まったく個人的な思いの1ヶ月間の喪中でした。
年末年始の活動は控えていました。
ただ精神的には今も喪中ですので何事も控えめにしています。
生活の中で故人をしのぶ時間が長くなります。
ともに偲ぶ方も多くはありません。
コロナで面会謝絶が3年近く続き、その間につながりがどんどん薄れてきたように思います。
病院で過ごす高齢者にとっては過酷な状況だったと思います。
コロナが病棟を襲い、故人も陽性になり、呼吸器をつけての闘病でした。
病棟患者の8割が陽性になり、医療スタッフの5割も感染してしまいました。
幸い陰性になり病棟も解除になりましたが、
体力が回復できませんでした。
コロナ関連死ということになると思います。
3年間の面会謝絶の間も、洗濯物の交換に週2回は病院に行っていました。
洗濯物を洗っていると故人の体調も少しは分かります。
その間、故人とのつながりや忘れていた日々を思い出していました。
同時に、いたらなかった私自身の考えを反省する機会でもありました。
それはいまも続きます。
恩がどれほどひろく深かったかと思い知らされています。
先日、ラジオ深夜便での医師の方のお話です。
インタビューワーが、「高齢者へのアドバイスをお願いします」と話しかけました。
答えです。
「は!は!は!」です。
インタビューワー、「は?」
医師の方「一つの目の『は』は歯です。二つ目の『は』は母です。三つ目の『は』は(笑)です。
健康で、親(先祖)を思い、笑顔で生活をすればいいという意味でしょう。
確かに、「は!は!は!」と大きな声で唱えると気分爽快になりました。
お読みいただきありがとうございました。
ウクライナに平和を!
「は!は!は!」