30年前のことになりました。
ボランティア元年といわれました。
この大震災以降、大地震が相次ぎました。
今後も続くことは確かです。
南海トラフ地震の確率が80%にあがりました。
1995年の地震発生時、今まで経験したことのない揺れでした。
名古屋か関東かと思いました。
まさか神戸とは!
京都南部の自宅では震度5でした。ガスが停まった程度です。
とにかく出社しなくてはと思い、動いていた京阪電車で天満橋の会社まで行きました。
会社のエレベーターは動いていません。
事務所に着くと電話が鳴っていました。
香港に滞在している出張者からでした。
私が電話に出たことに驚いていました。
現地でテレビで観ている神戸の映像は壊滅状態で、まさか会社に出勤できている人間はいないだろうと思ったそうです。
二人の出張者は、家族が心配だからすぐに帰国するというのです。
関空は被害がなく、航空機も運行できていました。
とにかく迎えに行かなくてはなりません。
関空行きのJRは動いていました。
出迎えてみたもの、自宅に帰る交通が遮断されています。
被害に遭わなかった親戚の家に行くことになりました。
そして、翌日、被災地に入ることになりました。
これは3年前に書いた文章を加筆し再掲しました。
当時、被災者は体育館に雑魚寝状態でした。
それから30年経ちました。
雑魚寝は改善しましたか。トイレはどうですか。
岡山マラソンの会場では数百にもおよぶ臨時トイレが並びます。
この数のトイレがあれば被災者はどれだけ助かるかと思いました。
お読みいただきありがとうございました。