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8月28日、大島青松園コンサート2024が終わって4日目。手元に新たに1冊の本を置いている。
『射込まれた矢 能登恵美子 遺稿集』晧星社
帯には鶴見俊輔さんのことばが載せられている。
「ハンセン病のことに打ち込む人は、矢を射こまれたようにこのことに打ちこむ。能登さんは、そういう人の一人だ。
この矢を抜いてくれと叫びたいときもあっただろう。
しかし、矢を抜いてもらわない生涯を生きた。」(鶴見俊輔 序文より)
能登恵美子さんは、1961年~2011年の間、この星におられた。
晧星社の編集者だった。『海人全集』(1993年)『ハンセン病文学全集』(全10巻:2002年~2010年)を出版にこぎつけてこの星を去りました。
当時、晧星社の社長であった藤巻修一さんは1年後の2012年3月7日(命日)にこの本を出版するために著名な文学者や画家に無理をいったのではないだろうか。加賀乙彦さんも序文を書き、装丁は安野光雅さんが担当している。手元にあるこの本にアマゾンの納品書が挟んであった。2012年3月25日とある。当時新聞に書評が載ったのかもしれない。
当時のことをブログ内のこちらに書いていたことを思い出しました。
鶴見俊輔さんは「英国から熊本に来て、全財産をこのことに投じ、生涯を捧げたリデルがおそらく最初の人(射こまれた矢の人の意)」であり、そういう人の一人が能登さんだと書いた。
それから2年後の2014年春、ある一家が瀬戸内の街、岡山に降り立った。
沢知恵さん一家です
この人の背中にも「射こまれた矢」があった。
沢知恵さんは幼少の頃に父親に連れられてこの島を訪問。2001年から島でコンサートを開催されている。
けれど沢さんの「射こまれた矢」がその威力を発揮したのは岡山在住という瀬戸内にある三つのハンセン病の療養所に通える地の利を得た時からではないだろうか。
沢さんが「瀬戸の花嫁」を歌っているのを聴いて、これ知恵さんの思いそのものじゃないかと。(アルバム『われ問う』収録)
時間は一時も止まらない。
現在の入所者の平均年齢は86歳。この星での滞在時間の砂時計の砂は残り少なくなっている。
東條高さんは腰を痛めて病床に伏し、あの美声も聴くことができなかった。
でも、松本常二さんや森和夫さんとは歌うことができる。
この時間が愛おしい。
今回のコンサートの一曲目と最後の曲名に「しあわせ」という言葉があります。
♬ しあわせに眠りにつく夜は いい一日だったと思います
しあわせにこの世を去るときに 本当のしあわせがあるのでしょうか♬
しあわせのうたの4番です。
沢さんは、ライフワークだと話される。
自らの直感(みちびき)で進み続けることが極上の果実となり実り続けているように思います。
お読みいただきありがとうございました。
ながくなりました。次回が最終です。
「沢知恵 大島青松園コンサート2024」の曲リストです。
1 しあわせなら手をたたこう
2 ようこそ大島へ
3 みどりクラブの歌
4 みんなの庵治第二小学校
5 あの頃にとどけ
6 盲人会々歌 松本常二さんと
7 こころ
8 新良田教室の校歌 森和男さんと
9 今日もまた
10 若者のすべて
11 ほうちこっか 中川五郎さん
12 花はどこへ行った
13 しあわせのうた
アンコール 故郷 大島案内ひきうけ会社のみなさんと
ウクライナに平和を!
ガザを救え!