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岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

『島の65年―ハンセン病療養所邑久光明園から』崔南龍写真帖

2008-08-21 22:16:26 | ハンセン病

この写真帖は、入園者である崔南龍(チェナムヨン)さんの作品である。
私は初めて内部の人による写真集を観たことになる。
療養所の歴史的な写真には、写真としてレベルの高いものが多くある。
入園者に力のある写真が撮れる人々がいたことは確かだ。
崔南龍さんもその中の一人だ。

題名の「島の65年」は、65年の長き歳月の間、崔南龍さんが
邑久光明園にいたということ。
途方もない長さではないか。私はこの年月だけで考え込んでしまった。
崔南龍さんの母と姉は小鹿島(ソロクト)更生園に入り、妹は韓国で里子に出された。
ひとりになった崔さんは、神戸の会社で働いてきた父の元にきた。
神戸の筒井小学校に入学したものの3年までしかいっていない。
1941年7月14日の夕暮れ、大和高田の町を後にして、岡山県邑久町の邑久光明園に入った。
それから65年、崔さんは長島の写真を撮り続けた。
邑久光明園のある長島の西端は狭い海峡を挟んで虫明の村に隣接している。

この海峡に橋がかかるまで、58年がかかった。
その「近くて遠い」海峡の向こうを凝視続けた人が崔南龍さんだった。

※ソフトボール金メダルの夜に。

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