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こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

赤いジャンパーを着た意地悪なおっさん

2014年01月13日 | 日々思うこと、考えること
休日の地下鉄、一度乗り遅れると次までけっこう待たされる。
わずか一本乗り遅れただけで、一駅か二駅、4、5分のために10分近く待たされるのはかなわない。
昨日の研究会の帰りに地下鉄を使ったときのこと。ホームまで2階分ぐらいある駅で、電車が入線してくる音が聞こえたので、それに飛び乗ろうと、コロ健慌てて階段を駆け下りた。

その時私の前には、二人の幼稚園児ぐらいの子供を連れた一家がいた。彼らもその電車に乗ろうとしていて、父親と子供二人は階段をわりと早く降りて、父親は振り返って、少々遅れていた母親に対し、早く降りるよう促していた。

その母親はなんだかわからなかったが、階段を降りるのが遅かった。そんな人の後から降りていては、くだんの電車にはとても間に合わないので、階段の半ばで彼女を追い抜いた。
コロ健、一足先にホームにたどり着き、電車のドアの前にたどり着いた。ドアの前では二人の子供と一緒に父親が彼女を待っていた。
直後、ドアが閉まりかけ、私は、3人の横をすり抜けるようにして、閉まり始めたドアに滑り込んだ。
私の駆け込み乗車のせいだろう、いったん閉まりかけたドアが開いた。
ドアが開いたところで、母親が追いついてきてその一家もすかさず乗り込んできた。改めてドアが閉まり、電車は発車した。

すぐに、車内アナウンスが流れた、
「発車間際の駆け込み乗車は大変危険です。ドアが閉まりかけてのご乗車はご遠慮ください」

コロ健、周囲の目もあり、少々気恥ずかしく思ったものの心の中では、『この場合、このアナウンスの対象は私ではなく、この一家のはず。私一人であったら、このようにはいわれなかったはず。』と思っていた。さすがに、『乗ってこなけりゃ良かったのに』などと、蜘蛛の糸のカンダタ(犍陀多)のようなことまではそのとき思わなかった。同じ穴の狢である。
だから、ここまでであったら、ブログに書くようなことでもなかった。



だがそれでは終わらなかったのだ。そのアナウンスでその一家も少なからず動揺したようで、一家で顔でも見合わせたのだろう。その直後に、姉と思われる子供が大声で両親に向かってこういったのだ、
「だって、いいんだよ、赤いジャンパーを着た人だって、乗ったもの」

そのドアの近くで赤いジャンパーを着ていた人間は、私以外いなかった。

私がその子によって指摘されている人物であることは明らかであった。
なんとなく、居心地が悪く、「すみません」と、その一家の方へ向けて謝った。

なんとなくその件はそれで終わったが、私にとって後味の悪いものだった。



はたして、私のとった行動は正しかったのか。

そもそも、駆け込み乗車をした共犯者であるその家族に対して謝る必要はあったのか。その子たちもやってはいけないことをしたわけで、謝る必要は無かった。それよりも、私が謝ったことで、私は“謝る”というけじめを何となくつけることができたが、その両親は謝る先を無くし、けじめをつけることができなくなってしまった。

駆け込み乗車という、一人の大人としてやってはいけないことをしたのは私も、その両親も同じである。今日から、大人たちのそのような振る舞いをみて、駆け込み乗車ということは、子供たちにとって、“やってもいい”こととなった。私の場合は、どこかの赤いジャンパーを着たおっさんだが、その両親は、その子らに対して“駆け込み乗車はしてもいいこと”ということを身を以て示してしまった。
さらに、“悪いことをしても謝る必要は無い”、ということまで示してしまった。
二重の意味で子供の価値基準をゆがめてしまったことになる。

その子がそう言った時に、すぐに私に対して「失礼しました」などいって、謝れば良かったが、その両親はあっけにとられてそのことができなかった。そして、私から謝ってしまった。
私という謝る対象があれば、
『失礼しました』と私に謝ったあと、子供に向かって、
『本当は、駆け込み乗車なんてしてはいけないのに、してしまったのはお父さん(お母さん)なんだから、いけないのはお父さん(お母さん)です。そんな失礼なこと言ってはいけません』
と言えばよかっただろう。
親としての資質がとぼしい人たちであり、そういう親をみて育つとどういう大人になるのだろうと心配になった。

その父親は私がどうしようと結局のところ駆け込み乗車をしたかもしれない。だが、私はどうだったろう。一人の大人として私が子供のいる前で、駆け込み乗車をしたことそれ自体が悪いことであった。さらには、私が母親を追い越さないでいれば、駆け込み乗車はできず、その家族にもこんな出来事をもたらすことは無かった。
子供は社会全体で育てなくてはならないもので、駆け込み乗車をするおっさんも車内で携帯電話を使って話す人もマナー違反をしていることに変わりはない。
ほんの些細な出来事かもしれないが、その女の子の記憶にはしっかりきざみつけられただろう。
それにしても、親に対して意地悪をしてしまった私はいつもながら、嫌な奴である。



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