神戸新聞の「復興あしたへ 遺族が語る」を読んでいました。
当時を思い出します。
震災当日、京都の自宅から大阪の職場へやっとの思いでたどり着きました。
幸い大阪市では電力も電話も通じていました。
机の電話が鳴りました。
香港に出張している仲間からの電話でした。
香港のテレビで火に襲われる神戸が放送され続けているとのこと。
日本は壊滅したのではないかと、まさか繋がるとは思わず職場に電話をしてきたそうです。
私が電話口に出てきたので驚いていました。
出張者二人の住所は、西宮と宝塚でした。
ともに震源地の近くです。
彼ら二人はその日のうちになんとか日本に戻ってくるといいます。
なんとかなりました。
夕方に関空に迎えにいきました。
二人のうち一人は女性でしたので、その日泊まるという親戚が住む茨木まで送りました。
翌日、大阪駅で待ち合わせ、被災地に向かいました。
幸いご家族は無事でした。
多くの仲間が被災し、亡くなられた方もおられました。
17年の歳月の間に多くの災害が国内外を襲いました。
「備えよ常に」
思いを新たにします。

※長谷寺です。
当時を思い出します。
震災当日、京都の自宅から大阪の職場へやっとの思いでたどり着きました。
幸い大阪市では電力も電話も通じていました。
机の電話が鳴りました。
香港に出張している仲間からの電話でした。
香港のテレビで火に襲われる神戸が放送され続けているとのこと。
日本は壊滅したのではないかと、まさか繋がるとは思わず職場に電話をしてきたそうです。
私が電話口に出てきたので驚いていました。
出張者二人の住所は、西宮と宝塚でした。
ともに震源地の近くです。
彼ら二人はその日のうちになんとか日本に戻ってくるといいます。
なんとかなりました。
夕方に関空に迎えにいきました。
二人のうち一人は女性でしたので、その日泊まるという親戚が住む茨木まで送りました。
翌日、大阪駅で待ち合わせ、被災地に向かいました。
幸いご家族は無事でした。
多くの仲間が被災し、亡くなられた方もおられました。
17年の歳月の間に多くの災害が国内外を襲いました。
「備えよ常に」
思いを新たにします。

※長谷寺です。