あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

家族の肖像~親子の対話 その101

2023-10-16 13:36:20 | Weblog

家族の肖像~親子の対話 その101

 

2023年8月

 

お父さん、きょう石原さとみ、録画してください!

はい、分りましたあ。

 

お父さん、ぼく、イシハラサトミのビデオ見ますお。

いま見たいの?

いま見たいですお、

分りましたあ。

 

お母さん、ぼく図書館行ってえ、ハス見てえ、セイユウ行きますお。

分りましたあ。

 

お父さん、洗濯もの外で干してる?

外で干してるよ?

 

ぼく、カーブミラー好きですお。

お父さんも。

 

ぼく、布袋草、好きですお。

お母さんも。

 

ぼく、遅くなってもいいですお。

 

ぼく、ウチダアサヒです。

こんにちは、ウチダアサヒさん。

 

お母さん、ぜいたくって、なに?

いらないものまで、どんどん買ってしまうことよ。

 

ぼく、前、オシン見ましたよ。

そうなの。

ぼく、オシン好きですお。

そうなんだ。

ぼく、責任持ちます。

そうなの。

 

 「彼彼女」と書けばクリアしたと思ってる「彼彼女そのほか」というべし 蝶人

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西暦2023年神無月蝶人映画劇場その2

2023-10-15 11:09:19 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3401~3405

 

1)浦山桐郎監督の「私が棄てた女」

遠藤周作の原作を1969年に映画化されたが、主人公のハンセン病はカットされている。浅丘ルリ子が美しく、小林トシ江が素晴らしい。

 

2)アナトール・リトヴァク監督の「私は殺される」

バーバラ・スタンウイック主演、バート・ランカスター共演に拠る1947年のスリラー。電話を旨く使ったシナリオで緊迫感を盛り上げていく。

 

3)ゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「ボーダーライン」

エミリー・ブランテが麻薬王と闘う2015年のアクション映画ずら。

 

4)ジョン・フォード監督の「アパッチ砦」

プライドだけは高く周囲の声に耳を傾けない独善居士のカスター将軍が、墓穴を掘って玉砕していく哀れな1948年の物語。ここではアパッチの敵将のほうが遥かに偉大な存在として描かれている。

 

5)マルセル・カルネ監督の「おかしなドラマ」

ルイ・ジューヴェ、ジャン=ルイ・バローが出演する1936年のあまり面白くないドタバタ喜劇。

 

   雨が降り槍が降ろうがなんのその生魂たばしる川内優輝 蝶人

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水原紫苑短歌集「快樂」を読んで

2023-10-14 11:56:27 | Weblog

 

照る日曇る日 第1968回

 

 三島由紀夫飛翔たりし生首も銀河ながるるさくらはなびら

 

 にっぽんをふかく愧じつつにっぽんのパスポート付けむわがうつそみに

 

 沈黙(シランス)!と幾たびもきこゆ秋の日を盲ひゆくモネの沈黙に堪ふ

 

巴里の、そして宇宙の真只中で、有り余る古今東西の教養の残骸を徒に放射しながら、官能にうち震える女がひとり。

 

いかにも水原的だと思うのは、このような歌である。

 

 雪子の下痢美しかりし細雪、美しき嘔吐なかりしき記憶

 

 わたくしはくわんおんなればゆめにだに怒るまじきを馬頭くるしも

 

 サン・ジェルマン・デ・プレ教會ほのぼのと明石の浦にあらましものを

 

 花の木にと隣り合ひたる電柱のかなしみをもて荒野へ.ゆかむ

 

さりながら大方の歌人や民草が見て見ぬ振りをする、このような歌が、もっと水原的だと思う。

 

 権力の存在せざる星に棲み不老不死なる犬となりたし

 

 革命は怖ろしけれど細胞のひとつひとつが革命ならむ

 

 アメリカと中國に分断なされなば海賊とならむ老少女われ

 

 大元帥白馬に乗りて微動だにせずそよそのままに裁かるべきを

 

 視界白くなりゆくまでに降る雨の彼方より来る獨栽よ

 

 亜米利加の傀儡たるは祖父ゆ継ぎたる道とたれも知れれど

 

 國葬はくにを葬る秋ならばかへらざるべし血の蜻蛉島

 

 

  まえがきもあとがきも著者紹介もなき歌集あり潔きかな 蝶人

 

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岩波文庫版・泉鏡花作「高野聖・眉かくしの霊」を読んで

2023-10-13 16:28:09 | Weblog

 

照る日曇る日 第1967回

 

「参謀本部編纂の地図をまた繰開いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手を触るさえ暑苦しい、旅の法衣の袖をかかげて、表紙を付けた折本になってるのを引っ張り出した。」という、序からはじまる講談「高野聖」を声に出して読んでみよう。

 

「心持余程の大蛇と思った。三尺、四尺、五尺四方、一丈余、段々と草の動くのが広がって、傍の渓へ一文字に颯と靡いた。果ては峰も山も一斉に揺いだ、恐毛を震って立ち竦むと涼しさが身に沁みて、気が付くと山嵐よ。」

 

幻想、奇想、空想、官能世界の基礎になっているのは、そのプルーストを思わせる、長ったらしく入り組んだ、されど精密に微分積分された螺旋状の文体である。

 

「裸体の立姿は腰から消えたようになっていて、抱きついたものがある。

「畜生、お客様が見えないかい。」

と声に怒りを帯びたが、

(お前たちは生意気だよ、)と激しく「いいさま、腋の下から覗こうとした件の動物の天窓を振返りさまにくらわしたで。」

 

主語と話者、語りと地の叙述が頻繁に入れ変わるのでよく目を凝らしていないと、あるいは目を織らしているので、目が眩む。

 

「女滝の中に絵のようなかの婦人の姿が歴々、と浮いて出ると巻き込まれて、沈んだと思うとまた浮いて、千筋に乱れる水とともにその膚が粉に砕けて、花片が散込むような。あなやと思うと更に、もとの顔も、胸も、乳も、手足も全き姿となって、浮いつ沈みつ、ぱッと刻まれ、あッと見る間にまたあらわれる。私は耐たず真逆に滝の中へ飛込んで、女滝を確実と抱いたとまで思った。気がつくと男滝の方はどうどうと地響打たせて。山彦を呼んで轟いて流れている、ああその力を以て何故救わぬ、儘よ!」

 

鏡花の文章は、現代小説が多様化で弱体化すればするほど、その原初的な幻想力の威光が強力に沁みとおるように思われる。

 

  インフルと宣告されたがその翌日インフル脱しかなり良くなる 蝶人

 

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西暦2023年神無月蝶人映画劇場その1

2023-10-12 15:34:02 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3396~3400

 

1)キング・ヴィダー監督の「結婚の夜」

恋愛小説家クーパーが主演する1993年の恋愛映画。ヒロインのポーランド娘のアンナ・ステンは階段からステンとおっこちて死んでしまい可哀想ずら。

 

2)「暗闇の中で銃」

1937年のどうしようもない映画。翻訳もメチャメチャずら。

 

3)ルイス・マイルストン監督の「雨」

モーム原作に拠る1932年の恋愛映画。ジョーン・クロフォードの存在感は抜群。

 

4)鈴木清順監督の「殺しの烙印」

シシドジョー、南原講師、マリアンヌが出る1967年のスタイリッッシュを気取ったそれゆえに阿呆臭いアクション映画。

 

5)ピーター・ランデズマン監督の「パークランド」

トム・ハンクス製作2013年のケネデイ暗殺映画。エネデイに続いてオズワルドまで担ぎ込まれたダラスの病院を舞台に当時の8ミリの撮影者やオズワルドの兄が登場するので、なにか新事実が出たのかと期待したがなにもなかったずら。

 

   意を決し発熱外科を訪ぬればコロナにあらずインフルエンザ 蝶人

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祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

2023-10-11 10:17:11 | Weblog

 

遥かな昔、遠い所で 第104回

 

第1話 母の眼病その4

 

母は眼病後も7、8年経った頃、胆石病でおお患いをした。

胆石独特のはげしいはらいたがたびたび起こってひどく苦しみ、からだは見る影もなくやせ衰え、医者の薬もききめがなく、再三再四起こるさしこみに耐える力もなく、ただ死を待つばかりのありさまとなった。

 

この時も私は、眼病の観音様に祈ったのと同じ気持ちで、「私の命を3年縮めて母を病苦から救い、あと3年の寿命をお授けください」と、今度は、母の信仰する生まれ在所の稲荷様と讃岐の金毘羅様に、毎朝頭から3杯の水をかむって祈りに祈った。

 

その時の主治医の長澤さんが、「それは手術して胆嚢を切り取ってしまうよりほかに、仕方がない。私がやってみる」といわれた。まだ若い内科医の長澤さんが、まだやったことがない胆嚢摘出という大手術を、衰弱しきっている母の腹を開いてやろうというのだから、これもまた一か八かである。

 

ところがこれがまたみごとに奏効して、母は胆石の病苦を脱し、健康を回復して49まで生きた。

 

この二度の体験、わけても12歳の時の体験は、「まごころをこめた祈りは、必ず神仏に容れられる」という信念を、私に植え付けた。

これが子供心に焼き付けられて信仰の芽生えとなり、私は常に神仏を認め、これを敬い、これを畏れた。

 

後にキリスト教に入信し、いまだ、はなはだ至らない信仰ながら、ひたすら神を求めて祈りと感謝の明け暮れを送っているのは、この少年の日の苦難からもえ出た信仰の小さな芽生えが、雨露の恵みを受けて枯れしぼむことなく育った賜物である。

 

「それ信仰は、望むところを確信し、見ぬものを眞実とするなり」(ヘブル書第11章1節)

これは聖書中、信仰の定義といわれている有名な一節であるが、私が12歳の時の体験は、信仰というにはあまりにも幼稚なものであったにしても、この聖句の一端にシカと触れたものだと思い、かかる機縁を恵み給いし主と母とに感謝している次第である。

 

   熱が出て咳は止まらず眠れないまたもコロナにしてやられたか 蝶人

 

 

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祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

2023-10-10 09:15:16 | Weblog

祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

 

遥かな昔、遠い所で 第104回

 

第1話 母の眼病その3

 

この御祈祷のあと、綾部から父が来た。この時、老院長は父に向かって「ひとつ一か八かの治療をやってみようと思うのだが」といって父の承諾を求め、その治療が行われた。注射器の針を眼尻の少し上のあたりに差し込んで血を取ったのである。ドス黒い血が太い注射器にいっぱい近く取れた。

 

その翌日、母を便所へ連れていく時、病室から明るいところへ出ると、母は私の肩から手を放して、「これ、畳のフチじゃないか。これ、障子のサンじゃないか」といって、畳を撫でたり、障子に触ったりするのだった。

 

「ああ、眼が見える! 源や! わしは眼が見え出した。うれしいことじゃ!うれしいことじゃ! 勿体ないことじゃ! うれしいことじゃ!」と、まるで気ちがいのように大きな声を出し、変な身振りで二度も三度も躍り上がるのだった。

 

それから畳に身を投げ出し、掌をいそがしくすり合わせて、観音様や院長様にありったけの感謝のことばを並べあげるのである。

 

この騒ぎに病院中の人がみるみる集まってきた。みな百万遍の珠数珠を回してくれた人たちである。眼が見えだしたと聞いて、誰もかもが自分のことのようによろこび、言い合わせたように一回ひれ伏して、観音様に奉謝の祈りを捧げ、祝福のことばが雨のように私たち母子の上に注がれた。

 

母の眼は、それからグングン良くなった。大体元通りになって、生涯さしつかえないだけの視力を保つことができた。

私はこの時おかげを受けた観音様や、親切にしてもらった多くの人々の御恩を忘れることができない。

 

十二坊の病院は、今はない。あの辺もひどく変わって、今は相当の繁華街になっているが、観音様は少し位置は変わったが、通りに面して今もある。後に、ほど遠からぬ場所にネクタイ工場を持った関係から、今はクリスチャンの私であるが、通りすがりには少しくらい回り道をしてでも、時々お参りをしている。

 

馬場治右衛門さんは、舞鶴辺の人と聞いていたが、住所の森というところがどうしても分からなかった。去年ある人から、東舞鶴の森の宮町が、昔は森といった、と聞いたので、行ってみたら、お宮の出口のところに馬場という豪家があった。

 

尋ねてみたら当主を亀吉といい、亡き祖父の名が治右衛門で、碁の名人だったこと、私たち母子の話も祖父から聞いていたとのことだった。私は後日改めて手土産を携え、再び馬場家を訪れ、仏をおがんで旧恩を感謝した。

ただ越前とのみ聞いていた川合おえんさんの住所は遂に分からなかった。

 

    Xを「X(旧ツイッター)」と書く夜長かな 蝶人

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祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

2023-10-09 08:38:26 | Weblog

祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

 

遥かな昔、遠い所で 第103回

 

第1話 母の眼病その2

 

病院には広々とした庭があって、中に観音様の御堂があった。お参りする人が次から次へとあって、線香の煙の絶え間がなかった。母の目を治すために、何か祈りたい気持ちでいっぱいだった私は、母から聞いた柳谷の観音と、いずれ同じ観音様だから、これに母の眼病平癒を一心込めて祈ってみようと決心した。

 

毎朝母が目を覚ますと、いちばんに便所に連れていかねばならぬ。それから次々と用事がある。お参りは、まだ母が目を覚ます前にしなければならない。

私は毎朝うすぐらい時に起きてお参りをした。それからお祈りをするにしても、ただ「お母さんの目を治して下さい」だけでは、自分の真心が観音様に通じないような気がして、とつおいつ考えて、「私の片目をお母さんに上げますから、お母さんの片目だけでも見えるようにして」といつでも祈った。

それもただ心の中で念じるだけでは通じないような気がして。声に出して祈った。

 

こんなに早く誰も聞いている人は無いと思って、声はだんだん大きくなった。

ところがそれを聞いている人があった。丹後の森というところから来ている馬場治右衛門というおじさんと、越前から来ている川合おえんさんというおばさんだった。

 

馬場さんは目の悪い奥さんに付き添って来ていて、ひまさえあれば老病院長の碁のお相手をしている心の優しいおじさんだった。

おえんさんも優しい世話好きの良いおばさんだった。

 

この2人が病院中」、に言いふらして、「可哀そうなことだ」、「感心なことだ」と、大変な同情を呼び、とりわけ老病院長がすっかり感動して、病院長と老夫人が願主となり、馬場さんやおえんさんたちが奔走し、病院中こぞって観音様に百万遍の大祈祷を病院の大広間で開くことになった。

 

私もその座に連なった。見ると一つひとつの玉の大きさがピンポンの玉ほどもあるような大きな数珠を座敷に置き、それを囲んで一同が輪に座り、まず願主の祈りがあると、続いて会衆は口々に南無阿弥陀仏を唱えつつ両手で玉を送って数珠をグルグル回すのである。

 

玉の中に格別大きくて房の垂れたのがあって、それが老院長のところへ回ってくると、老院長はうやうやしくこれを押し頂き、「戌の年三十三歳女眼病平癒致しますよう南無大慈大悲の観世音菩薩」と唱え終わると、すぐにまた数珠回しが始まり、これが限りなく繰り返される。

 

はじめのうちは数珠の回りがゆるやかだったが、だんだんそれが早くなり、念仏の声も高くなり、一人ひとりに憑き物でもしたかのように満場湧きかえるような白熱した祈りとなった。

 

私は人の情のありがたさに泣き、これほど熱のこもった大勢の祈りは、きっと観音様に通じて御利益が頂けるだろうと、何だかひどく元気づけられた。母もきっとおかげが受けられるだろうと言って喜んだ。

 

   藤沢の市役所行けばメダカ池に藤沢メダカが泳ぐ10月 蝶人

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祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

2023-10-08 09:29:09 | Weblog

遥かな昔、遠い所で 第102回

 

第1話 母の眼病その1

 

私が行き年12の時、(以下年齢はいずれも行き年)、33歳の母は4人目の子を産んで、この子は育たず、母は産後眼を病み、だんだん悪化してついに全く失明してしまった。

 

にわかめくらの不自由はたとえようもなく、何とかして治さねばと、当時は日本一の眼医者として知られた浅山博士を院長とする京都府立病院で診療を受けるため、渡世の下駄屋を閉め、弟と妹を親類に預けて、母をカゴに乗せ、父と私が付き添って2晩泊まりで京都へ行き、東洞院佛光寺上ルの十二家という丹波宿に泊まり、翌日京都府立医大病院に行って浅山博士に診てもらうと、「これはクロゾコヒといって、とても治らぬ眼病だ」と宣告され、母はガッカリして、「死んでしまう方がよい」といって泣き悲しみ、父も思案にあまって、このまま綾部に帰る気にもなれず、途方に暮れていた。

 

すると母は、「わたしは柳谷の観音様におこもりして、“消えずのお灯明”をあげて一生一度の願を掛けてみようと思う。どうぞわたしをそこまで連れて行って、あとはどうなろうとかまわずに、3人は綾部に帰っておくれ」と、いうのだった。

 

母はかねて柳谷の観音の霊験あらたかなことを聞いていたのである。“消えずのお灯明”よいうのは、手のひらに油を入れてお灯明をともし、一生一度の大願を掛けるのだということである。だが、そんなところに、この不自由な母をおきざりにして帰れるものでもなし、ますます困り果てて悲嘆に暮れ、2人の駕籠かきまで一緒に泣いてくれたほどだった。

 

この愁嘆場を十二家の主人が見るに見かねて親切に慰めてくれ、それから「千本通鞍馬口は十二坊というところに、俗にエッタ医者という眼医者があります。たいへん上手で、いかな難病でも治すという評判が高く、遠国からも病人が来て、ひどくはやっているそうです。そこへ行って診ておもらいになったらいかがでしょう」とすすめるのだった。

 

藁にもすがりたい気持ちの私たちは、すぐに母を駕籠に乗せて、京の町を端から端へ、遠い千本通鞍馬口へ、十二坊のエッタ医者(ママ)というのをたずねて行った。

 

行ってみるとこの辺は京も田舎の静かなところだったが、病院はなかなか大きく立派だった。院長は益井信といい、そのお父さんの老院長とともに開いている眼科専門の病院だった。

 

院長の診断によれば、いかにも難病は難病だが、まんざら見込みがないとはいわないのである。ところが入院しようにも病室は満員でどうすることもできない。それを何とかして、「せめて1週間でもよいから」と頼んで、薬瓶など積んであるせまい物置部屋を片付けて収容してもらった。そこで父と駕籠かきは綾部へ帰り、私が母の介抱に残った。

 

にわかめくらの母は、何一つとして自分ではできない。食事の世話は箸の上げ下ろしから、便所通いにはいちいち肩を貸し、私は大事な大事な母、好きな好きな母のために、学校を長く休むかなしさとも、友だちと遊べないさびしさも忘れて、かた時も傍を離れず介抱した。

 

   アキさんと西村朗氏の掛け合いが昨日の様だ「現代の音楽」 蝶人

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一本道

2023-10-07 16:48:48 | Weblog

これでも詩かよ 第303回

 

 

神田鎌倉河岸にある、とても小さなビルで働く仲間たちと一緒に、

第2次関東大震災直後の、帝都駅の近くまで歩いて来た。

 

蜘蛛巣城のように高く聳え立つプレミア超幹線のプラットホームを見上げると、最後尾の13号車に、善良な市民や俸給労働者の貌をした、町内会、自警団、愛国婦人会員らが群がっている。

 

またしても大勢の伊藤野枝や大杉栄、孫文や周恩来やBTSを、鎌や竹槍や出刃包丁で殺戮し、その返り血を浴びて全身血塗れのまま、吊革にぶら下がって「君が代オマンタ音頭」を高唱している。

 

今日は、そんな帝国の臣民を慰労するべく、シン帝国政府が特設した、「全国プレミア新幹線13号車無料の日」なのだ。

 

いままで一緒に歩いてきた、人事のウチダやナカザワ課長、総務のごますりワタナベや広報のカトウ嬢たちは、「今からでも急げば、あの最後尾の13号車に滑り込めるはずだあ!」と、口々に叫びながら、蜘蛛巣城のように高く聳え立つプラットホームを目指して、「イチニノサン! ゴオ!」で駆けていったが、私らはそうしなかった。

 

熱血ラッシュアワーであんなに混んでいる列車に、彼女を乗せるわけにはいかない。

「ぼくたちは、次のが来るまで、しばらく待っているよ」と彼らに言って、

線路と並行している狭い野道をずんずん歩き始めると、彼女も後を追ってきた。

 

ラララ、2人だけの野道だ。

ラララン、2人だけの夜道だ。

知り合ってまだ日も浅いのに、いつの間にか2人は手をつないで 

ゆっくり、ゆっくり、一本道を歩いて行った。

 

初めて手をつないだが、手をつなぐことがなぜか恥ずかしく、

そのうえ、手に汗が滲んできたのが気になって、

ぼくは彼女の掌の真ん中を、中指で一回だけ、チョンと突っつくと、

彼女も一回だけ、チョンと突っつき返してきた。

 

「しめた!」と思って、

今度は掌ぜんたいを、2回連続で、グッ、グッ、と握りしめると、

彼女も2回連続で、グッ、グッ、と握り返してきた。

 

「やったあ!」と思って、

今度は間を開けて、3回連続で、ギュッ、ギュッ、ギュッ、と握りしめると、

彼女も3回連続で、ギュッ、ギュッ、ギュッ、と握り返してきた。

 

「超ウレピイな!」と思って、

今度は回数を間違えないように、「イチ、ニー、サン、シー」と頭の中でカウントしながら、10回連続で、ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ、と握りしめると、彼女も10回連続で、ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ、ギュッ、と握り返してきた。

 

それからぼくは、「生まれてこの方、これ以上幸福な瞬間は知らなかったなあ」と思いながら、もうすっかりうれしくなって、彼女の手を握り締めながら、

暗い線路沿いの一本道を、とこまでも、どこまでも、歩いて行ったのでした。

 

    手術後は髭剃り禁止と命じられゴッホの顔で目医者に通う 蝶人

 

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「夢は第2の人世である」第129回

2023-10-06 10:36:25 | Weblog

西暦2023年皐月蝶人酔生夢死幾百夜

 

電車に隣り合わせに座った男は、自分が惚れた女の鼻が、さながらピノキオの鼻であることに気づき、女は、惚れた男の唇が、ホッテントットのように分厚いことを知って興冷めし、かくて百年の恋も一瞬にして終わったのであったあ。6/1

 

幸い自宅が大学の坂下にあったので、私は試験日には弁当を持って早朝から坂道を登っていくと、暗闇の中で受験生たちが蠢いていた。大学の正門をくぐると、学生たちがブラックエンペラー集会を開催していた。6/2

 

試験を受けている最中に空腹を覚えたので、風呂敷をを開いて日の丸弁当を喰っていると、父から「試験ぐあんばれよ」という電話をもらったのだが、死んでから半世紀以上経って、史観会場でそんな電話を貰ったことが、不思議でならない。6/2

 

僕らは解雇される前に、一人前のデザイナー&ディレクターとしての仕事がやれる技量を、身につけさせてもらいたい、そうなったらいつレイオフされても結構だと喰い下がったのだが、テキがは、そんな都合のよい主張を認めるような甘い経営者ではなかった。6/3

 

原宿本社の5階の突き当たりに、来日して展示会を開いたデザイナーのペリー・エリスが、通訳のサトウケイコ嬢に付き添われるようにして立っていて、マスコミの取材を受けているのだが、彼の顔は逆光になっていて、よく見えない。6/5

 

同じ5階の反対側のエレベーターの前に1台のレッテラ・ブラックが置いてある。米国最古の婦人衣料ブランド「ボビー・ブルックス・オブ・ニューヨーク」を担当する英語の堪能な課長が、中目黒のレナウンルック社に移転するので捨てたのだろうが、勿体ないので拾っておこうかと迷う。6/6

 

来客があるというので、1階の正面玄関まで降りていくと、葉山に住んでいるという写真家のブルース・オズボーン氏が井上佳子さんと一緒に立っていて、「このビルはガンダムに似ているので撮影したい」というので、「どうぞどうぞ」と答えて、彼が撮影するのを見ていた。6/7

 

余は反乱軍の仲間たちと、専権王の軍隊に向かって突撃していたが、ドンキホーテに扮した指揮官のアランドロンが、行手に立ち塞がったので、余は踊り上がって、彼奴の胸に両手に持った短剣を突き刺して、息の根を止めてやったのよ。6/8

 

おらっちは、ついにそいつの居所を突き止めて、夜中に忍びこんで、そいつを布団丸ごと縛り上げて、そいつの心臓のところに、「返り忠の鼠」の印を、つけてやったのよ。6/9

 

おらっち藤井名人と対戦中なんだが、藤井選手がお馴染みの大長考に耽っている間に、おらっちの手足のさきっちょから、頭のてっぺんのところから、どんどんどんどん溶け始めたので、こりゃまたどうしたことかいなと、焦りに焦る。6/10

 

突如、異次元男が、「万事を放擲して、3年半永平寺で修行する!」と宣言したので、全国民が「それはなによりの朗報!」と、喜んだのなんの。6/11

 

お馴染みのリヴァイアサン選手がでてきて、おらっちの前に、面白そうなオモチャを投げ出すので、みな寄ってたかって、奪い合うのだ。6/12

 

夜の公園の中に、大勢の外国人家族が座っている。住むべき家のない彼らは、昼間は客のいない百貨店などをブラブラし、夜はここで野宿して、何カ月も過ごしているのだ。6/13

 

ある会社のリーマンでありながら、某製作会社に頼まれて同業他社のTVCMを企画制作したら、これがなんとカンヌでCMグランプリを獲ってしまったのだが、おらっちが授賞式に出る訳にもいかず、うれしいような悲しいような、不思議な気持ちずら。6/14

 

それがどんなに古くても、その写真の中のどこかのポイントを押すと、そのポイントが拡大されて3次元のカラーの動画が展開される画期的なシステムを発明したのだが、はてさて、これをどうしたらいいものか?6/15

 

久し振りに横須賀のヴェルニー公園を散歩していたら、ヒロ君一家とぱったりでくわした。ヒロ君は商売繁盛で、奥さんと2人の子供も元気そうなので、安心した。6/16

 

わたしらは何日も何日もスタジオに籠って音作りをして、「アレ」が訪れる、あの聖なる瞬間を待っていたのよ。6/17

 

交響曲のはじめと終わりの数小節だけ聴けば、それでその真価が分かるような気がしていたのだが、現代音楽のライヒやグラスなどは、いくら聴いてもさっぱり分からなかった。6/18

 

その老舗旅館に泊まると、夜寝るときに枕を持った美貌の男女が現れ、望めば夜伽をしてくれるというので、国内外の旅行客からの圧倒的な人気があった。6/19

 

夜中にトイレに入ったら、「倍、倍、倍」というて、オシッコがいっぱい出て来たので、驚いた。6/20

 

大量の粗大ゴミを、今すぐ名越の焼却センターへ持っていかねばならんのだが、あんな急坂まで、このオンボロ自転車で運べるだろうか?6/21

 

第2営業部で打ち合わせをしていたら、ムロタ課長の似顔絵を描いてくれと頼まれた。「おらっちの所属は宣伝課だが、デザイナーではないから描けない」と固辞したんだが、「どうでも描け描け!」と迫って来て、とうとうムロタ課長がお馬に乗ってハイドウドウの大騒ぎだ。6/22

 

トントンと釘を打っているような音がしたのは、私が横たわっている棺桶の蓋をしているのだと、今頃になって気づいた。6/23

 

ド田舎の取手で開かれている息子の展示会場は高層ビルの7階にあるので、エレベーターに乗ったら、息子の担当教授が一緒に乗り込んできて、さんざん息子の悪口をいうので、反論しようとしたらさっさと降りてしまい、代わりにシャワーを浴びた素っ裸の男の子が乗り込んで来た。6/24

 

僕らの「いかすぜバンド大会」が始まった。おらっちが演奏するのは、もちろんジュリア・リンカーの「あたいのワンコを起こさないで」と、「バリハイ」の特別ヴァージョン。んでアンコールは、勿論近田春夫&ビブラトーンズの本邦初のラップ「いい女ってなんで、こっちに来ないの」(「AOR大歓迎」所収)だ。6/25

 

私は我ながら卑劣な振る舞いをしてしまったことを、今頃になって悟って、フマ君に謝ったが、どうやら謝るべき相手を間違えたようだった。6/26

 

その親切なおばさんは、「具合悪い体で、そんな急な階段を降りたら、躓いて階段の下まで落下してしまう。早く手すりをつけなさいよ」というて、お金まで送ってくださったので、手すりができて、とても重宝しているずら。6/27

 

おらっちの不用意な発言で、本来ならシャンシャン大会であるべき株主総会が、大荒れに荒れてしまったので、おらっちは花形の総務部の株式担当からはずされ、資材購入係に降格処分されちまったぜい。6/28

 

どんどん右の眼が見えづらくなってくるので、蔵並眼科を訪ねて、一日も早く手術してくれと頼んだが、「あーたは前回の手術を勝手にキャンセルしたから、どこか他をあたってくらさい」と、言われてしまったずら。6/29

 

おらっち焦ってラグーン社の塹壕にタラコをぶら下げておいたら、いつの間にかバクダン虫になってしまって、みんなが寝静まっている時に次々に爆発したのよ。6/30

 

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クリスチャン・メルラン著・藤本優子・山田浩之訳「オーケストラ」を読んで

2023-10-05 09:24:15 | Weblog

クリスチャン・メルラン著・藤本優子・山田浩之訳「オーケストラ」を読んで

 

照る日曇る日 第1968回

 

「知りたかったことのすべて」という副題がつけられているが、なるへそ楽器や演奏者や指揮者などクラシック音楽の演奏に関するあれやこれやを、懇切丁寧に手とり足とり解説してくれる超おもしろいガイドブックである。

 

例えばオーケストラの配置に「ウイーン式」「ヨーロッパ式」「アメリカ式」「ドイツ式」の4つがあり、ひところ全盛の「アメリカ式」とその亜流である「ドイツ式」が80年代初頭の古楽演奏の隆盛の影響を受けて昔ながらの「ウイーン式」「ヨーロッパ式」が見直されているという指摘、さらにバイロイト祝祭劇場ではトゥッテを抑え、弱音を大切にするべく楽器毎の配置を解体、再編成し、管楽器と打楽器のレイアウトなどもワーグナー自身が細かく指定しているとは初耳だった。

 

著者は仏蘭西の音楽評論家らしく、仏蘭西の名前さえ聞いたことのないオーケストラの内部事情を教えてくれたりするが、序文をリッカルド・ムーティが書いているくらいなので、古今東西の指揮者や楽団の裏話が法華の太鼓のようにどんどん飛び出してきてマニアックな読者にも随喜の涙を流させてくれるだろう。

 

私の心に強く残ったのは、1992年ザルツブルクの山歩きで岩場から転落し、落下の際にヴァイオリンを守ろうとして頭をかばうのを忘れて散華した我が最愛のコンサートマスターのゲルハルト・ヘッツェルについて、最上級の言葉で褒めたたえた個所である。

 

ウイーン・フィルの短かった黄金時代を支えたあの偉大なコンマスを、バーンスタインやカラヤン、そして彼の最後となったコンサートを指揮したムーティの思い出話もぜひ読んで欲しい。

 

「イタリアで屋外コンサートが行われた時、雨粒が落ち始めてきた。他のオケはみな楽器を傷めまいと慌てて逃げ出したが、ウイーン・フィルは動かなかった。ヘッツェルが平然としていたからだ。ムーティが目で問いかけるとヘッツェルは首を横に振った。集分後には雨はやんでいた。」(P214)

 

    世の中にいいことなんか何もなく大谷本塁打王1面トップ 蝶人

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田辺武光著「二月・断片」を読んで

2023-10-04 10:10:06 | Weblog

田辺武光著「二月・断片」を読んで

 

照る日曇る日 第1967回

 

白内障を手術したばかりの双眼で、大学時代の先輩のTさんから送られてきた、Tさんの同級生の田辺さんの短編小説を読む。

 

これは1967年8月号『文藝』の学生小説コンクールの入選作であるが、その当時学費学館闘争をバリケードの中で雑魚寝しながらたたかっていた我々の日常を背景にした恋愛小説なので、溜まり場にしていた喫茶店や登場人物の誰やかれやに思い当たる節もあり、武装右翼体育会殴り込み、機動隊突入前夜の緊迫感など、殊に印象的な読み物であった。

 

まず驚くのは、闘争の渦中にありながら、作者が自分を取り巻く状況を冷静に客観視していることで、当時文学部のスロープ下の03部室でおのれ、そして全世界を相手に懸命にたたかっているつもりでいた私とはだいぶ違った「大人な」場所に立っていたんだなあと思うのである。

 

2番目は作者の「受賞の言葉」にあるように、散文よりも韻文を重視したその文体である。本作の狙いが、単なる恋愛や闘争自体の描写にあるのではなく、その散文の流れに混ざり合い、またある時はそれを断ち切って別な文脈へと移動したり、拡散したりするきわめて自由で流動的な文体の駆動である。

 

そのやり方を作者はゴダール映画の特質から学んだと述べているが、不意に物事の真実(ここでは恋愛や闘争)に迫ると見せて、その寸前で身を翻し、「ハハ冗談だよ、冗談」とでも言いたげにそこから逸脱する軽妙な遊びの精神が、ゴダールの箴言と同様、この小説でも不器用かつ未完成な形で僅かに発揮されているのだが、残念ながら選考委員の安岡章太郎、井上光晴、石原慎太郎の三氏はその肝心要の急所をしかと見届けることができなかったようだ。

 

作者が自認しているように、本作は「あくまで習作の域を出るものではない」が、「おそらく数年後、少なくともこれ以上のものが生まれるでしょう」という予言を、我々は半世紀以上の長きにわたって待ち続けているのである。

 

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「夢は第2の人世である」第128回

2023-10-03 09:54:05 | Weblog

 

西暦2023年皐月蝶人酔生夢死幾百夜

 

2023年5月

 

わしは香川県動民村の出身なんじゃが、不心得者の村長が、わしの弾圧を命じ、物凄い村八分に遭わせたんで、わしゃ、じりじりと山間の僻地の方へ退避せんといかんかったんじゃ。5/1

 

夕方アパートに帰ってくると、人間の大きさのキューピー人形が、おらっちの布団をかついで階段を下りてきたので、おらっちは覚えず激怒して、不気味なキューピー人形どもを皆殺しにしてやった。5/1

 

せっかくワーナー映画の製作部に入ったのだが、なんでもきゃんでもオーディションに合格しないと仕事にありつけない。仕方なくサントラ・マーク監督の「汚された不在」の通行人役のオーディションを受けたら合格したので、一生懸命に務めていたら、いきなり主役に抜擢され、ヒロインと媾うことになったのよ。5/2

 

2人の兄がうまく取り持ってくれたので、ぼくは、やっとこさっとこ彼女とデートすることができたんだが、せっかく会ったというのに、ただのヒトコトも喋ることができへんかった。5/3

 

朝の5時すぎ。早く寝たのでもう起きだした長男が、疲労困憊してぐっすり寝こんでいる妻の枕を取り去り、ついでうわ掛けの毛布を、最後に敷布団まで力任せに引っ張るので、仕方なく妻は、睡眠不足の赤い目をこすりながら起き上がるしかない。5/4

 

私は日記に、現在と過去と2種類の話を書いていたのだが、現在も過去も、次ぎ次に過去と大過去にずれていくので、ずれていった分に、新しい現在と過去の新しい話が、次々に必要になるのだった。5/5

 

何十年ぶりに故郷の町に帰ってきた私は、この町の伝統であるマラソンレースに参加したのだが、案の定びりっけつでゴールインしたのだが、その時旧友の一人から、思いがけない話を聞いた。私の昔の恋人が、ここからそう遠くない隣町の炭海地区の洞穴に、1人で住んでいるというのだ。5/6

 

とっくの昔に誰かと結婚して、米国のLAに住んでいるはずなのに、「なんでまた?」と訊ねると、なんでもLAで暴漢に襲われて亭主が殺され、自分は重傷を負ったものの生き延びたので、帰国してからはずっとそこに住んでいる、というので驚いた。さてどうしたものか?5/7

 

おらっちは、田舎のバッティングセンターで球拾いをして、生計を立てているのだが、時にはピッチングマシンから時速150キロで飛んできた球を撃ち返して、ホームランにしたりすることもあったが、そんな時にはいくら探しても、球は見つからないのだった。5/8

 

成瀬監督の私が、白い瓜実顔の新珠三千代を起用した映画「長い道」のラストシーンは、題名通り長い坂道を下って来る美千代のロングから始まり、クロースアップで終わるのだが、彼女の顔があまりにも透明で、余りにも美しいので、なかなかカットを命じることができなかった。5/9

 

キオスクに貼られているポスターで知ったのだが、私が知らない間に、突然今年のザルツブルク音楽祭への出演が決まったらしい。なんでも私は、メンデルスゾーンとモザール、そしてウェーベルンのピアノ曲を演奏するらしいが、はてさて、どうしたらいいのだろうか?5/10

 

いきなり暴漢共に襲われたおらっちは、ひとりだけうまく外に逃げ出したのだが、それを知った誰かが、後ろから追いかけて来る。ビルの階段を、下へ下へとどんどん逃げまくるおらっち。5/11

 

大相撲を引退した元横綱めがけて、右から左、大から小までのすべての党派が、「ぜひとも我が党から選挙に立って欲しい」と要請したのだが、元横綱は、どの党の要請にも応えることなく、吉本興業に入ったのであった。5/12

 

口元にマイクを突き付けられたのだが、いったい誰に向かって、何を言うたらええのか、てんで分からんかったので、チャットAIを呼び出して、「おめえ、なんか言え」と命じて、代わりに答えてもらったずら。5/13

 

一度将棋でいう「歩を垂らす」というのをやってみたくて、歩を垂らして1歩進んで、晴れて「ト金」になってみたら、あっというまに、名人戦に勝ってしまったよ。5/14

 

おらっちは、その男が正論をぶつのを聞いているうちに、正論は正論で結構なのだが、その正論を、あまりにも激烈にぶちあげる、その態度がだんだん不愉快になってきて、遂には、その男を憎悪するようになってしまった。5/15

 

おらっちは怒り狂って、今日こそその無礼な酔いどれ詩人をぶち殺そうと、晒しに巻いた出刃包丁を懐に忍ばせてやって来たのだが、それと知った取り捲き連中が、口々に「和を以て貴しとなせ」と、まるで聖徳太子のような科白を吐くので、とうとう決行できなかったわい。5/16

 

原宿の会社の1階で、エレベーターに乗ろうか乗るまいかと悩んでいると、部下のヒグマが「どうかしましたか?5階に行きましょうよ」と誘うのだが、やっぱり行きたくないので、地下の食堂でお茶を飲んでいると、お気に入りのカワイコちゃんがやって来て、超ミニをモンローみたく翻してくれた。5/17

 

僕は、シンプルブル・ブルジョワジーのタカギ伯爵の海辺の別荘に招かれて、ひと夏を過ごすことになったのだが、1冊の文庫本も持たずにやって来たので、突然原因不明の不安に襲われて、おちおち休暇を楽しむどころの騒ぎではなかった。5/18

 

とつぜん熊本のトミカワとかいう男が電話してきて、「ウチの娘を傷モノにしやがって、いったい全体、どう始末をつけるつもりだ」と怒鳴るので、「おたくの娘さんには会ったこともありません」と返事したが、てんで納得しない。どうやら大きな誤解があるようだ。5/19

 

俺たちゲリラ軍は、帝国軍の兵士とほぼ同じ格好で、一緒に行軍することもあったが、彼らが右肩に銃を担いでいるのに対して、俺たちは左肩に担いでいることで、両軍の判別が可能だった。5/20

 

月中には、コロナ怪獣と最前線で戦っていたのだが、月末になると、到底太刀打ちできなくなってきたので、全員医局に籠城せざるを得なくなってしまったずら。5/21

 

わいらあ南北朝時代に、主君より好き勝手ができた実権派の武将、高師直その人やったもんで、夜な夜な公家の深窓の美女をかっ攫っては犯し、かっ攫っては犯しの「酒池肉林性活」を、何年も何年もエンジョイできたんやった。最後は殺されたけど。5/22

 

その社会福祉法人の施設で、私は何十年も働いてきたのだが、その間施設長は何十人も代わり、法人の経営主体さえ何度か変わったが、私と妻、そしてまだ幼い時期の面影を宿している施設利用者の息子の3人だけは、朝から晩までいつも一緒に歳をとって来たのだった。5/23

 

私は、その前日に青年野球の監督を辞めていたものだから、大チョンボを繰り返す選手たちを、怒鳴ったり、苛めたり、体罰を加えたり、訓導したりすることも出来ず、イライラが募るばかりだった。5/24

 

夢の中の夢が、暗くて部厚い雲のように覆いかぶさっているので、息苦しくて暑苦しいのは、いつもと違う頻尿剤を飲んだからに違いない。ところで、今何時だろう?5/25

 

デザイナーのイ池田ノブオがやってきて、「ササキさん昼飯でも喰いませんか?」と誘うので、あれっ、「君は、サンフランシスコでソノダと一緒に仕事をしているはずじゃなかったの?」と訊ねると、「ソノダなんて、知っちゃいないっすよ」と冷たい返事なので、超驚いたずら。5/26

 

久し振りにマージャンをやったんやけど、おっらち、コウヘイにハネ満を振りこんでしまったい。5/27

 

歳のせいか、目も耳も頭も鈍くなってきたので、やむを得ず、ドタマに1発、ぴすとるの弾を撃ちこんだら、たちまちスッキリしちまったずら。5/28

 

故障していたテレビが、突然元通りに直ったことに関係するのかどうか分からないが、急に視力が回復して来て、物干し竿の最先端が、くっきりと見えるようになったあ。5/29

 

住所録を作るために、エクセルを使わざるをえなくなったが、今までワードしか使ったことがないので、勝手が分からない。縦列全体に網目を掛けて、字体と級数を統一しようとしたら、なにかの弾みで、何丁目何番地のところが、グチャグチャになってしまったずら。5/30

 

光速を上回る速度で突き進んで行くと、空間がどんどん凝縮され、ほぼほぼ、ではなく、ほぼ葬式饅頭くらいの大きさで、白熱しているのが、観察できた。5/31

 

私のボールペンの筆先から、紅蓮の炎と共に、霊感に満ち満ちた御文章が発出されたのだが、その中身たるや、書いた本人すら、赤面せざるを得ないほど、無内容な代物だった。5/31

 

  いざというときにはスパッと腹を切るそれも社長の大事な仕事 蝶人

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なにゆえに第110回~西暦2023年長月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2023-10-02 14:08:13 | Weblog

 

ある晴れた日に 第716回

 

 

なにゆえに汚染水発言を撤回するいくら処理しても核汚染水は汚染水

 

なにゆえに朝鮮人虐殺を認めない我らの祖父が殺したんだよ

 

なにゆえに朝鮮人を殺戮するアジアの同胞と思っていない

 

なにゆえにウクライナ戦争は終わらない大親分がどこにもいない

 

なにゆえに脇目も振らず突き進む国を壊した男の道を

 

なにゆえにこの世の中が嫌になるこんな奴しか政権にいない

 

なにゆえに大事なものをバスに忘れた忘れちゃいかんと念じていたのに

 

なにゆえに大事なものがでてきたの私は私が知らないことをする

 

なにゆえに処理水を安全安心と勘違いするIAEAは海洋投棄を承認していない

 

なにゆえに6日連続で休んでるもっと以前に休めば良かった

 

なにゆえに異次元男が内閣改造改造できない腐れ脳髄

 

なにゆえに内閣支持率が上がるのか阿呆の国の阿呆莫迦政治

 

なにゆえに疑惑の人を大臣にする全員女性でもいいんだけれど

 

なにゆえに超音速で人が死ぬ「早くお出で」と手招きされる

 

なにゆえに今年のヤクルトは駄目だった阪神よりもいい監督なのに

 

なにゆえに昼寝をしないとやっていけない棺桶に足をつっ込んでるので

 

なにゆえに皆さんバンバン外国へ出かける円が世界最安なのに

 

なにゆえに朝からミンミンが鳴き叫ぶ交合できずに夏が終わるよ

 

なにゆえにいつまでたっても盛夏が続くあのね秋は無くなったのよ

 

なにゆえにかくも疲れる医者に行き薬をもらいようよう帰る

 

なにゆえに円がどんどん安くなるニッポン経済ぐんぐん沈む

 

なにゆえに円安が進んでも何もしない様子見ならば猿でもできる

 

なにゆえに昨日ミンミン泣き叫んでた今朝の冷え込みが分ってたから

 

なにゆえに毎日温度が乱高下する地球がヒトを痛めつけてる滅ぼそうとしてる

 

なにゆえにいまいち気分が落ち着かぬ今度は右目を手術するから

 

なにゆえに誰もがコロナを無視してるじつはすんごくはやっているのに

 

  「広辞苑」は第4版で充分よと短歌の好きな遠縁のおばさん 蝶人

 

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