半世紀生きた私の人生、家族には恵まれたが、私固有のもの、すなわち仕事でぱっとしたものはない。
病理医になってからおよそ四半世紀。残り時間はあまりない。
仕事ができる、というかやらせていただける時間というのは、思いのほか短い。
仕事というもの、はじめの数年は修行をさせてもらい、次に若さに任せて没頭する。そして・・・。
気がついたら、後進の指導をする立場になってしまった。
もちろん、これから10年ぐらいの間、前線で活躍しなくてはいけないのだが、実際のところは、これまで蓄積してきたものをまとめていく時間だ。その後は、後進の指導だが、これは見た目の話。今から始めていなくては、60をすぎてから後進を探すようでは遅い。
ということで、あれもこれもやっていかなくちゃならない。
老け込むにはまだ早く、新しいことにチャレンジしていく必要がある。
病理学がカバーする範囲は医学の9割以上を占めており、やろうと思えば何でもやれる。だが、それらをすべて全うすることは難しいので、いくつか限定する必要がある。
今やっているのは3臓器、3分野、といったところ。手を広げ過ぎているきらいはあるが、なんせ病理医は少ないので、何でもやらなくてはいけない。
ところで、なぜ、これほど病理医が少ないかといえば、その理由は毎度毎度のことながら、もうからないという理由が一番だろう。開業が難しいというのが一番だし、アルバイトもキツイ。バイトにいったら、どこでも標本は山積みで、居ればいいというような寝当直というものなど、ない。
こんな調子では、医者の数を1割増やしたところで、病理医はほとんど増えない。
そういえば、麻放病という言葉があるらしい。開業がしづらい、すなわちもうける手だてが限られている3大臨床医のことで、麻酔医、放射線(診断)医、病理医の3科の医者だ。
なお、すべての開業医の先生が儲け主義では無いし、開業医の先生は勤務医よりもいろいろなリスクを背負っているのは前提としてある。
近頃では、麻酔医の先生は同業者同士チームを組んでフリーで活動していたり、放射線(診断)医は遠隔診断を積極的に行っているようだが、ガラス標本が付いて回る病理医はなかなか難しい。
お金はあるにこしたことはないが、少なくても人様よりは多くいただいている。医療費はほとんどが税金である。これ以上ふざけたことをいっていると、罰が当たる。
私が、医者になろうと思ったときのこと、病理の道に進むことを決心したときのことを思い出したい。
先日、同世代の病理医と話したこと、
「なんで、こんなに苦労ばかりなのに、私たちは病理をやってるんでしょうね?」と嘆いたら、
「やっぱり、勉強が好きなんでしょうかね」と応じられた。
私は、勉強嫌いで過ごしてきたので、にわかに同意できなかったが、勉強が苦手なだけだっただけかもしれない。
勉強ができる医者なんていうのは掃いて捨てるほどいるが、医学の勉強が好きな学生というのは少ない。今年はそういう学生を探し出したい。
自分の研究はどうするか。
勉強好きの病理医としては、普段の診断業務の中から研究テーマを絞り出していかなくてはいけない。
幸い、私の勤務先の臨床医は比較的特殊な症例を扱うことが多く、診断に苦慮することが多い一方で、テーマはたくさんある。
これまで、10年ほど勤めてきて、ずいぶん多くの発表をさせてもらった。
上に述べた通り、これまで蓄積してきたものをまとめつつ、新しいものを探し出していかなくてはいけない。
難しい挑戦になるが、もうひと頑張りしてみよう。
とにかく、12月末締め切りの原稿を仕上げることが先決である。
原稿書き用のPCがネットにつながっているのは、善し悪しである。検索の手間はずいぶん省けるようになったが、ちょっと油断をすると、すぐにブログを書いてしまう。
病理医になってからおよそ四半世紀。残り時間はあまりない。
仕事ができる、というかやらせていただける時間というのは、思いのほか短い。
仕事というもの、はじめの数年は修行をさせてもらい、次に若さに任せて没頭する。そして・・・。
気がついたら、後進の指導をする立場になってしまった。
もちろん、これから10年ぐらいの間、前線で活躍しなくてはいけないのだが、実際のところは、これまで蓄積してきたものをまとめていく時間だ。その後は、後進の指導だが、これは見た目の話。今から始めていなくては、60をすぎてから後進を探すようでは遅い。
ということで、あれもこれもやっていかなくちゃならない。
老け込むにはまだ早く、新しいことにチャレンジしていく必要がある。
病理学がカバーする範囲は医学の9割以上を占めており、やろうと思えば何でもやれる。だが、それらをすべて全うすることは難しいので、いくつか限定する必要がある。
今やっているのは3臓器、3分野、といったところ。手を広げ過ぎているきらいはあるが、なんせ病理医は少ないので、何でもやらなくてはいけない。
ところで、なぜ、これほど病理医が少ないかといえば、その理由は毎度毎度のことながら、もうからないという理由が一番だろう。開業が難しいというのが一番だし、アルバイトもキツイ。バイトにいったら、どこでも標本は山積みで、居ればいいというような寝当直というものなど、ない。
こんな調子では、医者の数を1割増やしたところで、病理医はほとんど増えない。
そういえば、麻放病という言葉があるらしい。開業がしづらい、すなわちもうける手だてが限られている3大臨床医のことで、麻酔医、放射線(診断)医、病理医の3科の医者だ。
なお、すべての開業医の先生が儲け主義では無いし、開業医の先生は勤務医よりもいろいろなリスクを背負っているのは前提としてある。
近頃では、麻酔医の先生は同業者同士チームを組んでフリーで活動していたり、放射線(診断)医は遠隔診断を積極的に行っているようだが、ガラス標本が付いて回る病理医はなかなか難しい。
お金はあるにこしたことはないが、少なくても人様よりは多くいただいている。医療費はほとんどが税金である。これ以上ふざけたことをいっていると、罰が当たる。
私が、医者になろうと思ったときのこと、病理の道に進むことを決心したときのことを思い出したい。
先日、同世代の病理医と話したこと、
「なんで、こんなに苦労ばかりなのに、私たちは病理をやってるんでしょうね?」と嘆いたら、
「やっぱり、勉強が好きなんでしょうかね」と応じられた。
私は、勉強嫌いで過ごしてきたので、にわかに同意できなかったが、勉強が苦手なだけだっただけかもしれない。
勉強ができる医者なんていうのは掃いて捨てるほどいるが、医学の勉強が好きな学生というのは少ない。今年はそういう学生を探し出したい。
自分の研究はどうするか。
勉強好きの病理医としては、普段の診断業務の中から研究テーマを絞り出していかなくてはいけない。
幸い、私の勤務先の臨床医は比較的特殊な症例を扱うことが多く、診断に苦慮することが多い一方で、テーマはたくさんある。
これまで、10年ほど勤めてきて、ずいぶん多くの発表をさせてもらった。
上に述べた通り、これまで蓄積してきたものをまとめつつ、新しいものを探し出していかなくてはいけない。
難しい挑戦になるが、もうひと頑張りしてみよう。
とにかく、12月末締め切りの原稿を仕上げることが先決である。
原稿書き用のPCがネットにつながっているのは、善し悪しである。検索の手間はずいぶん省けるようになったが、ちょっと油断をすると、すぐにブログを書いてしまう。