岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

『児島虎次郎』 編著 松岡智子 時任英人

2009-08-14 05:18:04 | 石井十次
山陽新聞社 1999年

最近、『児島虎次郎』を手元に置き、少しずつ読んでいます。
児島虎次郎は、岡山県中部の町成羽町出身。画家として一家をなした人であり、
大原美術館の珠玉のコレクションの収集にわが身を削って尽くされたことでも
知られています。
大原家とのつながりが深く、大原家の美術監督的役割も果たしています。
結婚に関しても、大原孫三郎が媒酌人であり石井十次の娘をめとっています。

この伝記の中には、この人も石井十次と同じく大原孫三郎に膨大な無心をしていることが
書かれています。
半端な額ではありません。
後の世から眺めれば、大原家の財産を、社会福祉の巨人と類まれな美の伝道者に
託したことが大原孫三郎の最大の功績だったことがわかります。

私は数日前に「疾走する人々」という写真を載せましたが、実は、児島虎次郎のことが
頭にありました。
彼の人生は47年。ひと時も休まずに疾走した人生でした。

彼の使命感も、石井十次と同じく天から与えられていると思えます。
一人の画家が、以下の言葉を書き遺すことは異例ではないでしょうか。

「ただ天命の導きによりて この重命を全うすべく 誓い申し居り候」

まことに誠実な人であり、この本を読んでいて感嘆するばかりですが、
天命のために、大原孫三郎への無心の連続です。
日本の美術の発展にみずからが貢献できることは名画の収集だと思い定めています。
当時、日本の洋画壇を担う画家の多くは、欧州で絵を学んでいます。
師を求め、各国の美術館や風光明美な土地を訪れ、目に肌に腕に洋画の世界を
吸収したのです。

児島虎次郎は、その画家の中でも秀でた才能(努力できるという)を持ち合わせていました。
そして自身の画家としての成長だけでなく、日本人のために何ができるかを考えることが
できたというのも大いなる才能でした。

彼は、他の画家が持ち合わせていなかったものを持っていました。
それが、大原家というパトロンです。
義父である石井十次の無心も唖然とされられますが、児島虎次郎も決して負けては
いません。
この二人に共通するのは、半端ではないことです。
妥協ということばは、彼らの辞書にはないのでしょう。

しかも、個人的な意味での無心など念頭にないのです。
自らに与えられた使命=天命しかないのです。

そして、天命を全うした親子は、ともに40代でこの世を去ります。

「ただ天命の導きによりて この重命を全うすべく 誓い申し居り候」

この言葉を胸に疾走した人生でした。

親子で遺したものの大きさは、いまだこの手に捉えられていません。

この本を手に、大原美術館を訪問したいと思います。

※写真は総合グランドの緑陰です。

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