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岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

史実とはことなる「龍馬伝」

2010-01-23 11:17:11 | 
「龍馬伝」を毎回楽しみに見られている方(私も)には、申し訳ない記事ですので、
お読みにならないほうがよいと思います(書籍ではなくこの文章についてです)。

私が読んでいる書籍は、『龍馬と弥太郎』新井恵美子著 北辰堂出版
新井さんは、弥太郎の場合は母美和と本人の日記と、龍馬は乙女姉宛ての手紙という史料をもとに
この書籍を著されているだけにより史実に近いと判断できます。

「龍馬伝」では、二人は幼少の頃からお互いを知っていたこととして話が始まりますが、
龍馬は高知城下で生まれ育ち、弥太郎は安芸で生育します。
このふたつの町は40km程度離れています。
これでは会うことができません。

実際、二人があったのは、龍馬28歳!の時というではありませんか。
龍馬が刺客に襲われる5年前の大坂です。

「龍馬伝」の二人の関係はなんなんだということになります。
二人は別々に20代後半まで歩むのですが、その一人ひとりの歩みは「龍馬伝」は史実に近いと思います。
ですから、二人の絡みの部分がドラマと考えていただければよいのではないでしょうか。
ただ、弥太郎のイメージはちょっと作りすぎですね。
幼少の頃からしっかりした好少年だったようです。
岩崎家と弥太郎本人には気の毒です。

また、龍馬は脱藩するまではお金に困ることはなかったようですが、浪人となってからは
困るようになり、弥太郎にも無心しているようです。
イメージが混乱しますね。

書かなかったほうがよかったでしょうか。

※写真は友ヶ島灯台と東経135度子午線。この灯台は歴史的な価値があるそうです。
もちろん、外洋から大阪湾に入る要衝になるわけですから現在も重要な灯台に違いありません。
当日も海を見ていると大型コンテナ船が次々に通過していきました。
横切る小型船との交差が要注意です。
灯台の傍に東経135度子午線標識があります。そうです。明石市の真南になります。



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