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以下は、小宮山宏 三菱総合研究所理事長 元東京大学学長の提言です。
日本医師会 COVID-19有識者会議のホームページに掲載されています。
2020年5月13日付の提言であり状況は刻々と変わっていることを考慮してください。
『コロナ禍の脱出』のための知の構造化
要約(サマリー)
・現象は常に複雑であり、人は理解のためにモデルが必要となる。
そして、知の構造化とは、おびただしい量の知識の中から目的を表現するのに重要なものを選び出し、配置することである。
・今回、「いつ、どのようにコロナ以前に戻れるのだろう」の答えを得る目的で、コロナ禍に関して、リアルタイムで世界の情報を分析したところ、下記のような、全体像の現状の仮説を得た。
我が国の現状は、他国や抗体検査などの様々な情報を比較して推察すると、感染率は0.1%、致死率は0.36%との推察ができる。
新型コロナウイルス感染症は、治療薬がないが、医療体制の十分なところではインフルエンザと同程度の致死率である
感染者数の推察に対して、均質なモデルでは単純すぎ、現在無駄な自粛が多すぎる可能性がある
・以上のことを踏まえて、下記のような対策が望ましいと考えられる。
1. 均一に接触確率を減らそうという基本策自体を修正し医療施設や介護施設、家庭での高齢者などの防護に資源を集中し一般社会は、速やかな活動再開に向かう
2. 持久戦を覚悟した戦略的な政策のために、下記を確保、精査、定義する
1.ロジスティックスの確保を行う。マスクや消毒薬はもちろん、PCR、抗体など検査体制、医療体制、生活必需品の補給体制、ライフライン、その他重要物資のサプライチェーンを確保する
2.個別政策を打つ場合、効果、意識喚起、副作用の3条件の精査を行う
3.出口条件を明確化する。特に新規感染(死亡)数、検査体制、医療体制の3条件を定義する
最後に、今回のコロナの中で、なぜ日本だけがPCRを増やすことができないのかと疑問に思った。そして、背景に「強すぎる行政とそれに慣れてしまった国民」を感じた。今回のコロナを奇貨として、「知の構造化と自律分散協調系」の伴う新しい体制に日本を導く必要があるだろう。(下線は岩清水)
以下は本文の最後の部分です。
世界を俯瞰して何が分かったか
コロナ禍とその対応の全体像を知り、日本を相対化することができる。
下記に例示しよう。
①欧米が特殊
ここに記した、シンガポール、アイスランドのほか、香港、ルクセンブルグ、UAE、カタールなど小国が健闘している。小さいからよいわけではなく、サンマリノ、アンドラなどは悲惨である。ガバナンスの良い小国ということだろう。
また、台湾、韓国、オーストラリアは小国ではないが、IT、ガバナンスで頑張っている。
しかし世界を俯瞰して最も顕著なのは、ヨーロッパと北米の特殊性だ。死亡率が高い国はここに集中し、他地域との差は大きい。札幌医大の提供するサイト[2]は最も秀逸なものの一つだ。そこで、死者数(百万人当たり)の世界全体図を表示し、そこから北西南ヨーロッパと北米を消すと、グラフのスケールが変わる。さらにイランとエクアドルを除くと、差は一けたを大きく超える。
日本の報道は、欧米に偏っている。テレビと新聞だけだと、世界を見誤る。
②致死率は低い
もし十分な医療が供給されていたとしたら致死率はどのくらいなのだろうか。これは、コロナ禍がどれくらい怖いものなのか、最も重要な指標だ。
まず参考にすべきは、20%が感染したダイヤモンドプリンセスのデータだろう。その致死率1.8%は、WHOの2%に近い。しかし、これは偶然の一致だ。クルーズ船の乗客は高齢者に偏っている。WHOは60、70、80代それぞれ、3.6,8,15%で、若い人を含めた平均で2.3%としている。日本で知られたWHOの2%は、固有の状況(武漢)における値で、医療が適切なら、致死率は2%からさらに一桁小さいことをクルーズ船は示唆する。
コロナ固有の致死率を知るには、PCRを十分行い、十分な医療もある国を考えるべきだろう【図表4】。ドイツは、感染率が英仏伊より若干低く0.2%、致死率は4.2%と3分の1だ。しかし、悲惨な欧州の中で低いというだけだ。
他の国を見てみよう。
アイスランドは、PCRを国民の14.8%に実施、日本のちょうど百倍、世界一だ。感染率は世界最高レベル0.53%で致死率0.56%。世界第二のPCR実施国はUAE、国民の12%に行い、感染率は0.14%、致死率0.89%。シンガポールはPCR2.5%、感染率は欧州と同等0.33%だが、致死率は低く0.093%だ。カタールは、PCR3.8%、感染率世界最高0.60%、致死率は0.070%である。
致死率は、医療、文化、BCGなど未知の要因、さまざまに影響されるだろう。しかし、シンガポール、カタールの平均値の0.08%は一つの指標だろう。
慶應病院で行っている非コロナ来院者のPCRは、4月30日までの集計で、2.7%の陽性率、5月5日厚労省発表0.012%の230倍だ。日本の致死率3.6%は、本当は0.02%の可能性があり、0.08%と同レベルになる。
結論として、PCRの大規模実施で測定される感染者の致死率は、WHOの2%、日本の3.6%などと比してはるかに小さく、0.08%以下と考えるのが妥当である。
さらに、3月ころから世界各地で抗体検査が行われて、無自覚無症状の感染者が多く、PCR測定値の、数十倍から数百倍に及ぶという可能性が高くなってきた。ニューヨークでは21%と報告されている。日本でも神戸中央市民病院が千人測定し、3.3%が抗体を持つと発表している。
これら個々のデータは、それぞれ、固有の状況に影響されており、大きな誤差も免れまい。しかし、多くの知見を総合すれば、致死率は0.08%をさらに下回ると考えるべきだろう。それならインフル程度だ。このことは、「コロナ禍からの脱出」を考えるに際し、きわめて重要な希望ある知見だ。
③ウィルスの変異は大きな影響を与えていない
イタリアの悲惨な状況に対して、ウィルスが強毒に変異した可能性が示唆された。事実変異はすでに、A、B、C三種など、さらにRNAの分析で分岐が報告されている。しかし、強毒化の可能性は否定できる。
イタリアはフランス、スイス、オーストリア、スロベニアと国境を接する。その北がドイツだ。オーストリア、スロベニアの感染率はイタリアと大差ないが、致死率は3~4分の1、ドイツと同程度だ。また、ルクセンブルグの感染率は高いが、致死率は、国境を接するベルギーの7分の1だ。こうした状況に鑑みると、変異の影響はあったとしても大きくはない。感染と死亡の爆発の主因は、医療崩壊、社会崩壊にあると考えるのが妥当だ。
④「コロナ禍からの脱出」3条件
こうして分析してくると、脱出の条件がおのずから明らかになってくる。結論は、
1.新規感染者、新規死亡者の減少
2.検査の充実による実態把握
3.医療体制、ロジスティックスを中心とするガバナンスの確立
(ボールドは岩清水)
現下の日本のデータは、新規感染者の減少、感染に2週間ほど遅れる。
新規死亡者の飽和を示している。1はほぼクリアしているといってよいのではないか。しかし、2,3に関して、公表データからは理解不能であることを以下に述べよう。
⑤日本はおかしい、特殊すぎる
1)なぜそれが日本だけなのか?
日本は、感染検査PCRが極度に少ない。このことはすでに国民のコンセンサスになっている。実際、人口当たりにしてOECD平均の9分の1しか測定していない。PCRを増やすことの困難さについて説明はなされる。しかし、私の唯一最大の疑問は、他国はできるのに「なぜ日本だけできないのか」だ。
感染者の多い国から並べると、日本は31位。50位以内で日本よりも人口当たりのPCRが少ない国はメキシコ、パキスタン、インドネシア、バングラデシュ、エジプトだけだ。OECDどころか、トルコ、サウディアラビア、ペルー、エクアドル、ベラルーシといった国よりもはるかに低いのだ。他の国はできているのに「なぜ日本だけ」、これを明らかにする必要がある。
2)医療崩壊がなぜ懸念されるのか?
【図表4】にあるように、日本の急性期用病床数(ICUを除く)は他国に勝るとも劣らない。しかも、感染率は他の国よりもけた違いに低い。これだけ優位な資源の状況で、なぜ医療崩壊が懸念されるのか?
この2点に関しては「日本だけができない理由」を、明確にしなければいけない。「コロナ禍からの脱出」3条件の2つであって、必須だ。PCRはゲノム研究を行う通常技術であり、日本全体として、機器も人も技能も、世界の劣等国であるはずがない。医療資源に関しても、感染者とベッド数の関係からも、足りないとはとうてい思えない。
3)国のガバナンスの劣後だろう
資源を有効に使うシステムが劣後しているに違いない。国のガバナンスが悪いのだ。どこに責任があるのか?政府か、厚労省か、医師会か、国民か、他の何かか、ここは明らかにしないといけない。
私は、日本のガバナンスの問題と考える。「強すぎる行政と馴致された国民」という基本的構造が限界にきているように思える。そして答えは、自律分散協調系への移行だと考える。
日本の未来にとって、これは最重要な問題である。たとえ、ポストコロナになろうとも、決着をつける必要がある。そうしないと、「全員が協力してやるべきときに、非難めいたことをいうべきではない」でコロナが終わり、終わった後は「みんな頑張ったんだし、もう済んだことなのだから、今更いいじゃないか」となる。太平洋戦争もそうだった。危機に際して日本が繰り返し犯した過ちだ。
⑥希望の兆しは見える
日本の課題が、強すぎる行政とそれに慣れてしまった国民にあるとすれば、コロナを奇貨として自律分散協調系へ向かいたい。北海道、千葉市、川崎市、大阪府、新宿区など、自治体が、政府に先んじて、あるいは政府とは異なる方針を打ち出すところが出始めている。それは地方自治体の自律の兆しと考えたい。
また、慶應病院、大阪市立大学附属病院、神戸中央市民病院、東京医師会はじめ、国に先んじてPCRや抗体の検査を行う例が散見され始めた。これは希望だ。
日本は大国である。アイスランドやシンガポールのようなわけにはいかない。多様な背景を持つ地域が自らの意志で自ら動く、分散系の自律が不可欠なのだ。アイスランドがやれたことを、富山市がやればよい。人口は同規模だ。それらを見ながら、政府は協調系としての機能を果たす。国として自律分散協調系に移行しよう。
その点でドイツは参考になる。悲惨な周辺国の中で火の粉を浴び、日本よりはるかに厳しいコロナ禍に見舞われながらも踏みとどまり、今でも日本より厳しい状況の中、すでに経済再開へと舵をきっている。ドイツは、州の力が日本の都道府県と比してきわめて強い。自律分散協調系を志向する国家である。
転載終わります。
最後は日本の検査数が他国に比べて非常に少ないことに対する考察です。
「強すぎる行政と馴致された国民」
そして、
自律分散協調系への移行
でした。
お読みいただきありがとうございました。