岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

『経済成長という麻薬』 ダニエル・コーエンさん。

2012-01-19 11:36:43 | 世界のなかま
ダニエル・コーエンさんは、フランスの経済学者。
高等師範学校教授という職業を持っている。
日本にもかつて師範学校があった。
すべて大学になった。
フランスでは高等師範は大学ではないのだろうか。

それはともかく、ダニエル・コーエンさんの考えはとても興味深い。
納得できることも多い。

朝日新聞1月15日のインタビュー記事を読みました。

「欧州は90年代の日本のような『失われた10年』に向かって出発したのだ」という発言を読むと、妙に納得してしまう。

確かに少し単純化すれば日本の成長は1990年に終わっていた。
その後も惰性で財布は緩み続け、国の財布も同様に借金で賄うようになった。
すべては世界に先駆けていた。

あろうことか、再び成長して借金を棒引きできる時代ではないと気がつくまで20年がかかってしまった。
国民は小泉改革に希望を託して夢破れ、政権交代が実現し無駄遣いや埋蔵金や探したが大した宝は見つからなかった。

成長という夢を今も追っている政治家や経済界は頭を切り替えるしかない。

しかし切り替えるとそれでオーケーということにはならない。

成長が終わったことを認めることで新たな問題が起こる。

「経済を成長させることで幸福を感じてきた社会だから、停滞とうまくやっていくことができない」
「極端な主張をする勢力があちこちに台頭して民主主義の危機を経験している。何もかものがやっかいな空気を醸成している。不寛容で不幸な社会」

「不寛容で不幸な社会」

私たちが最も避けなければならない社会のことである。

この「不寛容で不幸な社会」の兆候が欧州でも、もちろん日本でも表れているように思う。

日本は民主主義が十分に熟していない。

ここにもろさがある。

『経済成長という麻薬』を飲み続けようと唱える政治家や学者がいる中で麻薬を絶つのは難しい。

人は勇ましい言葉に魅かれる。しかしそこには先はない。

人間が鍛えられるのは、不幸な時代の中だろう。

「人間の本質についても新たな見方や価値観ができつつあるのかもしれない」とコーエンさんは言う。

新たな価値観は停滞という「不幸」の中から生れるというならば、その価値観を造り出す一方の担い手は日本人であろう。

新たな価値観に重きを置くことに意味あると思えるならば一つの光明がわれわれにあるのかもしれない。



※京都・鴨川でごみを拾う若者たち。

最新の画像もっと見る