先週、今週と2つの研究会議に参加した。
私のような未熟者が参加するなどというのはおこがましいのだが、声をかけていただいたからには馳せ参じない手はない。
いずれの会議も、わが国を代表する教授クラスの先生方が集まったのだが、ほとんどが臨床医。病理医はというと一つでは病理医二人、もう一つでは不肖コロ健一人であった。
こういう会議は出席者が虚心坦懐、真摯な態度でかつざっくばらんに様々な意見をたたかわせる。
高名な先生でも、内科の先生は外科とか産婦人科のことは知らないことはあるし、小児科の先生でも、専門が違えば詳しくないことはたくさんある。
そういった、様々な科の専門家が集まって、それなりにレベルの高いブレインストーミングをするわけだが、病理医であるコロ健が聞いているとなんだか物足りない。
証拠が乏しいのだ、血液検査や画像のデータはたくさん出てくるのだが、病理所見はあまり出てこない。
前々から、臨床系の学会に出ると病理の検討が少ないことでいじけていたのだが、実はあまりよくわからないから病理のことがディスカッションにならないのではないかと思えるようになった。
病理は組織、すなわち目に見えるものである。病理医はそれから所見をとり、解釈して言葉にして組織をとってきた臨床医に伝える。
だけど、せっかく苦労してとってきた組織の所見を臨床医は十分には理解できない。その仕事は主として病理医の仕事だから。
だから病理医の仕事は大変である。誰もが納得できる解釈をして、それはどこにでも通用しなくてはいけない。
ブレインストーミングに参加させてもらっただけで満足しているようではいけない。
私の進まなくてはならない道は、まだまだ長い。
私のような未熟者が参加するなどというのはおこがましいのだが、声をかけていただいたからには馳せ参じない手はない。
いずれの会議も、わが国を代表する教授クラスの先生方が集まったのだが、ほとんどが臨床医。病理医はというと一つでは病理医二人、もう一つでは不肖コロ健一人であった。
こういう会議は出席者が虚心坦懐、真摯な態度でかつざっくばらんに様々な意見をたたかわせる。
高名な先生でも、内科の先生は外科とか産婦人科のことは知らないことはあるし、小児科の先生でも、専門が違えば詳しくないことはたくさんある。
そういった、様々な科の専門家が集まって、それなりにレベルの高いブレインストーミングをするわけだが、病理医であるコロ健が聞いているとなんだか物足りない。
証拠が乏しいのだ、血液検査や画像のデータはたくさん出てくるのだが、病理所見はあまり出てこない。
前々から、臨床系の学会に出ると病理の検討が少ないことでいじけていたのだが、実はあまりよくわからないから病理のことがディスカッションにならないのではないかと思えるようになった。
病理は組織、すなわち目に見えるものである。病理医はそれから所見をとり、解釈して言葉にして組織をとってきた臨床医に伝える。
だけど、せっかく苦労してとってきた組織の所見を臨床医は十分には理解できない。その仕事は主として病理医の仕事だから。
だから病理医の仕事は大変である。誰もが納得できる解釈をして、それはどこにでも通用しなくてはいけない。
ブレインストーミングに参加させてもらっただけで満足しているようではいけない。
私の進まなくてはならない道は、まだまだ長い。