だ」と思うのであればそれは論点が違います。「誰のためにやるのか」です。怒られるから「準備万端」を目指すのであれば結局は強くはなりません。自分のためにやるという感覚を持ってもらいたい。

「準備」をすることです。良い走りをしようと思えばその走りに必要な動きを身につけないといけない。その動きを身につけるための基礎筋力の向上が必要になる。筋力を上げようと思えば「きつくてもやり切る」という「心」が身についていなければいけない。すべては「やろうとしていること」の前段階の「準備」ができているかどうかなのです。今回はかなり怒っています。同じことを繰り返している間は強くならないからです。当然の話です。

「準備をする」という感覚。どれだけの人が分かってくれるか。理解してもらえないかもしれない。試合で結果を出すためには「強気で臨め」ではない。精神論で勝てるのであれば簡単な話です。そうではなく「前段階の準備」を時間をかけてやっていくことが出来なければ強くなることはないと思っています。

うーん、上手く書けていないかもしれませんね。それでも記しておきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする