岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

13年前になった、2011年3月11日、私は。

2024-03-11 05:49:51 | 東日本大震災

2011年3月11日は地域の要支援者の方への訪問日でした。

担当している方が40名以上だったと思います。

ほぼ一人暮らしの方々です。

両親が二人だけの生活が行き詰っており、2008年に単身で実家に帰っていました。

両親の体調がまずまずの時期には地域包括支援センターで働いていました。

2011年のこの時期には、働きながら見守るというのは限界に来ていました。

3月末で退職を決めており、最後の訪問、引き継ぎの日々でした。

11日、午後からも自転車で訪問していました。

呼び鈴を押して、大きな集合住宅の1室に入らせていただきました。

その方は部屋のテレビを凝視していました。

テレビの画面には、津波が浜辺に押し寄せるシーンが映されていました。

ヘリコプターからの映像です。

津波は地上に侵入し家々を壊していきました。

車が逃げ惑っている様子も映りました。

とても現実に起こっていることとは思われませんでした。

(その映像は仙台市の沿岸でした。後日、東北を訪れてわかりました)

 

そして、おびただしい映像と音声を見聞しました。

気仙沼の湾内外に流され地上に乗り上げた船が映り、いたるところで火事が起こっていました。

夜になると、映像は途切れてしまいラジオを聴いていました。

どこどこの浜辺に大勢の方の遺体が打ち上げられているという報道に震えました。

その報道の中に福島第1原発の電源が喪失しているという恐ろしいニュースが混じってきました。

津波被害と共に原発事故は発生しているらしいことが分かってきました。

しかし原発事故の情報は限られており、映像も遠方からの映像しか入りません。

専門家は原子炉の構造と安全性が確保されているということしか言えません。

実際の原発事故現場を知る専門家など日本にいなかったのです。

もちろん、政府だってほとんど情報や知識がありません。

菅首相がヘリコプターで福島に飛びました。

これは後に現場での作業を遅らせたと批判されました。

実際はそのようなことはありませんでした。

国の責任者が現地に入るということは重要です。

 

岡山には医療支援NGOアムダの本部があります。

すぐに東北に駆け付け福島への救援から始めますが、原発が事故を起こしていると報道され仙台に撤退しました。

そしてその後、岩手県大槌町の救援に向かいました。

私は3月末の退職をじりじりしながら待ち、実家近くのアムダ本部に通うようになります。

使える時間はボランティア活動に使うようになりました。

もちろん、岡山での活動が中心ですが、東北にも行きました。

 

その日々はこのブログに書いています。

こちらhttps://blog.goo.ne.jp/kokakuyuzo/c/806a122ecd0f9d25cf5319509c059a85

こちらhttps://blog.goo.ne.jp/kokakuyuzo/c/5059529b53f6c9da63dea8a276805198

です。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

ウクライナとガザに平和を!

能登半島大地震に支援を!

 

見出し画像は岡山後楽園です。

 

 

 

 

 



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