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家康の非凡さは3段ロケット

2025-02-24 12:00:00 | 24期のブログリレー

 みなさん、こんにちは。24期生の中野直哉です。
 早いものでもう2月も終わりですね。
 昨年の今頃は日本工業大学専門職大学院中小企業診断士登録養成課程での5回目の診断実習終盤でした。
 そのときの指導員の先生は、私にとってのコンサルタント師匠の一人でもあるO先生ですが、O先生の持論に、社長の瞬間的な判断は直観であり、勘ではない、というものがあります。
 なんだかカンでやっているように見えるが、社長はそれまでの経験や蓄積をもとに、時間をかけて論理立てて判断するのではなく、直観で判断する。直観の背後には非言語的なロジックの構造がある、といったものです。「だから社長はね、歴史ものが好きなんだよ。とくに日本のね。信長とか秀吉とか家康とか。幕末とかね。ああ、こういうとき俺だったらどうするだろう、そう思って読んでるのさ」……なるほど。
 私もそれで、これまで社長に何度かインタビューをする中で、ぜひ読書歴を訊いてみたいものだ、と思いつつ、報告書、提言書として返すことができないことは訊くべきではない、という指針のもと、いまだに実現できていません。

 ところで、前置きが長くなりました、本日のタイトルですが、先日ふと、社内で交わした『あなたはこれからコンサルタントとして独立してやっていくなんて、すごいね。自分はもうローンも終わったし、子供たちも自立したし、働くモチベーションがなくなってね。これから何か新しいことを始めようとは思えない』という会話の一部を思い出し(私は今年、独立開業いたします)ました。そして、とつぜん、「光秀が生き延びて家康のコンサルタントになったという説はありえないな」という考えが到来しました。

 ご存じのように、光秀が信長に謀反を起こしたのは、多種多様な説がありますが、自分が丹精込めて経営してきた琵琶湖南端近くの坂本城と丹波、近江志賀郡の領地を召し上げられ、代わって石見、出雲をということになったがそこは敵地。切り取り次第とはいえ、また一からやり直しか、と悲観したことが理由の一つともいわれています。これが本能寺の変の直前、1582年。

 そしてこれもまたご存じのように、家康が秀吉によって父祖伝来の三河、そして遠江、駿河、甲斐、信濃の五カ国を取り上げられ、北条氏なきあとの関東六カ国に国替えとなったのが1590年。一説には、領国が増え、多様な家臣団の統率に苦労した家康がこの国替えを喜んだ、というものもあるようですが、三河が家康にとって運命を左右してきた土地であり、五カ国の経営に苦心にてきたことを思えば、いまこのときに!?といった想いがなかったということはないのではないでしょうか。しかし家康は江戸に入ります。同行した家臣は1万人ほどだったともいわれています。秀吉は、光秀のような謀反の可能性もありえなくない、と思っていたようですが、家康は光秀とは異なる行動をとりました。江戸に可能性を見出し、開発に取り組んだのです。

 この二人の違いは何か。それまで慣れ親しんだ環境を離れ、新たな段階にチャレンジできるか、でしょうか。
 と言ってしまうのも光秀には酷かもしれません。なんといっても信長はスティーブ・ジョブズ氏やイーロン・マスク氏を上回るキャラクターに違いないですから。ただ、家康は第二創業ができた。光秀にはできなかった。だから、光秀が生き延びて、家康の助言者となったということはありえない。家康のほうが考えが柔軟で視界が広いから。
 さらに家康は第三創業もできた。
 1603年の征夷大将軍任命と江戸幕府です。家康の非凡さは、まさに3段ロケットだったことにあるといえますね。 

 織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座ったままで食うは徳川

 中学校か高校の歴史で習ったような覚えがありませんか。しかし字面だけで判断すれば、いや、とても家康は座ったままではなかった、のではないでしょうか。

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3 コメント

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Unknown (永岡伸一)
2025-02-24 20:56:56
それぞれの武将の心理を起業になぞらえてのご解説、面白いですね。歴史は繰り返すといいますが、先人達の道を見習って、自分を成長させたいものです。
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Unknown (山口賢哉)
2025-02-24 20:55:28
ネットを検索すると、家康が江戸に国替えさせられたのが49歳らしいです。今の感覚ではプラス約10歳くらいとも言われているようなので、まだまだ気力も十分あったのでしょう。
独立を目指す気力のある我々のような企業内診断士も可能性はあるなと思いました。
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Unknown (今村信哉)
2025-02-24 12:37:59
直観と直感。今まで両方とも「直感」という文字を想起していましたが、意味が異なるのですね。
何歳になってもチャレンジできるように、心も身体も軽やかにいきたいと思います。またコンフォートゾーンから踏み出すことも習慣付けたいと思います。
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