岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

長島愛生園歴史館から収容所跡に向かう。

2008-07-08 09:30:24 | ハンセン病
応接室から園長室を見学して隣の第1映像室に入った。
ここでは、愛生園の3本のビデオを見ることができる。
「愛生園の歴史」「現在の愛生園」などのタイトルがあった。
私は、15分程度の「愛生園の歴史」を観て、基礎的な知識を得た。
他のビデオも観たいと思ったが、この歴史館以外にも見なくてはならないところも
多く、また後日ということにした。

歴史館の1階には常設展示室やギャラリー(入所者の方の作品)がある、
2階に上がると、新設なった第2映像室があった。
ここは「語り部」の方々のビデオが観ることができる。
かっては入所者の方による「語り部」活動があったのだが、
ご高齢になったということもあり、ビデオ化された。
6月中旬に地元のテレビ局が紹介をしていた。
このビデオも後日、ゆっくり観ることにして、次の部屋に移った。

書庫と展示室がある。
書架は、資料が豊富にあった。必要な資料はここで閲覧することができそうだ。
やがて、通う日々がくるのであろうか。
展示室には、さまざまな展示がされていたが、今日は素通りをしよう。
1時間あまりの歴史館の見学の後、玄関から外に出た。

入り江の全景が見渡せる。水平線のかなたには小豆島が望める。
ここが隔離病棟の島だということを忘れさせる風景だ。
園長室からの眺めは島一番というわけだ。

歴史館に隣接した看護学校の間に小道がある。その道を歩いていくと、
入り江が見えてくる。歴史館が面している入り江の反対側になる。
内海に面している。
入り江には牡蠣の養殖筏が置かれていた。
下りていくと、駐車場の脇に蔦に覆われた古い建物があった。
もう使われていない建物だ。

案内板に収容所(回春寮)とある。
中には、入ってみると、
消毒用の洗い台がいくつもあった。
小部屋や大きな部屋があった。
この建物がどのように使われたか。
歴史館のパンプから引用してみよう。

「入所するとまずこの建物に収容され、各種の検査や入所手続きが行われました。
その際、現金などの禁止物品の取り上げ、消毒風呂への入浴、持ち物の消毒なども
ここで行われました。この建物の中で社会との隔絶を意識した人は少なくありません」

この収容所の前には、収容桟橋があった。
「昭和14年、収容されていた浜に桟橋が設置され、ここから多くの入所者が
上陸しました。また当時、園内では職員と入所者の生活区域は厳しく分けられて
いたため、職員通勤用の桟橋とは別になっていました。
入所時、家族などの付き添い者この桟橋までしか入ることができず、入所者に
とっては社会や家族と別れの桟橋にもなりました」

陽のあたる旧事務本館と、ひっそりとした収容所と桟橋の対照。
まさに、この場所が「隔離政策」の象徴であった。

写真は収容所(回春寮)の入り口。右側に消毒用の洗い台がある。


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