岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

親を見ていると私がわかる。

2015-05-07 22:14:51 | ケアラーのために
最近、そう思うようになりました。
母の姿は25年後の自分の姿と思う。
けれど、その歳までは私は生きてはいないでしょう。

もう少し若ければ、母の行動が理解できなかったけれど、今ならよくわかる。
私自身、同じような行動をし始めている。
別にそれがどうだという事はないけれど、仕事をする上ではとても不便なことがある。
数字が覚えられないのだ。
母の苦労の数分の一の苦労だろうけれど、結構つらいこと。


「物語性」があれば記憶にとどまりやすい。
数字というのはたいがい物語性がない。
単に「数」というのが苦手だ。
人の名前は覚えやすいけれど、イニシャルは覚えにくい。
記号になればなるほど手を焼く。

ただ、117や311などは別だと思う。
数字自体が強烈なイメージを持っている。
間違っても、116などと思わない。

必要のないことは忘れた方がいいのは確かだけど、忘れる以前に頭に入っていないとなったら
話は別ですね。


母やなにかやりかけて、またほかの事を始めることが多い。
中途半端に見える。やりぱなしに見える。
ひとつひとつ片付けていけばいいのにと思う。

でも、最近の私は、一つことに集中できなく、やりぱなしにしていることが増えてきた。

人は常に変わるというけれど、自分自身も日々変わっていることを自覚します。
ことはよしあしではないけれど、不便であることは確か。
歳を重ねるとはこのようなことだと思い至るのです。

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