
11月1日岡山市内にて「AMDAトルコ東部地震 被災者緊急医療支援活動」の報告会がありました。
AMDAから派遣された大類隼人医師と、調整員イュルデス・アフメットさんのお話をお聞きしました。
大類隼人医師は兵庫県医大救急医兼呼吸器外来・外科担当で東日本大震災にも派遣されています。
イュルデス・アフメットさんは被災地であるトルコ東部の町ヴァン出身のクルド人です。
日本トルコ文化交流会に所属されています。通訳を担当されました。
トルコは日本と同じく災害の多い国であり、緊急医療援助の態勢も整っているとのことで、国外からの支援には
消極的だったことは報道されている通りですが、AMDAが被災地に入り緊急支援を行うことができたのは、
3つの壁をクリアできたからだと菅波アムダ代表のお話。
3つの壁
1.入国 解決→ビザなしで入国可だった
2.被災地に入る 解決→現地協力団体キムセヨクムと連携することで可能になった。日本では日本トルコ文化交流会と協力関係にある。
3.医療活動をする 解決→初期に入れたことと上記団体の協力による。
※AMDAは長いキャリアの中で各国のNGO,NPO団体などとのネットワークの重要視し積極的に連携を図ってきた。今回の活動にも反映されたと。
被災地で救援活動ができた国外チームは日本とドイツだろうと。ドイツはトルコ人労働者が多い。ネットワークがあるはず。
私もAMDAのネットワークの強さは奇跡的だと感じている。
一方、救助要請もないのに行くことはないという考えもあると思われるが、救助を待つ被災地の人々は「だれでもいいから助けてほしい」し、世界の国から助けに来たということが希望に繋がる。東日本大震災で私たちも学んだはず。
大類医師の話:10月26日被災地に到着、サハラ病院で活動を開始した(72時間内に到着)。サハラ病院は体育館を臨時に病院として利用したもの。
外科、火傷、上気道症例など48例を担当した。中心的役割を果たした。
当地では地震は予測されていたが、古い建物の改築は進んでいなかったとのこと。
※先のニュージーランド大地震でも同様だった。日本を含め古い建物の補強工事はなかなか進まない。
大類医師の話では、トルコの緊急援助行動のレベルは高いとのこと。
困難なことは防寒。この時期でも現地は0度以下になっている。
救助隊はテントで宿泊したが現地は寒く消耗が激しかったという。
被災者もテント暮らしで火傷は暖房具利用時に起こった。
東日本大震災の寒さも厳しかった。
寒さは生存の希望を打ち砕く。
今後の課題である。
緊急支援を終えたこれからは復興調査支援チームを被災地に派遣する予定。
緊急支援から生活支援へ、また新たなネットワークの構築へ、今後が注目される。

頭部手術した少女とともに写真に納まる大類医師(モニター画面より)