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こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

考え続けるということ

2014年01月16日 | 日々思うこと、考えること
考えるということはめんどくさい。
ぼんやりあれこれ考えるという程度であれば、比較的簡単だが、何かをじっくり考えるとなると、紙と鉛筆が必要になる。
だが、紙と鉛筆を持って、じっくり考えるとなると、今の私にはできない。
プロの思想家、哲学者ではない私に、そのことに使う時間はない。私の職業は病理医であり、その仕事を全うするには膨大な時間と労力を必要とするからだ。



だが、不肖コロ健毎日少しずつはあれこれ考えている。
考えているといっても、ぼんやり考えている程度でたいしたことない。せいぜい、キーボードを叩いてその時々考えたことを、このブログにとどめているだけだ。
それでも、何もしないよりはまし、といえばそうだろうと思っているので、とりあえず考えている。



ぼんやりでもいいから考え続けたい。
忙しくて、考える時間さえとりにくいことがあるけれど、幸い長い通勤時間が私にはあり、考えることに充てることができる。
考え続けることを中断すると、あっという間に考えることを忘れてしまう。だから、毎日少しでも考えることを続けないといけない。



で、その、考えることだが、何を考えるか。
病理(医学)のことか、それ以外のことか。
昨日までの記事数は1,760件で、”病理のこと”が264件、読書、料理で69件を除くと、8割以上はそれ以外のことを考えていることになる。まあ、病理のことは仕事で考えているからいいだろう。

など、なんだか、このことについて考えれば考えるほど疲れてしまうのだが、考え続けることが私の存在理由かもしれないので、致し方ない。

継続は力なり
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私にとっての成人式

2014年01月15日 | あの頃のこと…思い出話
30年前の今日、すなわち1月15日、私は家からは少し離れたところにある区の体育館で開催された成人式に出席した。昔は1月15日が成人式だった。
その日も今日のような曇天だったと記憶している。
12月生まれの私は二十歳になったばかり、一浪して医大に入って迎えた初めての冬だった。



あの頃の私、とても人にお話しできるようなことは何一つ無い人間だった。

乱暴で、怠惰で、世間知らず。
大学の講義を馬鹿にし、タバコを吸い、酒を飲んで騒ぎ、無謀な運転をした。
もちろん、それだけではとどまらず、多くのことで多くの人に迷惑をかけ、心配をかけた。



昨今話題になる、成人式の会場で暴れるようなことはしなかったが、すべてが自分を中心に回っていると考えていた点で、本質的には彼らと違うことは無い。
最近では”やんちゃ”などという、小学校低学年児に使うような言葉をまとって好き放題をする20歳前後の若者さえいるようだが、私もたいして変わりない。

私にとって成人式はその頃のことを思い出させてくれる、私の人生のメルクマールとして重要な意味を持っている。



こんなんだったら、成人式なんてやらなければいいのに、というように考えることもある。
だが、20歳という人生の第二の門出の時のことを、30年後に思い出し、それをどう考え、見直すか、という意味で、成人式という行事の存在そのものは悪くはないと、今では思える。したがって、成人式は存続させるべきものだと考える。

はたして、30年経って、自分は変わったか、それとも変わってないか。
いずれにしても、成人式はわずか20年の節目。私はそれからもう30年生きている。

落ち着いたのはいつ
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掘り出し積読本

2014年01月14日 | 読書、映画、音楽、美術
妻がこのところ、部屋の模様替えにハマっている。もとはインテリア関係の仕事をしていたせいかもしれないが、部屋のなかにゆがみというか、アンバランスなところがみつかると、そのうち我慢ならなくなり最後はちょっとした引っ越しなみのことが起こる。
この3連休もちょうどそんなだったのだが、私は3日とも研究会と班会議で家にはあまりいなかったので、息子と娘が半ば強制的に手伝わされていたようだ。

とはいえ結局、私も逃げ果せることはできず、昨日の朝、出かける前に、今度動かす時はこの家を出て行くときと思っていた家具を2階から階下に3人(コロ健と、息子と娘)で降ろすという大仕事に加わさせられた。

さて、そんなこんなであれこれ整理していたらついでに本棚もとなった。私の微々たる蔵書も仕分けの対象となり、どれを飾って(とって)おくか、どれをブックオフに持っていくか、という選別することとなった。
すると、本好きの妻と娘が購入していた本も仕分けの対象となり、まだ読んだことは無いものの、読んでみたくなるような本が数冊出てきた。
瓢箪から駒ではある。



いかにも女性向けの、気恥ずかしくなるようなタイトルの本もあるが、せっかくわが家で私のそばで私のことを待っていてくれた未読本たち。不肖コロ健も本好きの端くれ、是非、読んであげたい。
仕事で読まなくてはいけない論文が山ほどあるのだが、読書はせめてもの私の人生の彩り、3連休、毎日頑張ったのだからこれぐらいはいいだろう。
次の(仕事の)山は2月中旬から3月上旬。3領域4学会/研究会の発表がある。
ということで、それまでは余裕があるので、このうち何冊かだけでも読んでみたい。


明日は雪の予報。

本棚からコマ
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赤いジャンパーを着た意地悪なおっさん

2014年01月13日 | 日々思うこと、考えること
休日の地下鉄、一度乗り遅れると次までけっこう待たされる。
わずか一本乗り遅れただけで、一駅か二駅、4、5分のために10分近く待たされるのはかなわない。
昨日の研究会の帰りに地下鉄を使ったときのこと。ホームまで2階分ぐらいある駅で、電車が入線してくる音が聞こえたので、それに飛び乗ろうと、コロ健慌てて階段を駆け下りた。

その時私の前には、二人の幼稚園児ぐらいの子供を連れた一家がいた。彼らもその電車に乗ろうとしていて、父親と子供二人は階段をわりと早く降りて、父親は振り返って、少々遅れていた母親に対し、早く降りるよう促していた。

その母親はなんだかわからなかったが、階段を降りるのが遅かった。そんな人の後から降りていては、くだんの電車にはとても間に合わないので、階段の半ばで彼女を追い抜いた。
コロ健、一足先にホームにたどり着き、電車のドアの前にたどり着いた。ドアの前では二人の子供と一緒に父親が彼女を待っていた。
直後、ドアが閉まりかけ、私は、3人の横をすり抜けるようにして、閉まり始めたドアに滑り込んだ。
私の駆け込み乗車のせいだろう、いったん閉まりかけたドアが開いた。
ドアが開いたところで、母親が追いついてきてその一家もすかさず乗り込んできた。改めてドアが閉まり、電車は発車した。

すぐに、車内アナウンスが流れた、
「発車間際の駆け込み乗車は大変危険です。ドアが閉まりかけてのご乗車はご遠慮ください」

コロ健、周囲の目もあり、少々気恥ずかしく思ったものの心の中では、『この場合、このアナウンスの対象は私ではなく、この一家のはず。私一人であったら、このようにはいわれなかったはず。』と思っていた。さすがに、『乗ってこなけりゃ良かったのに』などと、蜘蛛の糸のカンダタ(犍陀多)のようなことまではそのとき思わなかった。同じ穴の狢である。
だから、ここまでであったら、ブログに書くようなことでもなかった。



だがそれでは終わらなかったのだ。そのアナウンスでその一家も少なからず動揺したようで、一家で顔でも見合わせたのだろう。その直後に、姉と思われる子供が大声で両親に向かってこういったのだ、
「だって、いいんだよ、赤いジャンパーを着た人だって、乗ったもの」

そのドアの近くで赤いジャンパーを着ていた人間は、私以外いなかった。

私がその子によって指摘されている人物であることは明らかであった。
なんとなく、居心地が悪く、「すみません」と、その一家の方へ向けて謝った。

なんとなくその件はそれで終わったが、私にとって後味の悪いものだった。



はたして、私のとった行動は正しかったのか。

そもそも、駆け込み乗車をした共犯者であるその家族に対して謝る必要はあったのか。その子たちもやってはいけないことをしたわけで、謝る必要は無かった。それよりも、私が謝ったことで、私は“謝る”というけじめを何となくつけることができたが、その両親は謝る先を無くし、けじめをつけることができなくなってしまった。

駆け込み乗車という、一人の大人としてやってはいけないことをしたのは私も、その両親も同じである。今日から、大人たちのそのような振る舞いをみて、駆け込み乗車ということは、子供たちにとって、“やってもいい”こととなった。私の場合は、どこかの赤いジャンパーを着たおっさんだが、その両親は、その子らに対して“駆け込み乗車はしてもいいこと”ということを身を以て示してしまった。
さらに、“悪いことをしても謝る必要は無い”、ということまで示してしまった。
二重の意味で子供の価値基準をゆがめてしまったことになる。

その子がそう言った時に、すぐに私に対して「失礼しました」などいって、謝れば良かったが、その両親はあっけにとられてそのことができなかった。そして、私から謝ってしまった。
私という謝る対象があれば、
『失礼しました』と私に謝ったあと、子供に向かって、
『本当は、駆け込み乗車なんてしてはいけないのに、してしまったのはお父さん(お母さん)なんだから、いけないのはお父さん(お母さん)です。そんな失礼なこと言ってはいけません』
と言えばよかっただろう。
親としての資質がとぼしい人たちであり、そういう親をみて育つとどういう大人になるのだろうと心配になった。

その父親は私がどうしようと結局のところ駆け込み乗車をしたかもしれない。だが、私はどうだったろう。一人の大人として私が子供のいる前で、駆け込み乗車をしたことそれ自体が悪いことであった。さらには、私が母親を追い越さないでいれば、駆け込み乗車はできず、その家族にもこんな出来事をもたらすことは無かった。
子供は社会全体で育てなくてはならないもので、駆け込み乗車をするおっさんも車内で携帯電話を使って話す人もマナー違反をしていることに変わりはない。
ほんの些細な出来事かもしれないが、その女の子の記憶にはしっかりきざみつけられただろう。
それにしても、親に対して意地悪をしてしまった私はいつもながら、嫌な奴である。



うぐいす色だったら言われなかった?
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それぞれの立場でやっていけばいいさ

2014年01月12日 | 日々思うこと、考えること
学会とか、研究会での懇親会。まあ、いってみれば打ち上げである。病理関係のそういったたぐいのものは、当然のことながら製薬会社からの援助は一切無く、自腹である。
さて、そういった会でざっくばらんに話していると普段一緒に仕事をしていない人でもその人となりがある程度推測することができる。アルコールが入っているのがいいのかもしれないが、けっこう本音を聞くことができる。

先日の某研究会の懇親会にて、わかったことのひとつに、病理医とひとことでいっても、いろいろな適正があるということだった。

病理医の適正のうち、一番重要なことに、“一日中顕微鏡の前に座っていて平気であること”というのがあるとわたしは思っている。これだけで、きわめて特殊であると思うのだが、そういう特殊な技能を持った人の中でも違いがあったのだ。

それを三つに分けてみると、全体をまとめるのが好きな人、個別の案件をまとめるのが好きな人、その間をまとめるのが好きなひと、となり、それぞれのポジションの人が大切である。

ちなみに不肖コロ健は、“その間をまとめる”のが好きである。
で、今日は、全体をまとめるのが好きな人がいて、あと、私が居た。
ちなみに、個別の案件をまとめるのが好きな人は壇上で発表していた。
こういう人がバランスよくいると、その組織は発展するに違いない。

自分に無いものを持っている人のことをねたんだり、うらやましく思うのはあまりいいことではない。
どの立場の人がエラいとかエラくないということではなく、それぞれの立場の人がプライドを持って、それぞれの仕事に当たること、そのことがとても大切なことだ。

十人十色
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私はこれまで何やってきたのだろう

2014年01月11日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
研究会、班会議3連チャンの1日目。
いろいろな先生のいろいろな発表をお聞きした。
研究会なので、先端の知見を教えていただくのは当たり前のことだし、それを聴くために来ている。
それにしても、驚いたのはこれほどのことが知られていて、目の前にいる人はそのことを知っていて、自分はそのことを知らないでいる、ということだった。

数年前まではこの先生とも大してかわらないことをしゃべっていると思っていたのに、いつの間にか知っていることはずいぶん違ってしまった。

私はこれまで、何をやってきたのだろう。

曰くいいがたい不安を持ちつつ、話を聞いていたのだが、途中でわかったことがあった。
「ビビったところで、どうにもならない」
このあと、他の先生と話したら、同じようなことを感じていたらしい。

「わたしはこれまで何やってきたのだろうと思いました。」などと、私からすれば良い発表をした病理の先生がこぼしている。
うーん、そんなものなのだ。

これまで、何をやってきたのか、ということ、それはそれだが、何かはやってきたのだ。だからこそ、この先何をするかが大切になるのだろう。

コロ健としては、これまで何をしてきたかなどは気にせず、これから何をやろうかと、気を若くもっていこうと考えた。それでも、きっといいはずだろう。

五里霧中
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寒い、寒い、寒い。

2014年01月10日 | 日々思うこと、考えること
あまりにも寒くて、歩いていても寒いこと以外何も考えられない。
今回の寒さについての報道を集めるにとどめる。

今日も日当りの良い道を探して歩こう


アメリカはとてつもない寒波に襲われているそうだ。
【猛威振るう米国の大寒波 死者計20人に】 2014.1.8 21:10(MSN産経ニュース)
【ニューヨーク=黒沢潤】米国を襲っている寒波は7日も猛威を振るい、米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)によれば、ここ数日間の全米の死者数は20人となった。
中西部デトロイトでは7日、零下18度を記録。ニューヨーク市のセントラルパークでも、同日としては1896年以降、最低となる零下16度を記録した。同市内では6日夜から7日にかけて、ホームレスの人々の収容施設を特別開放し、計約260人を収容した。AP通信によれば、南部アトランタでも7日としては過去最低の同14度まで気温が下がった。
寒波で空の便も大きく乱れ、7日だけで約2400の航空便が運航中止となったほか、約3000便に遅れが出た。中西部イリノイ州では雪のため6日夜に立ち往生していた列車から7日、乗客約500人が救助された。

別の記事から。

ロイター通信によるとイリノイ州のシカゴで氷点下24度、ミネソタ州ミネアポリスでは同34度が予想されている。気象当局は「約20年ぶりの低温が米北部、中部に広がる」とし、強風とともに「生命を脅かす」と警告した。
なんでも、南極より寒いとか。
画像(あらゆるものが凍りついた「アメリカの大寒波」(The Huffington Post 2014年01月08日)を見ると気の毒になる。


少し低いところだと日差しは下には届いてこない



そして、その寒波が日本にやってくるらしい。
【米寒波、日本到来か 週末はこの冬一番の寒さに】2014.1.8 21:40 (MSN産経ニュース)
米国に記録的な寒さをもたらしている寒気が日本にも流れ込み、週末には東日本などでこの冬一番の寒さとなる可能性が出てきた。東北や北陸では大雪も予想されるとして、気象庁はレジャーの際などの注意を呼びかけている。
気象庁によると、日本付近で偏西風が南へ蛇行するため、米国に流れ込んでいた北極付近からの強い寒気が10日ごろから流れ込んでくる。西高東低の冬型の気圧配置も強まって、北日本や東日本ではこの冬一番の寒さになる可能性もあるという。東北や北陸では10日から11日にかけて大雪や荒れた天候になる恐れもある。全国的にも平年より低い気温になり、東京では10、11日とも最低気温は1度と予想されている。その後も引き続き寒気が入るため、来週にかけて北日本や東日本では平年より気温が低い日が多くなるという。気象庁は「レジャーなどで雪の多い所に出かけるときは注意してほしい」としている。


今日は富士山がよく見えた



この寒さの原因が温暖化に関係している可能性があるとは、驚きである。

【「命奪う寒さ」温暖化副作用? 米、記録的な寒波で死者20人超】2014.1.9 11:53 (MSN産経ニュース)
米国で猛威を振るっている記録的な寒波は7日、中西部から南部にまで影響が広がり、各地で過去最低気温を更新し、この数日の死者は20人を超えた。米当局は「命を奪う寒さ」と警戒を呼びかけている。今回の寒波は北極上空に寒気を閉じ込めている「極渦」と呼ばれるジェット気流の勢力が弱まり、寒気が南下してきたことが原因で、専門家は「地球温暖化の副作用」と指摘している。同じ北半球の日本も異常な寒波に見舞われる可能性がある。

 北極の気温上昇端緒
7日に最も気温が下がった中北部ミネソタ州のエンバラスでは氷点下37度を記録。ニューヨークで氷点下16度と、1月7日としての過去最低気温を更新し、シカゴでも氷点下17度まで下がった。米メディアによると、各地でホームレスらの死者が出ているほか、中西部イリノイ州では列車が立ち往生し乗客約500人が救助された。航空機は数千便が運休・遅延となり、自動車の事故やエンジントラブルも相次ぎ交通機能がまひした。

「今回の寒波の異常さは、これほどの寒さを経験したことのない地域にまで南下していることだ」。米国立気象(NWS)の主任予報士、ロバート・オラベク氏は、米科学誌ナショナル・ジオグラフィックの取材にこう指摘した。
専門家は南下の原因として、「極渦」の変動を挙げる。極渦とは、北極と南極の数千メートル上空を反時計回りに回転して吹くジェット気流で、渦の内側に寒気を閉じ込める役割を担っている。気流は周期的に強まったり弱まったりする「北極(南極)振動」と呼ばれる変動を繰り返している。
 気流が弱まると、寒気に押し出されるように極渦が南に下がり、寒気も南に張り出す。気流が極端に弱まったことが、今回の異常な寒波につながったと考えられている。

 ではなぜ気流が極端に弱まったのだろうか。 
「極渦は、北極圏とその外側の中緯度地域との気温差によって発生する。昔は気温差が大きかったが、近年は北極圏の気温が世界平均の2倍の上昇を記録したことで、気温差が縮小。その分、気流も弱まりやすくなった」。ベルリン近郊にあるポツダム気候変動研究所のディム・カウマウ上級研究員はフランス通信(AFP)に対し、地球温暖化が影響していると指摘した。


手前の丹沢山系も白い



 日本も「この冬一番」
 また北半球の異常気象の原因としては、中緯度地域の上空を吹く「偏西風」の蛇行が指摘されており、南側に蛇行している地域では、北極圏から寒気が南下しやすくなる。
この蛇行にも温暖化が影響しているという。米CNNの上級気象専門家、ブランドン・ミラー氏は「蛇行は温暖化で北極の海水温が上昇し、海氷が溶けたことに端を発する世界的な異常気象の一つだ」と断言。ポツダム研究所のカウマウ氏も「蛇行の原因は完全に解明できていないが、北極圏は地球の他の地域よりもはるかに気温が上昇していることはデータからも明らかだ」と指摘した。
 ミラー氏は「異常な寒気の南下は、北米だけでなく、欧州やアジアといった北半球のどの地域でも起こりうる」と警告する。
 北米では今後次第に寒気が緩むと予想されているが、週末には日本にこの冬一番の寒気が流れ込むとの予報が出ている。


落ち葉が氷に取り込まれている



明日からの3日間、研究会が続く。北米の寒さを対岸の火事とせず、寒さ対策をしっかりして出かけないと。
それにしても、地球温暖化。どうしたらいいのだろう。
とても不安になる。

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冬の景色

2014年01月09日 | 通勤・交通・旅行
今日は、いろいろ考えられないので、冬の景色の記録だけ。


スイセン。
向こうに見えるマンションの工事はどのくらい進んでいるのだろう?

この辺り、畑がどんどんマンションになっている。


葉の残っていない木は、冬そのもの。


富士山も見えない。
ひと月ほど前に出現した2基のクレーンが気になる。
高いマンションでも建って富士山が見えなくなったらどうしようかと心配になる。


2本の落葉樹。


スイセン。
夜はみぞれになるといわれていたが、幸い降られることはなかった。
だが、歩いていてふらつくほどのつよい北風だった。

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みんなで食事ができるのなんてあと少しの間なんだから

2014年01月08日 | 妻の名言
大学生になった息子、それなりに家に居着かないようになった。
部活に、遊びに、デートに、アルバイト。まあ、19歳といえば大人なので何をしても勝手で、危ないことさえしなければ何も問題にはならない。
だが、大学には自宅から通っており、多少は家族の一員という自覚は持って欲しいとも思う。
(下宿代がかからないという点で、親孝行だという考えがあるのは承知している)

そんな息子、年末年始はとくに忙しかったようで、妻のおせち料理の手伝いも大掃除もそこそこに、出かけていってしまった。
こんな息子に対して、コロ健、ずいぶん腹が立った。
もちろん、息子の年の時は浪人(一浪)していたとか、大学に入ったらそれこそ家にいなかった(自宅生)というようなことは棚に上げてのことであり、よく考えるとまったく理不尽な話なのだが、それは仕方ない。人間、自分には極端に甘く、自分以外には厳しい。
かといって、変に言い返されて、私の過去が明らかになってしまっては、やぶ蛇である。ということで、一日のうちわずかに顔を合わせる食事の時間、ぶすっとした顔で、冷たくあしらっていた。

子供に対して意地悪をするというのも、自分の了見の狭さが嫌になる。



休日が並んだ年末年始、とくに年明けにそんなことをしていたら、私の態度の変化をうすうす感づいていた妻に、そのことを咎められた。
「だって、ただ家にいりゃあいいってもんでもないだろう。食事の時だけ一緒にいて、後は寝るだけ。なんて、許しておける?」といったら、

「私はそれでもいい。
家族みんなで食事ができるのなんてあと少しなんだから、そんなこと、気にしちゃダメよ。
一緒の食事だって、あと何回できるか、考えてみて」
といわれた。


たしかに、子供たちが私たちから離れはじめているからこそ、こういうことになるわけで、それにいちいち目くじらを立てているようではどうしようもない。
自らのけつの穴の小ささにつくづくあきれた。

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寒の内

2014年01月07日 | 通勤・交通・旅行
朝、起きたら鎌倉の気温は1度。さすがに寒い。
この時期は日の出が最も遅いそうで、6時の東の空はこんなものである。
1月5日の小寒をすぎ、いよいよ寒の内。寒さは立春までおよそひと月続く。
通勤には一番つらい季節がやってきた。



今日は1月7日。妻は毎年七草がゆを作ってくれるが、味は毎年微妙に違う。私がおかゆがやや苦手ということもあって、いろいろ工夫をして出してくれるのだ。

なんでも今年は、おかゆにお餅を入れるのが重要であると、テレビを見て初めて知ったとかで、初めてお餅が入った。



とても美味しく、体にやさしく、温まったところでいざ出勤した。

だが、東京に着いたらやっぱり寒い。これまでにも何度かご紹介してきた(『どの道で行くか』)が、駅から病院までのルートはいくつかある。少しでも温かくなりたいと、そのなかで日当りの良い道を選んで歩いた。



このルート、道路幅がほかより広いので日当りがいい。従って、車の交通量が多いのと、2、3分遠回りなのが少し残念である。
違う道を通ると、同じものを違った角度から見ることになり、見慣れた風景が新鮮に見えて、うれしい。



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今を、生きる

2014年01月06日 | 日々思うこと、考えること
仕事始め、いつも通りの横須賀線に乗って病院に行き、仕事をして帰った。
年末には少し滞っていた仕事の整理をすることができたし、先週末にはなんとか原稿を書き上げることができた。

朝、横須賀線に乗ったら顔なじみのサラリーマンがたくさんいた。正月休み明け、今日から仕事という人が多いだろう。
妻にしても年末年始は大掃除から始まり、おせち料理を娘に教えながら作り、三が日はよく休み、明けたら、掃除、洗濯を再開した。

仕事が減っているわけはなく、猛烈な勢いで一日が終わった。

原稿のてにおはを直しながら帰る。意外に混んでいるのに驚いた。



こうしてみると、何をもって本来のありようといえばいいのだろうかと思う。
人間たるもの、元気で頭、体が動く限りは労働を通して社会に貢献すべきである。そして、その対価として得たお金を使って、経済を回すことも必要だ。
すなわち、生きている限り、無駄なことは一つもなく、生きていることそれだけで、意義のあるのが人間ともいえる。
もちろん、その規模には大小があるし、犯罪は許されない。
人間以外の多くの生物にとっては人間はその命を奪っているという点で迷惑な存在であるが、そのことをここで論じてもあまり意味がない。



話を戻せば、人間だれしも、善意を持ってさえいれば存在していることにこそ意義がある。
だから、誰に対しても意地の悪い気持ちを持ってはならない。とくに、社会的弱者とされる人たちに冷たくしてはいけない。見方を変えればそれらの人のほうがよほど社会に貢献しているかもしれないのだ。

そして、すべての人は自分という存在に意義があることを信じ、自信を持ってそのときそのときを生きていけばいい。
それだけで、自らの存在は肯定される。

思いっきり仕事して、学生ならば勉強して、思いっきり遊ぶ。
そんな、毎日を送ることが、人間の使命なのだろうと思う。



今日のこの記事のタイトル、はじめは『今を、精一杯生きる』としたのだが、われながら気恥ずかしいので、精一杯を外した。
なお、昨年の流行語大賞とか、先日お参りした葛原岡神社の中に掲げてあった言葉に触発されたわけでもなく、あくまでも休み明けの通勤電車に乗りながら思ったことである。


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私の半世紀(小学校まで2)

2014年01月05日 | あの頃のこと…思い出話

小学校時代、勉強の方はまずまずだったが、最後まで一番にはなれなかった。
常に一クラス40人中の4、5番ぐらいだったので、たいしてできる方ではない。地元のできる子が一人ぐらい上にいたが、それ以外だと社宅にすんでいる子がよくできた。
みんな転校生で、教育熱心な家庭の子がいきなり私より上位にくるので、けっこう参ったのを思い出す。一応、地元生扱いをされていたのか、10年ぐらい前にクラス会で、「健ちゃん、地元としてよく頑張ってたよね」などと商店街出身のクラスメイトにほめられたことがあった。卒業時によくできた男子3人がいたが、3人とも東京大学に進学したのを、後に週刊誌発表の合格者名簿をみて知ったときには、妙に納得してしまった。



低学年の頃は、そろばんを習っていたが、全く上達しなかった。私はその頃から自分が理系脳ではないことをうすうす感じていたが、全くそれが原因だと思う。そして、そろばんをして理系脳が培われるかといえば、少なくとも私には全く無効で生涯文系脳で過ごすことになった。
4年生の終わりから、厳しいことで有名な地元の寺子屋式の塾に通いだした。当時はまだ、日本進学教室、通称日進が中学受験を制していた。私も日進の日曜教室に通っていたが、その塾には日進の成績上位者の常連がたくさんおり、並の成績だった私は肩身の狭い思いをしていた。
足の引っ張り合い、というか成績のいい奴が下位の人間を馬鹿にする、というのもそのときに学んだ。国語とか社会科でときどき良い成績を取ったりすると、大げさに驚かれたりしたことを思い出す。小学生をあのような過酷な状況に陥らせる中学受験というシステム、なんとかしないといけないのではないか。



中学受験では祖父の世話になった。応用自在とか自由自在といった受験参考書を読み込み、ずいぶんと一緒に問題を解いてくれた。残念ながらプロの教え方とはずいぶんかけ離れていたが、一生懸命教えてくれたことだけは今でも覚えている。
そもそも私のことをかわいがりすぎていたのだろう、叱られたことはほとんどなかった。一度だけ、あまりにも不真面目な学習態度だった私のことに、祖父の堪忍袋の緒が切れたことがあった。そのとき、祖父は怒ってコップの水を私にかけた。ほんの、コップ1杯のことだったが、祖父はのちのちまでそのときのことを後悔していたらしいと母が私に教えてくれた。



中学受験はといえば、第一志望の中学校は偏差値が届かずあきらめ、当時伸びていると評判になっていた学校を受験し、無事合格した。
合格後の成績をみると、それは無事ではなく、ギリギリだったことが明らかになるだが、中学(男子校)入学後の話は、また後日。

 


私の半世紀(小学校まで1)

2014年01月04日 | あの頃のこと…思い出話

私の半世紀といって、ここにすべてを赤裸々に書き記すことはためらわれる。
今でこそボチボチ落ち着いているものの、私も人生山あり谷ありできた。それも相当な振幅だった。
いつまで生きていられるのかはわからないが、将来ほとんどすべてを語ることができるようになったときに細かいことを忘れていると困るので、下書きというか備忘録のようなものだが、書いておこうと思う。



私は父の仕事の関係で海外で生まれた。当地の言葉がマスターできれば良かったのだが、3歳になる前に日本に来たので残念ながら何も覚えていない。日本に来る前に弟が生まれた。弟はダウン症だったが、そのことを父は母にすぐには伝えなかったらしい。ダウン症の子は顔を見たらすぐわかるが、当時はまだ知らない人の方が多かった。母は弟がダウン症だということを日本に帰ってしばらくしてから知ったらしい。

日本ではほぼ、東京で育った。幼稚園のころ、父のノミをいじっていて、誤って左手の手首を切ってしまった。いまでもその傷を縫った痕が残っている。私はこの後、よく怪我、病気をした。
小学校に上がる前、近所の小学校の校庭で逆上がりの練習をしていたら、落ちて鎖骨を折った。骨折はこのあと、数度あり小学校5年の終わりは、死にかけるほどの大けがをした。
これは、春休み前、というか卒業式前に6年生を贈る言葉、というものの練習を校舎の屋上でしていたが、小学生らしく、終わったとたん我先にと教室に戻る階段に駆け戻った。通常は、そのまま階段を駆け下りる(これだけでも十分危険)のだが、私は階段を駆け下りる級友を出し抜こうと、階段の手すりにまたがって滑り降りることとした。あいにく屋上は最上階であり、階段の手すりは上が無かった。
私は、手すりにまたがるどころか向こう側へと落ちたのだった。
気がついたら、救急車の中で、頭蓋骨の一部にひびが入っていたほか、鎖骨骨折、骨盤骨折を負い、九死に一生を得た。
この大怪我のこと、友人たちはよく覚えていて、クラス会で会うたびにネタになり、からかわれる。

今でも胃腸は強くない方だが、小さい頃はよくおなかを下していた。入院も何度かして、病院の冷たいおかゆがまずくて、おかゆ嫌いになってしまった。ホタテを食べて肝炎に罹ったこともあった。

肝炎といえば、小学校で肝油を売っていて、一度だけ買ってもらったことがあった。一晩で、全部食べてしまって父にずいぶんとしかられ、母は心配したが、結局なにごとも起こらなかった。



小学校時代の思い出は野球が下手だったこと。小学校低学年のころは鈍足だったのが、高学年になってやたら俊足となったこと。
友人の一人が脳腫瘍で亡くなり、体育の授業をいつも見学していた心臓病の色の白い子がいたことも思い出す。

私の通っていた区立の小学校の学区域には、社宅が多く、それとともに、商店街あり、古くからの住宅街あり、私のようなよそから引っ越してきた者ありと、学校にはさまざまな生徒がいた。私の家は小学校まで3、4分ととても近いところにあり、雨が降っても濡れて帰ることができた。
小学校時代の親友は一人。今ではほとんど音沙汰ないが、元気だということは他の仲のいい何人かの友人から聞いている。今住んでいる家は、仲のよかった友人の一人が某ハウスメーカーに勤めていて、そこに頼んで建ててもらった。

仲のよかった友達、とくれば初恋とくる。こないかな・・・。

コロ健の初恋の相手は、小学校一年のときのクラスメイト。
目のくりくりした、ペコちゃんのような笑顔のかわいらしい子だった。お父さんの仕事で2年生になるときに転校していってしまった。
その後、数名の女子に淡い恋心をもったものの、恋が成就することはなかった。
こののち、男子校に進学したコロ健が暗黒の時代へと突入したのはいうまでもない。



まだまだ、小学校時代の思い出というのはあるのだが、一回の記事では書ききれそうにない。
遠足で訪れた鎌倉由比ガ浜で波に足を取られてずぶぬれになってしまったこと、とか、学芸会でアリババと40人の盗賊の劇をやったとき、私はアリババで、好きだった女の子は姫でアリババをクラスの二枚目がやっていたこと、とかある。

先生もいろいろいらっしゃった。

きりがないので今日は、このくらいにしておく。


これまでの病理医人生とこれから

2014年01月03日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
半世紀生きた私の人生、家族には恵まれたが、私固有のもの、すなわち仕事でぱっとしたものはない。
病理医になってからおよそ四半世紀。残り時間はあまりない。

仕事ができる、というかやらせていただける時間というのは、思いのほか短い。
仕事というもの、はじめの数年は修行をさせてもらい、次に若さに任せて没頭する。そして・・・。

気がついたら、後進の指導をする立場になってしまった。
もちろん、これから10年ぐらいの間、前線で活躍しなくてはいけないのだが、実際のところは、これまで蓄積してきたものをまとめていく時間だ。その後は、後進の指導だが、これは見た目の話。今から始めていなくては、60をすぎてから後進を探すようでは遅い。

ということで、あれもこれもやっていかなくちゃならない。
老け込むにはまだ早く、新しいことにチャレンジしていく必要がある。



病理学がカバーする範囲は医学の9割以上を占めており、やろうと思えば何でもやれる。だが、それらをすべて全うすることは難しいので、いくつか限定する必要がある。
今やっているのは3臓器、3分野、といったところ。手を広げ過ぎているきらいはあるが、なんせ病理医は少ないので、何でもやらなくてはいけない。

ところで、なぜ、これほど病理医が少ないかといえば、その理由は毎度毎度のことながら、もうからないという理由が一番だろう。開業が難しいというのが一番だし、アルバイトもキツイ。バイトにいったら、どこでも標本は山積みで、居ればいいというような寝当直というものなど、ない。

こんな調子では、医者の数を1割増やしたところで、病理医はほとんど増えない。




そういえば、麻放病という言葉があるらしい。開業がしづらい、すなわちもうける手だてが限られている3大臨床医のことで、麻酔医、放射線(診断)医、病理医の3科の医者だ。
なお、すべての開業医の先生が儲け主義では無いし、開業医の先生は勤務医よりもいろいろなリスクを背負っているのは前提としてある。
近頃では、麻酔医の先生は同業者同士チームを組んでフリーで活動していたり、放射線(診断)医は遠隔診断を積極的に行っているようだが、ガラス標本が付いて回る病理医はなかなか難しい。
お金はあるにこしたことはないが、少なくても人様よりは多くいただいている。医療費はほとんどが税金である。これ以上ふざけたことをいっていると、罰が当たる。
私が、医者になろうと思ったときのこと、病理の道に進むことを決心したときのことを思い出したい。

先日、同世代の病理医と話したこと、
「なんで、こんなに苦労ばかりなのに、私たちは病理をやってるんでしょうね?」と嘆いたら、
「やっぱり、勉強が好きなんでしょうかね」と応じられた。
私は、勉強嫌いで過ごしてきたので、にわかに同意できなかったが、勉強が苦手なだけだっただけかもしれない。
勉強ができる医者なんていうのは掃いて捨てるほどいるが、医学の勉強が好きな学生というのは少ない。今年はそういう学生を探し出したい。



自分の研究はどうするか。
勉強好きの病理医としては、普段の診断業務の中から研究テーマを絞り出していかなくてはいけない。
幸い、私の勤務先の臨床医は比較的特殊な症例を扱うことが多く、診断に苦慮することが多い一方で、テーマはたくさんある。

これまで、10年ほど勤めてきて、ずいぶん多くの発表をさせてもらった。

上に述べた通り、これまで蓄積してきたものをまとめつつ、新しいものを探し出していかなくてはいけない。
難しい挑戦になるが、もうひと頑張りしてみよう。


とにかく、12月末締め切りの原稿を仕上げることが先決である。
原稿書き用のPCがネットにつながっているのは、善し悪しである。検索の手間はずいぶん省けるようになったが、ちょっと油断をすると、すぐにブログを書いてしまう。







年の瀬に良いものが読めた・・・2013年12月の読書記録

2014年01月02日 | 読書、映画、音楽、美術
鎌倉本は数あるが、この本は佳作。
ノーベル賞作家の作品はやはり難解。読み始めは何のことだかさっぱりわからなかったけど、最後は良い読後感。論文のような小説で、読破するのに2週間近くかかってしまった。頭の良い人が、究極の技術をもって書くと、こうなるということみたいだ。
石田衣良は現代の井上靖になるか。



2013年12月の読書メーター読んだ本の数:3冊読んだページ数:921ページナイス数:55ナイス4TEEN (新潮文庫)4TEEN (新潮文庫)感想同じ年頃の青春小説と言えば、井上靖の夏草冬涛。私は、中学一年の時に出会い、しろばんば、あすなろ物語と、暫くの間井上にはまってしまった。今の中学生は石田のこの作品を読んではまるだろうか。中学一年の私だったらどうだったろう、面白いと思っただろうか。そして、石田にはまっただろうか。中学生の頃に戻ることはできないので、もうわからない。たしかなことは、私はあの頃の心に戻れない、ということ。読了日:12月31日 著者:石田衣良


晩年様式集 イン・レイト・スタイル晩年様式集 イン・レイト・スタイル感想大江健三郎を初めて読んだ。その文章力の高さに感嘆した。圧倒的な完成度ゆえ、自分の文章力とひき比べてしまい、読んでいてつらくなってしまった。私小説の体裁をとりながら、個人と人類を対置した内容は普遍的で、後世の国内外の読書人の批評に耐えうる。ただ、多くの引用文献が効果的に使われているのが、研究論文を読んでいるような錯覚に陥らされる。”スグレタ”小説を書くことが目的となってしまっていることが、唯一の欠点か。読了日:12月27日 著者:大江健三郎


ヴィジュアル版 武家の古都「鎌倉」を歩く(祥伝社新書)ヴィジュアル版 武家の古都「鎌倉」を歩く(祥伝社新書)感想”鎌倉史観”という言葉がふさわしい歴史書。縄文時代の地形から今まで、武家政治とともに歩んできた政治都市鎌倉をわかり易く描いている。血塗られた権謀術数渦巻く時代の武家対公家の関係が理解できる。あらためて、往時を偲びながら段葛を歩きたい。 ところで、『日本の歴史と文化を訪ねる会』というのはどのような会なのだろう。内容はしっかりしていて、文章も並大抵の筆力では書くことのできないレベルだ。よほど有名な歴史作家が加わっているように思うのだが、どうなのだろう。鎌倉観光本としては、上級者向け。読了日:12月4日 著者:日本の歴史と文化を訪ねる会
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