京都近郊に住んでいても、京都の街中の暑さは格別と思う。
気温は違わないけど風は吹かないし道は暑い。電車に乗ってまで行こうとは思わない。
でも遠路はるばる外国から観光客が押し寄せている。若い人も多いけどシニアも少なくない。
旅行する人は体力があるということでしょう。
久しぶりの京都の寺参り、割と地味ですが、相国寺に行きました。←ホームページ
詳しくはwikiでどうぞ。
臨済宗相国派大本山です。
由緒正しき大寺ですが、4度も火事にあっており、ほぼ江戸時代以降に建て直されています。
されど見事な建築物や庭園そして屏風絵には驚かされます。
私のようなものには江戸時代以降のもののほうがしっくりくるとも言えそうです。
京阪の出町柳駅から歩きました。
裏道を通っていきましたので人影もまばら。
前を歩いている女性くらい。たぶん同じ行先かと思い声をかけると違いました。
丁寧に相国寺を教えてくださいました。
同志社女子大の教職員さんだったようです。学校に入っていかれました。
東門から入りました。
立派な鐘楼です。
右に折れます。正面に庫裡が見えます。実はここから先は初めてです。
かろやかですっきりとしていますね。
まず法堂からと案内されます。
秋の特別公開です。法堂(ほっとう)のバン龍図(バンは虫に番)が目的です。
もちろん撮影不可ですのでネットから
実はNHK関西ローカルで紹介していました。
豊臣秀頼によって1605年に再建されたもので、現存する法堂建築の最古のものだそうです。
堂内が広く開放感があります。鳴き龍で有名なので手を叩いてみました。鳴きました。
本尊は運慶作と伝えらえる釈迦三尊像です。
遠くから拝観しましたのですがとても神々しい三尊でした。
方丈の庭園です。
法堂が見えます。
伊藤若冲筆の動植綵絵の画像です。こちらにはありません。以下wikiから
明治時代になると廃仏毀釈の影響を受け、多くの塔頭が統合されたり廃絶され、相国寺は困窮した。そこで、1889年(明治22年)3月に伊藤若冲が描いた動植綵絵を明治天皇へ献納し金1万円が下賜された。これにより、1万8千坪の敷地の維持ができた。
原在中の筆。線はすべてお経の文字で書かれている。写真を写す。
方丈(京都府指定有形文化財) - 文化4年(1807年)再建。扁額「方丈」は中国の名筆家・張即文の筆。方丈と周りの杉戸絵、琴棋書画の間の琴棋書画図、聴呼の間の八仙人図は原在中の筆。竹の間の竹図は浄土宗の僧・玉潾の筆。梅の間の老梅図は伊藤若冲の弟子で相国寺第115世・維明周奎の筆。御所移しの間にある吉野山桜図は御所の清涼殿より拝領したもので、土佐光起の筆ともされている。wikiより
方丈を一回りします。
西側です。
裏方丈に出てきました。
御所移しの間があるのですがもちろん撮影禁止です。
時間がなくなりました。
続きます。
お読みいただきありがとうございました。
ウクライナと中東に平和を!