研究会、班会議3連チャンの1日目。
いろいろな先生のいろいろな発表をお聞きした。
研究会なので、先端の知見を教えていただくのは当たり前のことだし、それを聴くために来ている。
それにしても、驚いたのはこれほどのことが知られていて、目の前にいる人はそのことを知っていて、自分はそのことを知らないでいる、ということだった。
数年前まではこの先生とも大してかわらないことをしゃべっていると思っていたのに、いつの間にか知っていることはずいぶん違ってしまった。
私はこれまで、何をやってきたのだろう。
曰くいいがたい不安を持ちつつ、話を聞いていたのだが、途中でわかったことがあった。
「ビビったところで、どうにもならない」
このあと、他の先生と話したら、同じようなことを感じていたらしい。
「わたしはこれまで何やってきたのだろうと思いました。」などと、私からすれば良い発表をした病理の先生がこぼしている。
うーん、そんなものなのだ。
これまで、何をやってきたのか、ということ、それはそれだが、何かはやってきたのだ。だからこそ、この先何をするかが大切になるのだろう。
コロ健としては、これまで何をしてきたかなどは気にせず、これから何をやろうかと、気を若くもっていこうと考えた。それでも、きっといいはずだろう。
いろいろな先生のいろいろな発表をお聞きした。
研究会なので、先端の知見を教えていただくのは当たり前のことだし、それを聴くために来ている。
それにしても、驚いたのはこれほどのことが知られていて、目の前にいる人はそのことを知っていて、自分はそのことを知らないでいる、ということだった。
数年前まではこの先生とも大してかわらないことをしゃべっていると思っていたのに、いつの間にか知っていることはずいぶん違ってしまった。
私はこれまで、何をやってきたのだろう。
曰くいいがたい不安を持ちつつ、話を聞いていたのだが、途中でわかったことがあった。
「ビビったところで、どうにもならない」
このあと、他の先生と話したら、同じようなことを感じていたらしい。
「わたしはこれまで何やってきたのだろうと思いました。」などと、私からすれば良い発表をした病理の先生がこぼしている。
うーん、そんなものなのだ。
これまで、何をやってきたのか、ということ、それはそれだが、何かはやってきたのだ。だからこそ、この先何をするかが大切になるのだろう。
コロ健としては、これまで何をしてきたかなどは気にせず、これから何をやろうかと、気を若くもっていこうと考えた。それでも、きっといいはずだろう。