周防大島の男児救出は私にとっても根源的だった。
周防大島といえば、民俗学者宮本常一の故郷として知られている。
わたしには、神隠しになる寸前の幼児が、現世の強い意志で呼び戻されたと感じた。
そこに「無私の力」を感じた。
尾畠さんは、幼児の母親に必ず連れて帰る、この手で渡すと約束して山に入った。
奇跡は起こり、その手でよしき君を母のもとに返した。
さすがの警察も手出しはできなかった。
現代において、このことの意味を理解することは難しい。
この行動がボランティアとしての蓄積のもとに現れたのだ考えるなら、
ボランティア活動とは、求道者の修行のようなものである。
少なくとも、尾畠さんにとっては。
彼はその行動において、図らずもボランティアとは何かを問うた。
現在、ボランティア活動をしているものにとっては、立ち止まって考えざるをえないのではないか。
自らと尾畠さんという指標を比べて。
少なくとも私は問われた。
まだ深く考えたわけではないけれど、
尾畠さんのように生きることはできないけれど、
せめて心のありようは少しでも近づきたいと思う。
そのために、心身ともに精進しておきたい、と。