山田方谷は、備中賢人と呼ばれる人物。
長岡藩・河井継之助の師としても知られている。
6月28日まで、開かれているというから見に行かなくてはなりません。
以下は山陽新聞WEBより:
備中松山藩の藩政改革を成し遂げた山田方谷(1805―77年)の遺徳をしのぶ「山田方谷の世界」展(高梁市など主催)が同市原田北町、市歴史美術館で開かれている。郷土の偉人の書や遺品が飾られ、歴史ファンを魅了している。6月28日まで。
方谷は現在の高梁市生まれ。幕末、窮乏した同藩財政を再建し、藩主で幕府最後の老中首座・板倉勝静(かつきよ)(1823―89年)の政治顧問を務めた。藩校有終館や私塾などで多くの子弟を教え、漢学者三島中洲(ちゅうしゅう)らを育てた。
高梁方谷会の所蔵品を中心に約50点を展示。大政奉還(1867年)直前、方谷が京都から帰藩する際の心情をつづった漢詩「京(けい)師(し)寓中作(ぐうちゅうのさく)」、富士山の素晴らしさを詠んだ「山田方谷短歌」、肖像画などの軸、額、びょうぶが並ぶ。
同美術館は「不況の今、改革を成功させた先人の息吹に触れてほしい」としている。
※この川は旭川。吉備高原を南下して児島湾に注ぐ。
岡山平野の水田はこの川から水の恩恵を受けている。