今日は朝から、テレビは聖火リレーで大騒ぎだ。
何が起こるかわからないライブとあって、マスコミも興奮している。
おまけに、石原知事や反中国の右翼まで、シメシメと思い、
発言や行動をしている。
しかし、この話は単純ではない。
様々な思惑が入り混じっている。
もちろん、中国がチベットを支配しているという大前提がある。
このことは、ONE CHINAで済むことではない。
民族自立は原理といえる。
しかしこの時期、中国はこの問題には触れたくなかったのは確かだ。
益することはなにもないのだ。
ラサでの事件は、誰が起こしたのかもわからないが、今がチャンスと
思ったのだろう。それはそれでとても効果があったが。
とにかく余りに現地の情報が少ない。
どのようなグループがあるのさえよくわからない。
そのグループ(わからぬが)と14世の考えは違うのだろう。
なぜなら、14世は、北京五輪に反対はしていないし、
妨害行動にも反対している。
まさか、二枚舌ということもあるまい。
彼は政治家ではなく宗教者だ。二枚舌がわかったときのリスクは
とてつもなく高い。
さて、彼はコンパッションという言葉を米国で使っていた。
日本語訳は、「思いやり」となっていたが、
仏教用語では、「慈悲」にあたるのではないか。
「慈悲」は仏教福祉の基本思想である。
キリスト教的愛とことなり、命令ではなく、そこには罪と罰はない。
「慈」は「いつくしみ」を意味する友愛、
「悲」は他者の苦に同情し、これを救済しようとするものである。
(吉田久一著「社会福祉と日本の宗教思想」より)
対して、中国政府や中国国民の対応はまずいといわざるをえない。
かっての黄禍論に近い感情を欧米はもつかもしれない。
それは、国際社会にとっては大きなマイナスだ。
中国に試練が訪れている。
リーダーと中国国民の乗り越えなければならない壁は高い。
しかし、中国抜きでは現代世界は成立しない。
それだけの影響力をすでに持っている。日本の比ではない。
世界はともに歩いていく仲間として、中国に工場だけではない役割を
担ってもらわなくてはならない。
中国に対して、日本には日本しかできない役割がある。
その役割を果たすことが国際貢献なのだよ。
福田さん。
何が起こるかわからないライブとあって、マスコミも興奮している。
おまけに、石原知事や反中国の右翼まで、シメシメと思い、
発言や行動をしている。
しかし、この話は単純ではない。
様々な思惑が入り混じっている。
もちろん、中国がチベットを支配しているという大前提がある。
このことは、ONE CHINAで済むことではない。
民族自立は原理といえる。
しかしこの時期、中国はこの問題には触れたくなかったのは確かだ。
益することはなにもないのだ。
ラサでの事件は、誰が起こしたのかもわからないが、今がチャンスと
思ったのだろう。それはそれでとても効果があったが。
とにかく余りに現地の情報が少ない。
どのようなグループがあるのさえよくわからない。
そのグループ(わからぬが)と14世の考えは違うのだろう。
なぜなら、14世は、北京五輪に反対はしていないし、
妨害行動にも反対している。
まさか、二枚舌ということもあるまい。
彼は政治家ではなく宗教者だ。二枚舌がわかったときのリスクは
とてつもなく高い。
さて、彼はコンパッションという言葉を米国で使っていた。
日本語訳は、「思いやり」となっていたが、
仏教用語では、「慈悲」にあたるのではないか。
「慈悲」は仏教福祉の基本思想である。
キリスト教的愛とことなり、命令ではなく、そこには罪と罰はない。
「慈」は「いつくしみ」を意味する友愛、
「悲」は他者の苦に同情し、これを救済しようとするものである。
(吉田久一著「社会福祉と日本の宗教思想」より)
対して、中国政府や中国国民の対応はまずいといわざるをえない。
かっての黄禍論に近い感情を欧米はもつかもしれない。
それは、国際社会にとっては大きなマイナスだ。
中国に試練が訪れている。
リーダーと中国国民の乗り越えなければならない壁は高い。
しかし、中国抜きでは現代世界は成立しない。
それだけの影響力をすでに持っている。日本の比ではない。
世界はともに歩いていく仲間として、中国に工場だけではない役割を
担ってもらわなくてはならない。
中国に対して、日本には日本しかできない役割がある。
その役割を果たすことが国際貢献なのだよ。
福田さん。