確かこの日曜の朝だと思うが、寺島実郎氏が、世代論としてホリエモンとその
親にあたる団塊世代について語っていた。
その中で団塊世代が「波乱の学生世代から社会に出て、私市民主義と
経済主義に埋没していった。そしてその家庭からその子ども世代が育ち、
ホリエモンのような人物を生み出した」という。
今、多くの団塊世代の識者が、「自分たちは現代社会の中で、どのような
役割をにない、どのような影響を及ぼしたが、そして、定年を迎えて社会を
支える立場から、社会に支えられる立場に変わる時期に至り、このまま、
年金生活者として生きていってよいのか」と問う。
――――――――――――――――――――――――――――――
「今までの責任をとるべきだ」(民主党の話ではない)と、
ここに大きな課題があると思ってる団塊の世代の方も多いと思う。
そして、ホリエモンを生んだ責任をいわれると「うーん」とうなってしまう
のではないか。
ほとんどの団塊人は、私はホリエモンのような人間を育てた憶えがないと
いうだろう。
ここではホリエモン的人間とは何かということを議論しなくては最初から
混乱してしまうのだが。しかし、それだけで論文がかけそうなので、
そこはついはっしょってしまう。
(そう、テレビのコメンテーターのように)
だから、団塊世代がホリエモンにどのような影響を及ぼしたかはひとまず
置いておいて、団塊世代がこれから始めるだろう贖罪の旅の入口について
書いてみよう。
もちろん、団塊世代がこの30年以上にわたって社会の中でどのような役割を
担ったかを検証する必要もある。そう書くとまたまた論文を書かなくては
ならないのだが私には無理。
そこである程度納得していただけることから入る。
まず、今ある社会状況の半分程度は団塊世代が作ったといえること。
今の企業や政治、行政、学問の中枢をいまは団塊世代が担っていると
いうことは、確かだと思う。
60才前とはそのような年齢だと思う。
そのなんらかの権力を持っていたものが、それを置いて地域に帰る。
小泉氏のミニ版である。
団塊世代が、担っているのは、企業や政治、行政、学問の中枢と書いた
が、まったく担えていない領域があるのだ。
それがまさに「地域」そして「生活」なのではないか。
そして、団塊世代(特に男性)は、今から自分たちが今まで担えなかった領域に
好むと好まざるに関わらず、入っていかなければならない。
この担えなかった部分から、ホリエモンが登場したという仮説も可能だろう。
「地域」そして「生活」領域には、先住者がいることも確かだ。
この先住者の多くは女性だが、この人々の領域に出来るだけ、摩擦なしに
入りこみ、かつ、世代としての責任をとっていくということが団塊世代の
これからの課題である。
この「地域」そして「生活」領域とは、「会社」領域とは、ほとんど重ならない。
もちろん、価値感や倫理感も違う。異質の領域である。
人は、それを地域社会へのソフトランディングというが、ここでいう
ソフトランディングは地域社会への溶け込みというニュアンスが強いのだが、
団塊世代の求められる役割はこの程度の生ぬるいものではない。
地域社会を一変させるほどの取り組みが求められているのである。
異質なものに戸惑いながら、その中で今までの地域社会が成し得なかった
課題克服ということが団塊世代の最後の仕事として立ち現れてくるのだ。
その中身は、自ら考えることとなるだろう。
今だ明示されていないのだから。
団塊世代が寺島実郎氏がいうところの私市民主義と経済主義の申し子と
いうのなら、
地域というのは、最も大きな壁ではないだろうか。
親にあたる団塊世代について語っていた。
その中で団塊世代が「波乱の学生世代から社会に出て、私市民主義と
経済主義に埋没していった。そしてその家庭からその子ども世代が育ち、
ホリエモンのような人物を生み出した」という。
今、多くの団塊世代の識者が、「自分たちは現代社会の中で、どのような
役割をにない、どのような影響を及ぼしたが、そして、定年を迎えて社会を
支える立場から、社会に支えられる立場に変わる時期に至り、このまま、
年金生活者として生きていってよいのか」と問う。
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「今までの責任をとるべきだ」(民主党の話ではない)と、
ここに大きな課題があると思ってる団塊の世代の方も多いと思う。
そして、ホリエモンを生んだ責任をいわれると「うーん」とうなってしまう
のではないか。
ほとんどの団塊人は、私はホリエモンのような人間を育てた憶えがないと
いうだろう。
ここではホリエモン的人間とは何かということを議論しなくては最初から
混乱してしまうのだが。しかし、それだけで論文がかけそうなので、
そこはついはっしょってしまう。
(そう、テレビのコメンテーターのように)
だから、団塊世代がホリエモンにどのような影響を及ぼしたかはひとまず
置いておいて、団塊世代がこれから始めるだろう贖罪の旅の入口について
書いてみよう。
もちろん、団塊世代がこの30年以上にわたって社会の中でどのような役割を
担ったかを検証する必要もある。そう書くとまたまた論文を書かなくては
ならないのだが私には無理。
そこである程度納得していただけることから入る。
まず、今ある社会状況の半分程度は団塊世代が作ったといえること。
今の企業や政治、行政、学問の中枢をいまは団塊世代が担っていると
いうことは、確かだと思う。
60才前とはそのような年齢だと思う。
そのなんらかの権力を持っていたものが、それを置いて地域に帰る。
小泉氏のミニ版である。
団塊世代が、担っているのは、企業や政治、行政、学問の中枢と書いた
が、まったく担えていない領域があるのだ。
それがまさに「地域」そして「生活」なのではないか。
そして、団塊世代(特に男性)は、今から自分たちが今まで担えなかった領域に
好むと好まざるに関わらず、入っていかなければならない。
この担えなかった部分から、ホリエモンが登場したという仮説も可能だろう。
「地域」そして「生活」領域には、先住者がいることも確かだ。
この先住者の多くは女性だが、この人々の領域に出来るだけ、摩擦なしに
入りこみ、かつ、世代としての責任をとっていくということが団塊世代の
これからの課題である。
この「地域」そして「生活」領域とは、「会社」領域とは、ほとんど重ならない。
もちろん、価値感や倫理感も違う。異質の領域である。
人は、それを地域社会へのソフトランディングというが、ここでいう
ソフトランディングは地域社会への溶け込みというニュアンスが強いのだが、
団塊世代の求められる役割はこの程度の生ぬるいものではない。
地域社会を一変させるほどの取り組みが求められているのである。
異質なものに戸惑いながら、その中で今までの地域社会が成し得なかった
課題克服ということが団塊世代の最後の仕事として立ち現れてくるのだ。
その中身は、自ら考えることとなるだろう。
今だ明示されていないのだから。
団塊世代が寺島実郎氏がいうところの私市民主義と経済主義の申し子と
いうのなら、
地域というのは、最も大きな壁ではないだろうか。