第14期生の高橋裕司です。
早いもので、今年もあと2週間ほどを残すのみとなりました。
いろいろと世間は騒がしかったですが、中でも「STAP細胞問題」は我が国の科学技術界を揺るがす、一大騒動となりました。
まったくの門外漢が、しかも今さらあれやこれや言うのは甚だお門違いだとは思いつつ、個人的に感じたことを書いてみたいと思います。
そもそも「STAP細胞問題」とは、朝日新聞DIGITALによると、理化学研究所の発生・再生科学総合研究センター(当時。以降、理研CDB)の小保方晴子氏を中心として、2014年1月に英科学誌ネイチャーに掲載された「STAP細胞論文」において、数々の疑義指摘から不正認定され、結果的に取り下げられたというものです。
そしてこの12月、厳重な監視下で行われた、一連の研究の当事者であった小保方氏による検証実験の結果、STAP細胞の作製は実現されず、理研によって論文掲載の手順ではSTAP細胞は再現できないと結論付けられたとのことです。(理研の会見が12月19日に予定されているとのことです。)
ここで素朴な疑問が湧きます。
「対外的に公表される資料に対して、その十分な裏付けはとられていたのか?」
ということです。
今回のような研究論文がどのような過程を経て公表されるのかは定かではありませんが、少なくとも一般的なビジネス文書においては、作者以外の誰彼のレビューを経て、第三者の目に触れる手順になっていると思います。
まして国家の威信にかけてといった位置づけにあるような、人類史上における革新的な学術論文として世界的に発信されるようなものであれば、その文責や後ろ盾としての責任の重さを慮ると、かなり入念なレビューが繰り返され、検証に検証を重ね、そのうえで十分な裏付けが取られているものであった(?)と思われます。
未知の分野に関する文書であることに加え、実験結果としてのエビデンス取得方法や実験そのものの進め方の検証、文書様式の標準化の困難さ、および文書の物量的なところでのレビューの困難さなどを加味したとしても、なぜこのような事態に?というのが率直なところです。
翻って世界は大きく狭まりますが、中小企業診断士として経営者への改善提案をする場合、論理的なつながりはもとより、その論拠には明確な裏付けがあって初めて説得力を帯びてくるものと考えます。
それは数字や事実をもとにした、客観性が十分に保たれたものでなければなりません。
モノゴトを伝えようとする場合、それが新規性を帯びれば帯びるほど、影響範囲が大きければ大きいほど、そのモノゴトに対する裏付けの重要性は増していくものと考えます。
そういった意味で、今年の「STAP細胞問題」においては「存在しない」と確定したわけではないものの、論文掲載までにどこまで裏付けが取られていたのか?途中で引き返すことはできなかったのか?諸説いわれる業界的・組織的諸事情をすべてすっ飛ばしたとしても、とても残念でなりません。
最後に、世界に誇れる再生医療界の至宝であった笹井氏に対し、心からのご冥福をお祈り申し上げます。