
最近、そう思うようになりました。
母の姿は25年後の自分の姿と思う。
けれど、その歳までは私は生きてはいないでしょう。
もう少し若ければ、母の行動が理解できなかったけれど、今ならよくわかる。
私自身、同じような行動をし始めている。
別にそれがどうだという事はないけれど、仕事をする上ではとても不便なことがある。
数字が覚えられないのだ。
母の苦労の数分の一の苦労だろうけれど、結構つらいこと。
「物語性」があれば記憶にとどまりやすい。
数字というのはたいがい物語性がない。
単に「数」というのが苦手だ。
人の名前は覚えやすいけれど、イニシャルは覚えにくい。
記号になればなるほど手を焼く。
ただ、117や311などは別だと思う。
数字自体が強烈なイメージを持っている。
間違っても、116などと思わない。
必要のないことは忘れた方がいいのは確かだけど、忘れる以前に頭に入っていないとなったら
話は別ですね。
母やなにかやりかけて、またほかの事を始めることが多い。
中途半端に見える。やりぱなしに見える。
ひとつひとつ片付けていけばいいのにと思う。
でも、最近の私は、一つことに集中できなく、やりぱなしにしていることが増えてきた。
人は常に変わるというけれど、自分自身も日々変わっていることを自覚します。
ことはよしあしではないけれど、不便であることは確か。
歳を重ねるとはこのようなことだと思い至るのです。
母の姿は25年後の自分の姿と思う。
けれど、その歳までは私は生きてはいないでしょう。
もう少し若ければ、母の行動が理解できなかったけれど、今ならよくわかる。
私自身、同じような行動をし始めている。
別にそれがどうだという事はないけれど、仕事をする上ではとても不便なことがある。
数字が覚えられないのだ。
母の苦労の数分の一の苦労だろうけれど、結構つらいこと。
「物語性」があれば記憶にとどまりやすい。
数字というのはたいがい物語性がない。
単に「数」というのが苦手だ。
人の名前は覚えやすいけれど、イニシャルは覚えにくい。
記号になればなるほど手を焼く。
ただ、117や311などは別だと思う。
数字自体が強烈なイメージを持っている。
間違っても、116などと思わない。
必要のないことは忘れた方がいいのは確かだけど、忘れる以前に頭に入っていないとなったら
話は別ですね。
母やなにかやりかけて、またほかの事を始めることが多い。
中途半端に見える。やりぱなしに見える。
ひとつひとつ片付けていけばいいのにと思う。
でも、最近の私は、一つことに集中できなく、やりぱなしにしていることが増えてきた。
人は常に変わるというけれど、自分自身も日々変わっていることを自覚します。
ことはよしあしではないけれど、不便であることは確か。
歳を重ねるとはこのようなことだと思い至るのです。