岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

『ハンセン病作家の本名を公表 遺族「存在取り戻すよう」』 朝日新聞デジタル記事:資料

2014-08-09 08:32:24 | ハンセン病
2014年8月9日記事です。

北條民雄さんの本名が公表されました。没後、80年近く経っています。

 ハンセン病療養所に入った体験をもとにした小説「いのちの初夜」の作者、北條民雄(ほうじょうたみお)(1914~37)の本名「七條晃司(しちじょうこうじ)」が今月初めて公表された。親族への差別や偏見を避けるため、死後も80年近く、伏せられてきた。生誕100周年を機に、業績を故郷で語り継ごうと、出身地・徳島県阿南市の市文化協会が発売した冊子に記された。

 北條は軍人の父が赴任した現在の韓国ソウルで生まれ、母の故郷、同市下大野町で育った。10代後半には仲間と雑誌を発行し、小説を書いていたが、18歳でハンセン病と診断された。

 東京の全生病院(現・多磨全生園)に入院後、川端康成に師事し、本格的に執筆活動を始めた。当時、ハンセン病は遺伝病や不治の病と誤解され、差別が家族にも及んだため、本名を伏せ、筆名を使った。川端の後押しで36年に発表した「いのちの初夜」で注目され、翌年、腸結核のため23歳で亡くなった。

 阿南市と市文化協会は、業績を後世に残すため、郷土の偉人13人を紹介する小冊子「阿南市の先覚者たち」に本名の記載を計画。ハンセン病に対する社会の理解も進んだとして、公表を認めるよう、北條のきょうだいやその子どもに2年前から働きかけた。当初は反対の人もいたが、1人を除いて今年6月までに了承を得たという。

 小冊子の執筆に携わった一人、元市教育長の浮橋克巳さん(88)は、北條をたたえる石碑を建てたいと考え、20年ほど前から、本名の公表を親族に打診してきた。中学時代、北條の異母弟と友人だった。北條が地元出身と知られた後も、友人はその話題に触れようとしなかったという。「本名を公表することで、事実を隠さざるを得なかった北條や家族の無念を晴らし、市民にも彼を誇って欲しい」

 北條のめいの女性(63)は、幼い頃から家族間で彼のことを話せない雰囲気を感じていた。「立派な人だから本名を公表したいと20年間も説得された。今は差別や偏見がある時代ではなく、そろそろいいのかな、と了承しました」と話す。

 親族の一人、七條寛さん(31)は約5年前、本名公表の打診を受けた家族から北條が身内だと聞き、関心をもった。「本名が出ることで勇気づけられる人がほかにもいると思う。時代と社会に消されてしまった存在を取り戻すようで、うれしい。北條の『條』は、七條家の一員でいたいという気持ちの表れだろう」

 徳島市の県立文学書道館は北條の生誕100周年に合わせ、9月23日まで特別展を開いている。これまでは手紙などに書かれた本名を隠して展示してきた。今回は、川端とやりとりした手紙など約100点をそのまま公開している。(渡辺元史、編集委員・高木智子)

■名誉回復につながる

 国立ハンセン病資料館・黒尾和久学芸課長の話 ハンセン病の元患者にとって実名を取り戻すことは本人と共に家族や親族の名誉回復につながり、意義がある。地元が主体となって公表の動きが生まれたのは、遺族の心を癒やす一歩となる。ただ、作家北條民雄にして公表が没後77年もかかった事実は重い。なぜこんなに時間が必要だったのか、かつて患者を隔離に追い込んだ地域社会は、当事者意識をもって考えてほしい。

     ◇

 北條民雄の妹の孫にあたる七條寛さん(31)の話 小学生のころ、祖母から『うちにはハンセン病で亡くなった人がいる』と聞いたことがあったが、作家とも北條民雄だとも知らなかった。5~6年前、地元の阿南市文化協会の人から北條民雄の石碑を建てたいと連絡があり、母から『作家がおったんだよ』と北條の名を初めて聞かされた。

 3年前、徳島市の米国人留学生のウォルター・ヘアさんが「いのちの初夜」を英訳するというニュースを新聞で知り、うちの身内のことだと興味がわいた。それ以来、北條の本を買い、ハンセン病の記事を読むようになった。

 戸籍を確かめてみたら、北條の戸籍は除籍されていたが、本人が抜いたか家族が抜いたか事情は分からない。隔離された療養所でどんなにつらい思いをして過ごしてきたか。

 そういうつらい世界にいて、病を唯一忘れさせてくれたのが文学だったのかもしれない。川端康成に文学が認められ、人間として認められたように喜んだと思う。当時は病気への偏見や差別があまりに強く、北條のきょうだいたちが川端の家に行って、『かかわらないでください』とお願いしたと聞いている。

 今回、地元の文化協会から、生誕100周年にあわせて実名を公表したいと打診があった。もう冊子に刷った後のようだったので母は驚いていたが、うれしいと思った。時代は変わった。うちの家の人間がやっと認められたと感じた。

 北條の作品は海を越え、時代を越えて、多くの人を励ましてくれたと感じた。誇りだと思っている。北條の本名が出ることで、勇気づけられる人がほかにもいるとおもう。時代と社会に消されてしまった存在を取り戻すようだ。

 北條の『條』は、七條家の一員でありたいという気持ちがあったのだろう。遺品は燃やしてしまったのか、見たことはない。県の特別展があるので、家族で見に行ってみたい。(編集委員・高木智子)




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