出雲崎から寺泊を経て弥彦までのルートです。
(中央の薄青のラインは信濃川です。中央あたりで分水しています。右上へのラインが本流です。
分水地区と呼ばれています。
出雲崎から少し行くと寺泊郷本です。○マークです。
この郷本の海岸に塩焼き小屋がありました。
そこに空き小屋があり住みついたと伝えられています。
良寛空庵跡という石碑が建っているそうです。
良寛の逸話が残っています。
浜辺の小屋が焼けてしまい、良寛が村民に疑われ砂の中に埋められたそうです。
知人が助けに行くと悠然とした貧僧が砂の中にいてそれが良寛だったとのこと。
良寛がこの地に住みつくとすぐに旧知の友人や知人に、良寛帰郷のうわさが伝わっていました。
寺泊郷本を、ここかもしれないと思いながら通り過ぎました。
寺泊の街は比較的広い土地があり魚市場なども観光客でにぎわっていました。
良寛の時代には出雲崎がこの地域の中心でしたが、やがて地の利がよい寺泊に移っていったそうです。
佐渡へ渡る港も寺泊に移ってしまいました。出雲崎の橘屋が衰退する理由でもあったのでしょう。
寺泊の情報です。
参拝したい寺もあったのですが写真も撮らずに通過、
国上山の麓を通って今日の宿がある弥彦まで走りました。
弥彦駅前の旅館が2泊目です。
弥彦駅です。良寛も参拝したという弥彦神社の表玄関です。
駅の内部です。歴代の駅舎の写真です。
改札口も玄関のような木製です。強風が吹くためにこのような頑丈な戸になっているようです。
旅館の窓から見た日の出です。
とても澄んだ空気です。日差しも強いです。
早朝に散歩しました。右の旅館は明治期に岩倉具視が宿泊したと書かれていました。
奥の山は弥彦山です。
朝食後、弥彦神社参拝と弥彦山にロープウェイで登ります。
続きます。
お読みいただきありがとうございました。
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