こんにちは。塾長の鴨志田です。
先週末の土曜日、今月のボイストレーニングに出席しました。
午前中は2時間、発声を学びます。約1時間ほどストレッチ(正式には「ののゆる体操」)をして、その後、母音の発声練習をします。
午後は、ナレーションの朗読を学んでいます。
以下に、レッスンでの気づきを述べたいと思います。
1)伝えたい相手を必ず見て声を届けることの大切さ
母音の発声練習をするときは、どこに声を届けるが、各自、ポイントを定めます。私はいつも教室内の観葉植物に狙いを定めています。レッスンの途中で、他の方が場所を移動されました。その方曰く、元の場所では、ベランダのコンクリのフェンスに向かって声を出すことになるので、移動したとのこと。コンクリに向かって声を出すと、自然と強い発声になってしまうのだそうです。それより、室内の観葉植物の葉っぱ1枚1枚に向かうと気持ちよく発声できるのだそうです。私も、広がる声を出す練習では、観葉植物の横幅いっぱいに声を届けるように意識します。また、大きな声の練習では、観葉植物の一番高いところまで届くように意識します。
2)声は心の状態を正直に表してしまう
私の声をもっとのびやかにするために、先生が「ここに小さな子供がいて、その子に話しかけるように発声をしてごらんなさい」と指導くださいました。しかし結果は……「鴨志田さんは、子育てを経験していないので、おそるおそる出してしまい、気持ちが引いているのが声に出てしまっている」と。先生の声に対する「見抜く力」は本当にいつもプロを感じさせます。同時に、心の内は、すべて声に出てしまうことをあらためて実感しました。
3)伝わる話し方は、息継ぎが鍵
人に伝えるとは、どこで息継ぎをするかがとても大事。ナレーション原稿を読むときは、事前に、どこまでは一息でよみ、どこで息継ぎをするのかを意識するのですが、それがなかなか、上手くいきません。今回は、原稿に「完全な人工知能の開発は、人類の終わりを意味するのかもしれない」私は、無意識のうちに、「人類の終わり」を一つのフレーズと解釈してしまいましたが、実際は違います。「終わりを意味するのかもしれない」が一つのフレーズです。文の中で、何が大事な意味があるのか、このフレーズでは「終わり」なので、この部分を少し音程を高くして「意味するのかもしれない」はまた元の音程で落ち着く読み方が望まれます。
4)息が足りない人は、助詞を強調してしまう
「……で、……」の「で」などの助詞を強調する人が時々います。これは、一見、語尾を強調することで、ここは大事な部分ですよを伝えているつもりなのかもしれませんが、先生曰く、息が足りないので助詞で声を大きくすると、ほっとしてその反動で自然に息をしているのだそうです。
声や話し方は、とても奥の深い世界です。