こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

今年のボツ記事 2017

2017年12月30日 | あの頃のこと…思い出話

毎年恒例にしていた今年のボツ記事、いざ書こうと思ったら去年の書きかけ記事がたくさん出てきた。そこで、『今年のボツ記事 2016(!)』を1年遅れで書いた。と言っても書きかけていたものをコピペしただけだが。

いよいよ、これが本当の今年のボツ記事。やっぱり、記事にならなかったのはそれなりに原因はある。

『捨てる神あれば、拾う神あり』

今回、東京都知事選挙に出馬した、小池百合子さん。自民党から見捨てられ、応援を得られず、それでも自らは自民党員として頑張った。
 彼女のインタビューで、「捨てる神あれば拾う神あり」と、党には見放されたけど、応援してくれる人がいたことを述べ、それを頼みとして頑張り通したのだろう。

『病理のこと・・・シリーズ集』(という、これまでの病理関連記事をまとめようとした)

病理診断科のこと

(1)・・・2007-11-21   (2)・・・2007-11-24  (3)・・・2007-11-25

 病院で死ぬことと病理解剖

注1) 日本の医療はなぜ、何も変わらないのか?・・・2010-01-30

注2) なぜ、私の代わりの病理医はいなかったのか?・・・2010-01-30

注3) 病理解剖は何のために行うのか?・・・2010-01-30

 病理医になるための勉強

2012年02月18日2012年02月19日

 医療を哲学的に考えてみる

(1)(2013年08月05日) (2)『医療』の定義、医術(2013年08月07日) (3)『医療』の定義、病気(2013年08月08日(4)『医療』の定義、治す(2013年08月14日)  (5)『医療』の定義(2013年08月23日) (6)『哲学的に考えてみる』の定義(2013年09月12日) (7)患者の願いはなにか(2013年12月03日)

病理医になるには

『久しぶりにお相撲をみて』

昨日、一昨日とお相撲をテレビ桟敷で観戦した。

たっぷりみるといって、42人中13人が外国出身だった。

『継続は力になるかな?』

このブログが書けなくなりそうになると、「継続は力なり、頑張って続けてください」というコメントをいただいたことがある。

『自分の周りにあることしか話さない人』

昨日、私の歓迎会があって、二次会にカラオケにいった。この前も書いた通りカラオケは好きで若い頃はずいぶんと楽しんだ。だが数年ぶりとなると何を歌っていいかわからない。なんせ、私の半分くらいの歳の人もいる。結局、自分のオハコを何曲かうたって、温かい拍手をいただいた。だが歌いながら別の私が

 あのさー、お前、なん年前の曲を、歌ってるの?それも立て続けに。
 心の奥からそんな声が聞こえてきた。
 "自分の周りにあることしか話さない人。"
 コロ健のやってることはそれかい⁉︎なんて、思ってしまった。

 私は芸能人でもなんでもないので、あまり余計なことを考える必要なんてないのだけど、年をとると余計なことばかり考えてしまう。宴会は参加している人みんなが楽しまなくては意味がない。

『医学と医療と病理学』

『ヤンキーの方が、勉強ができただけで出世したような人よりも、よほど礼をわきまえている。』

この歳になるまで気がつかなかったことがある。「おい、みっともないからやめなよ。」なんて周囲のことを気にするようなことを大人が言ったら何となくその人はヤンキーっぽい。

『"こんな人たち"の生活とバラマキのために私の収入の多くを税金として納めている。』

税金を納める、ということは国を支える人間の一員として義務であることはよくわかっている。国民の誰もが税金を納めなくなったら国体護持は叶わない。

『そんなに不機嫌にしていたら、誰も近づいてこないわよ』

先日の出張の朝、忙しくてイライラしていたら「そんな顔で行ったりしたら、周りの人に嫌われちゃうわよ!」と妻に言われた。

これには続きがあって、「わかっている?”私”だからあなたがそんなでも耐えていられるけれど、そうでない人だったらあっという間にどこかに行ってしまうわよ。それでもいいの?」というものだった。

以前、私は”仕事がいっぱいいっぱいになると、イライラして周りの人が怖くて近づけなる”と言われたことがあった。妻も、そのことは知っていたようで、あまり言いたくはなかったようだったが、先日はよほどひどかったのだろう。私に対して忠告しないではいられなかったようだ。

たしかに、最近また忙しくなってきた。世の中には私などよりもっと忙しい人、多くの仕事を抱えている人というのはいくらでもいる。だが、私には現状が大変なのだ。この歳で新しい職場に4月に移り仕事に慣れてきたところで、学会の仕事やら、研究のことなどとあれこれある。

私でなくてもできるようなことばかりだろうけど、もっとふさわしい人はいるだろうが、私が適任者の一人であることも間違いない。そんな私が引き受けたことでいっぱいいっぱいになっている。そして不機嫌になる。

これまでにも、そういったことはたしかにあった。だから、それを思い出して妻は私に忠告したのだろう。

『初期研修医への病理診断学の指導』

医師臨床研修制度が10年前に始まった時、私は専門病院に勤めていたので、研修医というと後期研修医すなわち将来の方向性がある程度決まっている医者のことだった。医師国家試験に合格してすぐに来る初期研修の医者というのがどんな存在、というか何を考えているのかよくわからないでいた。昨年、一般病院に勤務し初めて初期研修医に接して、どんな感じか少しわかった。今年は、初期研修医指導の2年目、新しい大学病院に移ってからは初めてだ。

初期研修医が病理診断学の研修プログラムの中で学ぶのは、CPCレポートという病理解剖の所見をまとめることで、これを病理医が指導する。病理解剖は病理医として初歩の初歩であり、究極の仕事でもある。研修期間という限られた時間しかない中でそんな大それたことをマスターするなんて土台無理な話なのだけど、病理診断学のさわりだけでも学んで欲しい。

初期研修医なんて学生の延長みたいなもの、なんていうことをまだ初期研修医を知らなかった頃、小耳に挟んだことがあったけど、そんなことはなくて、皆さんよく勉強していて感心した。これが、1年目の医者だったらどうだったかわからないけど、ここでは2年目の医者というのもある程度臨床的なことを理解しているという点では良いのだろう。

そんなことより、嬉しかったのは熱心に病理医のいうことに耳を傾けてくれること。医療の現場で何かとないがしろにされている感を感じるけれど、この研修期間に病理診断学の重要性を少しでも教えることで、そういったことも解消されていくだろうと思える。

『ご恩は忘れずに』

昔お世話になった人。

『考えれば考えるほど悲しくなる国』

昨年、パナマ文書というのが漏れて大騒ぎになって先日は、某国のジャーナリストが暗殺されてニュースになったが、今度はパラダイス文書

ケイマン諸島の租税回避地での文書が漏れた。アメリカの高官だとか、有名歌手、日本の有名漫画家がお金を預けていたということで騒ぎになっている。超富裕層の税逃ればかりではなくて、仙台では勤務していた医師のみならず病院ぐるみで、公正であることが絶対条件である治験に絡む医療機器会社の未公開株を利用しての売却益を得ていたということも話題になっている。一億円以上儲けた医者もいるということだ。その会社が租税回避地に登記していたということで蓄財が明るみに出た。

稼いだ金の一部を税金として支払うのはなかなか辛いが、結局のところ、その国にいる限りはその法律に従うしかない。無駄な税金は払いたくないけど、一定のものは仕方ない。でも、会計検査院の決算報告で国の無駄遣いが874億円というのには涙を禁じ得ない。トランプ米大統領の訪日に合わせてのイバンカ基金への寄付だの武器購入ももちろん税金。女性の起業、国土防衛のためになるのであればこれらを頭ごなしにダメとは言わないけれど、今目の前には貧困で苦しんでいるシングルマザーや被虐待児がたくさんいるし、紛争国では難民が大量に発生している。そちらの方に回すお金は足りているのだろうか。

 トリクルダウンという言葉がある(『金持ちがもっと金持ちになると、貧乏人も金持ちに・・・なるわけない(2008年10月20日)』)けれど、あれはどこまで本当なのだろう。お金持ちは儲けた金をこぼしたりしない。儲けたら儲けた分を溜め込んで、それを周りの人や物に使うということはないのではないか?

日本はもう借金まみれのお金が無い国だ。そんな国なのに、過去(ほんの20年前)の栄光を忘れられずに無理をしているように思える。

『国を背負う人たち』

先日、東南アジアのある国の病理医数名が私の勤務先に視察としていらっしゃった。

『ルイヴィトンとかグッチは日本に無い』

いわゆるブランド品、日本人女性の10人に1人は愛用しているだろう。男性でも財布とかネクタイは一つぐらい何か持っている人は少なからずいるのではないか。
 かつて日本製品が世界各地で受け入れられていったのはその品質の高さ故だった。いわゆるブランド品はその品質を保持するためにたゆまぬ努力を続けている。どこかで手を抜いてしまったのか、最近とんと見なくなったブランドもある。

『ブログを夜書き始めると元気が出ない』

週末の学会の準備が遅々として進んでいないのに、通常の仕事、というか本業の方が忙しくて、何も進まない。さらに、今日ショックなことがあった。

その学会ではセッション一つのお世話をしているのだけど、そのプログラムが主催者側のミスで落丁。全く参る。erratumを出してもらったところで、国際学会なので相手の先生方が気を悪くしないでくれたらいいのだがと心配になる。セッションの場ではホスト国を代表して謝るのは私になるので、私の拙い英語でお詫びの気持ちが伝わるだろうか、今から心配だ。国際問題というのは、意思疎通が上手にできないために生ずるに違いない。

それにしても忙しい。ヘトヘトだ。

こういう時は免疫力も落ちやすくて、先日来の風邪がまた悪化しそう。といっても、誰も助けてくれはしない。私は私で踏ん張らないとならない。


なんてことを、帰りの電車の中で書いていると、なんだか自分が哀れに思えて来る。夜になってからブログを書き始めるということはあまりないので、こんきもは比較的元気なブログだと思っている。だから、こういうのはあまり良くないのだが、今日のプログラムの件はさすがに落ち込んだ。
 でもまあ、そうは言ってももう仕方がない。主催者だってやりたくてやったみすではない。今夜無事に眠れたら、寝て起きたら気持ちを変えていくしかない。
 というか、準備しろ。これでは逃げているだけだ。

日に二度更新というのもどうか

『一昨日の夕食の献立』

一昨日、夕食は家でとった。
その時のメニューはなんだったか、直ぐには思い出せない。
 これは作ってくれた人に対してとても失礼なことだ。

『コロの復調』

先日来、ご心配をおかけしてきたマルチーズのコロだが、おかげさまで復調の兆しが見えてきた。

3系統ともの高度の貧血になって、精も根も尽き果てたようになっていたのだけど、クッシング症候群(副腎皮質機能亢進症)に対する薬を休薬したら症状が改善してきたのだ。薬剤性の副腎皮質機能低下の状態だったのではないかと推測している。

今回のコロの経過は、脱毛と多飲多尿、皮膚の張りの低下などからクッシング症候群(副腎皮質機能亢進症)が疑われ、検査をしたらACTHが高いことがわかって、クッシング症候群と診断された。クッシング症候群は犬でもしばしばみられる病気で、副腎からのステロイドが多く分泌されることで、前記のような症状が出る。したがって、このステロイドが副腎で合成されるのをブロックする薬を飲んで、症状を抑える。

薬物治療の効果は良かったのだけど、どうやら長期投与が良くなかったようだ。

『病気が急によく見える瞬間』

こういうことを書くと、お前は一体何年病理医をやっているのだ、と呆れられてしまいそうだけど、やっぱりそういう時はある。

病理診断をしていると、病気の成り立ちが急に分かる瞬間がある。もともと、誰もが知っていることなのだろうけど、自分で病気の本体を理解しない限りは自分で診断したことにはならない。

癌の診断をする時、その腫瘍の顔とか浸潤の広がりとか、そういったものが理解できていないといつまでたっても癌取り扱い規約に振り回されることになる。

それ以外の病気でもそうだ。

病理標本をじーっと診ていると眼前に患者さんの病態が一気に広がって見えるのだ。そして、それを文章、すなわち診断書に記載する。

『従軍慰安婦問題について考えること』

韓国が従軍慰安婦問題についての日韓合意を見直そうという動きがある。

この問題については、双方の国、いや世界中で風化させることなく語り継ぐ必要があるだろうけど、他国の大使館の前にその問題を象徴するような像を置くというようなことは礼を失していると思う。

日本のニュースでは割と大きい問題として報道されているが、韓国でもやはりそうなのだろうか。行きすぎた対応は両国間の関係を悪化させる以外ない様に思う。

それぞれいいテーマではあった

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去年(!?)のボツ記事 2016

2017年12月30日 | 日々思うこと、考えること

例年恒例としていたボツ記事特集、去年はそれすらしていなかった。ということで、まずは去年のボツ記事を。

『』内はタイトル、本文は当然、書きかけのもので、推敲もなにもしていない。あしからず。

読むとやっぱりネガティブだったり嫌な感じ。でもこれもコロ健の一面でもある。これはこれで私。

『消せない思い』

なかなか消すことのできない思いというのがある。楽しかったこと、嬉しかったことならいいが、これが嫌なこと、辛かったことだとあまりよくない。つい先日、人生は未来にある、と言っていたのに、私は過去に捕らわれ続けている。逆にいえばだからこそ未来にかけたいのかもしれない。過去に捕らわれている理由は二つある。一つは、そのことを忘れるとまた同じことをしでかしてしまう可能性があるから忘れられない。もう一つは、目には目をと、復讐しようと自分にされたことを忘れないのだ。
同じ失敗を繰り返さないため、というのはいいが、復讐心がなかなか消えないというのはつらい。
いつまでたっても、こういうことはよくないというのは知っているのだが、どうしようもないことかも知れないとも思う。
少し前に、やられたらやり返す、倍返しだ、という台詞で人気を博したテレビドラマがあった。仕返しが成功したとき、視ている人は胸のつかえが取れたように拍手喝采、ああいう感覚は人間誰しもが持つどうしようもない業のようなものなのかもしれない。
実際の世の中は小説やドラマとは違う。そう簡単に物事が運ぶわけがない。自分が公正であるならば、堂々と今、幸せであることをかみしめながら生きていれば、十分な意趣返し、復讐となるように思う。

『いいね、結婚式は』

ここ何年か結婚式に呼ばれていない。若い人の非婚化が進んでいるせいもあるだろうけど、それより自分が年を取ってしまったからというのが大きいということに気がついた。年寄りは、結婚式には不要なのだ。というのも、今の職場、近くにいくつか結婚式場があり、今日も、帰りに前を通ったら新郎新婦の友人達が少し赤い顔をし連れ立って歩いていた。そして、結婚式というのは若い人たちに祝ってもらってこそのものだと、つくづく思った。自分たちの結婚式を思い出して、友人のスピーチは覚えていても、両親がどんな顔をしていたのかなんて覚えていない。そんなものだろう。そう思うと、かえって結婚式に出たくなる。私の周りにも何人か適齢期の親戚、知り合いがいる。誰か呼んでくれないかな?

『クスリに手を出したきっかけは』

この間、元プロ野球選手が覚せい剤取締法違反で逮捕された。

『どうしたら後悔を知らせてあげられるのだろう』

私自身の人生で、人を傷つけてしまい後悔していることはたくさんある。でも、人間として生まれて、人のことを傷つけることなく生きていくことなどできない。そして、どの程度まで、傷つけてよくて、どれ以上はだめ、という線もひけない。転ばぬ先の杖、などというがそんなものがあるのかなんて、誰もみたことがないのでわからない。

『男はみんな下衆なのか?』

センテンススプリング(週刊文春)の独走許さじと、今度はフライデーがスクープ。

『臨床医の服装、病理医の服装。』

今年初めに放映された病理医ドラマフラジャイル。実際の病理医にもずいぶん影響を与えているようだ。その一番が、服装だろう。
それはともかく、今のところ二着の背広を毎日交互に着回して毎日仕事に出ている。前の職場で着ていた白衣はまだ引っ越しの段ボール箱に詰めたままだ。そのうち病院から白衣が一着は支給されるだろうから、それまで待って、どうしても必要なときはそれを着ようと思っているが、おそらくそのようなことにはならないだろう。
病理医の服装については前にも考えたことがある。これまでの病理医人生のうち背広を着たのは新人の一時期。先輩に病理医がなに背広なんて着ているんだと言われてからは学会以外では着なくなった。今はIDカードを胸ポケットにつけるので、そこの傷みが気になる。

『おねだりする医者、できない医者』

私の知り合いが、とある有名病院に入院したとき、医者や看護師におねだりされて参ったとこぼしていた。何でも「皆さんでどうぞ」といって差し入れを持って行ったら以前は「患者さんからそのようなものを受け取るわけにはいきません」と固辞されていたのに、今回(7,8年ぶり)は喜んで受け取って、その上その時いなかった看護師にもねだられてまた持っていって、さらにはそれを聞いた医者からもおねだりされたとのこと。え、あの名門病院がと驚いた顔をみせたが、その病院、昔からそういうことを患者に要求することは聞いていたので、さほど驚くことはなかった。
ある程度の経験を持った臨床医で患者さんからお礼をもらったことのない人というのはいるだろうか、おそらくいないだろう。ちょっとしたお菓子から始まって、上は天井知らず。保険診療の制度を云々することになるのであまり突っ込んだことを言う気はないが患者さんにしてみたら、そうやって少しでも経験を積んだ医者に丁寧に診て貰おうとする。魚心あれば水心、実際贈り物の多い少ないで差をつける医者はいるし、出された物を突き返す医者はいない。結果としておねだりする医者も大勢出てくる。こういうことがあるので、医療はそれほど平等ではないと言える。
保険診療の元で働いている医者というのは公務員だと前から思っている。だから、そういう医者はすべての患者さんを均等に診る義務がある。そうしたくない医者は、独自の施設を持って自由診療でやっていくべきだろう。とはいえ、医学部での教育費の多くは税金が投入されていることは忘れてはいけない。医師というのはすべての国民のために養成され、働かせてもらっている。
今さらおねだりする医者を無くすることなどできやしないだろうが、患者さんの権利の保証のためには、せめて研究開発法人とか独立行政法人といった旧国公立病院、国公立大学病院の医師は患者さんからの贈り物は受け取ってはいけないという規則を罰則付きで制定するべきだ。とくに国立病院などは給料が安すぎて医者がやめてしまうからと、舛添要一が厚生労働大臣の時に給料をずいぶん上げたのだから十分だろう。
それでも何とか渡そうとする患者さんはいる。

ずいぶん人気の出たNHKの連続テレビドラマ「朝がきた」。その中で商売が傾いたのち、農家に転じた主人公の義理の兄がいまわの際で言った「人の顔色気にしないで、誰にも媚びずに生きてきた」台詞が印象深かった。

こびずに生きているという点では、病理医もそうだと思っている。実際のところは、媚びようとしても媚びる相手がせいぜい同業者ぐらいしかいないということだ。

『去った人、手をさしのべてくれた人・・・去った人』(本文なし)

『去った人、手をさしのべてくれた人・・・手をさしのべてくれた人』(本文なし)

『ひと月経った』

新しい職場にうつって1ヶ月。馴れないことが多くて、はじめはあたふたしたが、だいぶ馴れてきた。

『物理的な忙しさと精神的な忙しさ』

 来週いっぱい公私合わせて用事がつまっている。一体いつ体を休めたらいいのか分からなくなるぐらいだが仕方ない。人によって活動力には差があるのでどの程度まで無理していいのかわからない。そもそもパフォーマンスを向上させるのに無理をする必要があるかどうかも怪しい。
だが、人から頼まれたことを無碍に断るわけにもいかないので、それぞれになるべく応えていたらだんだんと首が回らなくなってきた。
物理的に忙しいと、精神的な負担も大きくなるが、今のところ気に入ったことしかしていないのでこちらの方のストレスは少ない。
昨日一昨日は仕事関連でアルコール付きの食事をして、今日は中学高校の同窓会。この年で三連ちゃんは少しきつい。

『犬派か猫派か』

犬の散歩で歩いていたら、近所の空き地に猫がいた。

 『注意力、散漫』(本文なし)

『大きな声で返事して』

鎌倉駅に帰ってくると、大声を出している人達がいる。ビーチで飲んで気分好くなっているのだろう。

『スイカ農家』

神奈川県三浦市はスイカの名産地として有名だ。

この間の休み、以前からスイカを譲ってもらっている農家を訪ねた。

巨大なスイカが、土間に積み上げられているのを見るのはいつ見ても圧倒される。

1個20キロ近くあるので、持つのも大変だった。

お野菜も譲ってもらって帰った。

『大変な時、助けてくれた人』(本文なし)

『個々の癌細胞への愛おしさ』(本文なし)

『解剖慰霊祭』(本文なし)

『自分の選択を後悔しない』

誰かが何かを決断したとしても、結局はその人自身の決断であって、他人は関係ない。もちろん、それが独裁者の決断であれば、困る人は多いが、それでもすべてのことは個人レベルの話として落ち着くことになる。私もちょっとした決断をした。このことで少し困る人もいるかもしれないが、たいしたことはないだろう。世の中というものは水と同じで常に隙間ができないようになっている。

だから決断をするにあたって大切なのは人目を気にすることではなくて、自分の決断を後悔しないことだ。人生は短くて、やれることには限界がある。人の言うなりになっていたら、そんなことできない。
何よりも人を大切にしていくことが一番だと考えている。

『どうしたら貧乏と言えるのか』

貧困家庭の取材で、子供が贅沢だと非難した人がたくさんいる。国会議員まで非難したらしい。ではどんな生活をしたら貧乏と認めてめらえるのか?見るからにみすぼらしい格好をして、何もせずじっとしていたらいいというのか。

『地震ではなく爆撃で亡くなる人』

シリアの停戦が崩壊し、多くの人が瓦礫の下敷きとなって亡くなっているそうだ。
瓦礫の下敷きなんて、地震でのことしかありえないと思っていたが、なんたることだろうか。

『今、何がやりたいか?』

夢を持っているということがとても大切だと、いつも思っているのだけど、今、何がやりたいか?と聞かれると答えに困ってしまう。

原因は何か?毎日、ぎゅうぎゅうに仕事が詰まっていて、何も考えることができないとか、今の環境が楽しくて嫌なことがあまりなく満足しているのか。どちらかといえば、前者だと思うのだけど、

『映画 「スターウォーズ ローグワン」』(本文なし)

『お金のやりとり』

忘年会シーズンもたけなわ、頭が痛いのが、会費。
見栄をはる必要はないのだが、どうしても少し多めに払わなくてはいけない局面というのもある。

ずいぶん昔のように思える

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