いよいよ、2015年もあと4日になりました。
年の瀬ですね。気忙しい今日の日、今年最後のリハビリへ行きました。
28日の今日が仕事納めの会社が多いのか?
車が混んでいて、パトロールのパトカーか
違反者を上げていたり…(この年の瀬に捕まるなんて、なんて、ついていない人)なんて、
横目で見ながら青信号なのに、ちっとも進まない信号に…ため息をついて…
リハビリに間に合うか?心配しながらの運転でした(早めに出ているのにですよ)
今日は、久しぶりに私の愛読紙「高野山教報」からご紹介します。
『一輪の花』
佐々野 隆弘(長崎市 萬福寺住職)
真言宗では曼荼羅をみ教えの中心にしています。
曼荼羅には数えくれないくらいの仏さまが描かれております。曼荼羅とは
もともとはインドの言葉で、「マンダ」と言う言葉に「ラ」を付け加えてできた
言葉です。
「マンダ」はものの中心とかものの本質と言う意味で、「ラ」は持っているとか
成し遂げたといういみです。
二つを合わせて、「本質を成し遂げたもの」を意味します。
真言宗では、仏さまの功徳が満ち溢れた悟りの境地を大日そのものとして曼荼羅に
描き、おまつりしております。
中心には真言宗の根本の仏さまである大日如来さまがお座りになり、そのまわりには
阿弥陀さまや観音さま、お地蔵さまやお不動さまなどがおられます。
一番外側にはヒンドゥー教の神々も描かれております。一番外側に小さく描かれて
いても、一人ひとりがそれぞれの役割を持った仏さまです。
中央の大日如来さまがすべてのあらゆる功徳をお持ちで、そのまわりは大日如来さまの
功徳を分け持った仏さまで、お互いに敬いあい、助け合っています。
曼荼羅のみ教えを私たちの目で見える世界で見てみれば、山や川、草や木、人や動物
大地や大空など、すべての大自然は仏さまの現れだといたします。
それどころか地球をとび出して、宇宙全体も仏さま、大日如来さまの現れです。
ですから、草や木も一輪の花も仏さまが現れたお姿なのです。
一輪の花もまさしく花の姿を変えた仏さま、華菩薩となります。
このたった一輪の花には仏さまのみ教えが込められています。
花を飾ることによって心が落ち着き、厳かな気持ちになります。また花のまわりが
泥で汚れていても塵で覆われていても、美しい花を咲かせます。花には厳かさや
汚れに染まらないという功徳があります。
鶴太郎さんも花がきれいだと讃えましたが、実はその瞬間に花の功徳を受け取り
その時心の鏡がその功徳を映し出したのでしょう。
一輪の花や色鮮やかな鯉が持っている生命力をそのままに映し出す素晴らしい
心の鏡を持ったからこそ、魅力ある墨彩画を描けるのだと思います。
お大師さまのみ教えは、私たちの心に無限の可能性を見出すことにあります。
お大師さまの言葉に、「あまりに近いためにかえって見難いのは自分自身の心で
あり、またゴマ粒で空を埋め尽くすほどに満ち溢れているのも心の中の仏で
ある。
心と言うものは、広くて大きい、不思議の中の不思議、優れた中でも
いっそう優れているのは、自分の中の仏である」
と書き記されております。自分の心でありながら、わかっているつもりで
わからない。
知り尽くしているつもりで知り尽くせないのも、自分の心です。
しかし私たちの心には、空を埋め尽くすほどの仏さまが満ち溢れていることを
教えてくださっています。
曼荼羅の仏さまが大日如来さまの功徳を分け持っているように、私たちも
仏さまの功徳を分け持っています。
そのことに気付くには、日々ご先祖様に感謝し、仏さまに手を合わせ、
ありのままに映せる心の鏡をいつも磨き続けなければなりません。
年が明ければ、皆様、(常日頃、無神論者と言っている方々も)
神社仏閣へ初詣されることでしょう。
お願いするばかりでなく…自分自身を内面を心を見ているでしょうか?
ぜひ、一度、年内にはご自身の心の大掃除もできたらよいですね~。
私は、自身の長年の性格の欠点(悪く言えば おおざっぱ、手先のぶきっちょを
今になって 改善?❔ すべく❔ )押し花教室で しごかれるようになり
ました。。。し、今年は、色々と一歩前への進歩がありました。
ですから、 反省したら、忘れないで何事も実行に移すことが大切ですね。
(棚から牡丹餅、果報は寝て待て…とは、)
凡人なら、そろそろそうはいかないことに… いまさら気付いた…私です…
幾つになっても…心を磨くことは そして、磨き続けて日常過ごすことは
難しいことです!
明日から、また、大掃除第二弾をやろうと思っています。
くれぐれも怪我をしないように つまづきやすいもの や 高い所
や 重たいものや 押入れの整理などなど 気を付けてお片付けして
くださいね~!!
『変形性股関節症に負けないでね!』