TV前にパソコンを置いて、思いつくままにキーを打ってみました。
過去のイチローを捨てる。
73分の「拡大版プロフェショナル」。
シアトル郊外の鈴木一朗邸。
鈴木一朗の朝が始まる。
一弓(愛犬)との時間。
昼飯。
自家製のカレー。7年間同じ。
DVD。「白い巨塔」は30回は観た。
飽きない。
2時。セフィコフィールドへ向かう。
イチローになる。
「人のバットやグラブは触れない」
自分の感覚が狂う。
練習はすべてホームラン。
真に当てれば入る。
午後6時試合が始まる。
打席への準備。
儀式のような流れが必要。
0.4秒の戦い。
難しいボールをうつ。
投手の決め玉を打つ。
試合後のインタビューは吟味した質問のみ受ける。
緊張が切れるのは自宅に帰った刹那から。
食事はすべて妻の手作り。
遠征から帰った時用に冷凍している。
夫婦で趣味が違うが、
「価値観は似ていなとね」。
「いきなり深い話になったかな」
常に目に見えない壁と対峙する。
「暗いとき。明るい時がはっきりしている」。
奥さんの言葉。
7年間 200本以上打ち続けている。
イチローの流儀。
過去のイチローは捨てる。
デトロイトへ向かう。
時差には慣れない。
遠征先ではシンプル。ほとんどホテルの部屋にいる。
市販の足もみ器と枕が友達。
過去のビデオを見ると、
「よくあれで打てたな」。
2007年のイチローは何かが違っていた。
オールスターでMVP。
ベースから30cm離れる。
妻の助言。
「少し下がったら視野が変わるかも」
9月ヤンキース クレメンツからの200本目。ホームラン。
精神には限界があると思っている。
今までは重圧と戦っていない。
逃げていた。逃げても200本は打てた。
いつも170本から重圧がかかる。
今年は、重圧に挑んでいく。
打者から見るとフィールドには穴がない。
スタンドから見るのとでは全く違う。
詰まらせると、アウトになる。
ヒットにはヒットになる理由がある。
時間の取り決めを決める。
時間をこなしていくと集中が高まる。
茂木氏
「無意識を操るには身体にゆだねるしかない」。
ホームランは打てる。
狙ったら打てる。
ちょっといってやろうと思って打つことがある。
背面キャッチは遊びではない。
目が離して獲ることは、いざという時のため。
いざという時とは気を緩めた時。
ジンクスはある。
バッターボックスにどちらの足から入るか。
ヒットを打った足から入る。
セフィコフィールド室内練習場。特殊なマシーン。
イチロー専用。
やわらかくしなやかな動きを造る。
肥大させない筋肉。
身体は常に自分の最高のパフォーマンスできる状態にある。
「イチロー」は自分でないという違和感が常にある。
「イチロー」のための厳しいトレーニング。
部屋に引きこもる日々。オリックス時代。
来年も頑張ってという言葉には、「背筋が凍った」。
責任感という重圧。純粋に野球をすることが出来なくなった。
2001年アメリカにわたる。
2004年最多安打を塗り替える。
重圧は変わらなかった。
170本の重圧。
食事の間にも呼吸が苦しくなる。
素顔の鈴木一朗が苦しむ。
野球は嫌いになりかけた。
重圧の質は変わらない。
重圧に弱いと本人はいう。
気持ち悪くなる。
呼吸が変わる。
血の気が引いていく。
一本のヒットがでるまで続く。
出るとすーと引く。
さけることでも結果が出た。
技術の獲得によって、可能になった。
さけることでリラックスして200本を達成する
ことができたが、達成感はない。
何を見ている。
みえない。
わからない。
真っ暗。
もがいていると見えてくるとしかわからない。
9月7日。
首位打者 直接対決。オルドニェス。
負け。重圧があった。
目に見えない何か。
見えないから難しい。
つかみかけてる目にみえないもの。
深夜1時。
ストライクゾーンのみなら、一番と思う。
ストライクゾーン以外を打っている。
ストライクだけを打つ。
それが出来ていないのでは。
そこでなければ現れないものがあるから厄介だ。
アナハイム。最後の遠征地。
練習でも考えてしまった。
首位打者を狙うという重圧に飛び込む。
最後に追い詰められる。
差は縮まらない。
イチローはあきらめない。
覚悟を決める。
僕らも生活を犠牲にする。当たり前のこと。
ヒット3本の可能性が消えたとき、
この戦いは終わる。
重圧と向き合う。
今年1年野球は楽しかったかな。
「野球を楽しむ」
その「入り口」に来たという感じはする。
※鈴木一朗は、自らをファンに捧げる。
「ファンが自分に人生の貴重なものを渡している以上、
私を犠牲にするのは当たり前だ」。
鈴木一朗は生贄なのだ。
ファンのため。
そして、イチローのための。
もちろん、社会福祉職も同じだ、と思う。
ギャラが数百分の1だとしてもだ。
過去のイチローを捨てる。
73分の「拡大版プロフェショナル」。
シアトル郊外の鈴木一朗邸。
鈴木一朗の朝が始まる。
一弓(愛犬)との時間。
昼飯。
自家製のカレー。7年間同じ。
DVD。「白い巨塔」は30回は観た。
飽きない。
2時。セフィコフィールドへ向かう。
イチローになる。
「人のバットやグラブは触れない」
自分の感覚が狂う。
練習はすべてホームラン。
真に当てれば入る。
午後6時試合が始まる。
打席への準備。
儀式のような流れが必要。
0.4秒の戦い。
難しいボールをうつ。
投手の決め玉を打つ。
試合後のインタビューは吟味した質問のみ受ける。
緊張が切れるのは自宅に帰った刹那から。
食事はすべて妻の手作り。
遠征から帰った時用に冷凍している。
夫婦で趣味が違うが、
「価値観は似ていなとね」。
「いきなり深い話になったかな」
常に目に見えない壁と対峙する。
「暗いとき。明るい時がはっきりしている」。
奥さんの言葉。
7年間 200本以上打ち続けている。
イチローの流儀。
過去のイチローは捨てる。
デトロイトへ向かう。
時差には慣れない。
遠征先ではシンプル。ほとんどホテルの部屋にいる。
市販の足もみ器と枕が友達。
過去のビデオを見ると、
「よくあれで打てたな」。
2007年のイチローは何かが違っていた。
オールスターでMVP。
ベースから30cm離れる。
妻の助言。
「少し下がったら視野が変わるかも」
9月ヤンキース クレメンツからの200本目。ホームラン。
精神には限界があると思っている。
今までは重圧と戦っていない。
逃げていた。逃げても200本は打てた。
いつも170本から重圧がかかる。
今年は、重圧に挑んでいく。
打者から見るとフィールドには穴がない。
スタンドから見るのとでは全く違う。
詰まらせると、アウトになる。
ヒットにはヒットになる理由がある。
時間の取り決めを決める。
時間をこなしていくと集中が高まる。
茂木氏
「無意識を操るには身体にゆだねるしかない」。
ホームランは打てる。
狙ったら打てる。
ちょっといってやろうと思って打つことがある。
背面キャッチは遊びではない。
目が離して獲ることは、いざという時のため。
いざという時とは気を緩めた時。
ジンクスはある。
バッターボックスにどちらの足から入るか。
ヒットを打った足から入る。
セフィコフィールド室内練習場。特殊なマシーン。
イチロー専用。
やわらかくしなやかな動きを造る。
肥大させない筋肉。
身体は常に自分の最高のパフォーマンスできる状態にある。
「イチロー」は自分でないという違和感が常にある。
「イチロー」のための厳しいトレーニング。
部屋に引きこもる日々。オリックス時代。
来年も頑張ってという言葉には、「背筋が凍った」。
責任感という重圧。純粋に野球をすることが出来なくなった。
2001年アメリカにわたる。
2004年最多安打を塗り替える。
重圧は変わらなかった。
170本の重圧。
食事の間にも呼吸が苦しくなる。
素顔の鈴木一朗が苦しむ。
野球は嫌いになりかけた。
重圧の質は変わらない。
重圧に弱いと本人はいう。
気持ち悪くなる。
呼吸が変わる。
血の気が引いていく。
一本のヒットがでるまで続く。
出るとすーと引く。
さけることでも結果が出た。
技術の獲得によって、可能になった。
さけることでリラックスして200本を達成する
ことができたが、達成感はない。
何を見ている。
みえない。
わからない。
真っ暗。
もがいていると見えてくるとしかわからない。
9月7日。
首位打者 直接対決。オルドニェス。
負け。重圧があった。
目に見えない何か。
見えないから難しい。
つかみかけてる目にみえないもの。
深夜1時。
ストライクゾーンのみなら、一番と思う。
ストライクゾーン以外を打っている。
ストライクだけを打つ。
それが出来ていないのでは。
そこでなければ現れないものがあるから厄介だ。
アナハイム。最後の遠征地。
練習でも考えてしまった。
首位打者を狙うという重圧に飛び込む。
最後に追い詰められる。
差は縮まらない。
イチローはあきらめない。
覚悟を決める。
僕らも生活を犠牲にする。当たり前のこと。
ヒット3本の可能性が消えたとき、
この戦いは終わる。
重圧と向き合う。
今年1年野球は楽しかったかな。
「野球を楽しむ」
その「入り口」に来たという感じはする。
※鈴木一朗は、自らをファンに捧げる。
「ファンが自分に人生の貴重なものを渡している以上、
私を犠牲にするのは当たり前だ」。
鈴木一朗は生贄なのだ。
ファンのため。
そして、イチローのための。
もちろん、社会福祉職も同じだ、と思う。
ギャラが数百分の1だとしてもだ。
見ました。
修行僧のように
といわれるイチローの人間臭さを
見ました。
私自身は生活のためにと
言い訳しつつ
田舎にいますが
それでも
クラスの授業では
イチローなみとは言わないが
そのようなプロ意識があったろうか
と
私も見終わってしばし
考えさせられました。
そして
66歳ともなると
あまりにも残りはすくないと・・
今年もよろしくお願いします。
イチローさんにはいろいろ考えさせられますね。
刺激的です。
年齢について。
若い頃と違い、後から来る人のことを
考えることが多くなりました。
社会福祉士や地域包括の職員も不安になるほど
若い人が多いのも確かです。
なにしろ利用者の方々は、80数歳が
普通です。
お孫さんのような年齢の若者の言葉を
素直に聞けない人も多いようです。
私も日頃は子ども世代と仕事をしていて
違和感はないのですが、新たに仕事を
探すとなると年齢を意識せざるを得ません。
年齢のバリアは、結構根が深いですね。
それでも、自らの心と身体を
律していくことができればと思っています。
この点は、はるかに若いイチローに
教わることが多いですね。