
14年前の3月11日を思い出します。
3月末付で地域包括支援センターを退職することになっていました。
最後の家庭訪問を続けていました。
その日地震発生の時間にある男性のアパートを訪れました。
男性はテレビを食い入るように見ていました。
画面にはヘリコプターから撮影したライブ映像が流れていました。
沖から押し寄せる大波に襲われ車が逃げ回っていました。
現実とは思えませんでした。
当日にこの岩清水日記で何を書いていたのか検索していました。
3月11~12日には情報収集しかできていません。リンクを張ったのみです。
13日から募金について考えていました。
14日の記事です。こちら
福島第一原発事故がメディアで報道されたと思います。
3月20日は医療支援ボランティアAMDAの緊急支援の報告を掲載しています。こちらです。
私自身も3月末の退職を待って4月よりAMDAのボランティアとして活動を始めました。
2025年3月11日の毎日新聞です。
福島第一原発事故により避難指示がでた自治体の居住人口は震災前の17%です。
22年に再開した双葉町は7100人に対して181人です。
こちらは能登半島地震の被災自治体のアンケート結果です。
見直し必要6割。
以上です。
お読みいただきありがとうございました。
ウクライナとガザに平和を!