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岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

【長島愛生園】 監房と目白寮

2008-07-11 01:32:52 | ハンセン病
収容所に隣接して、監房跡がある。
国立療養所の暗部のひとつである。
全国の療養所にはこの監禁室があった。
どのような役割があったか、歴史館のパンフには、穏やかに書かれている。

「開園(昭和5年:1930年)と同時に園内に監房が設置されました。
当時は治安維持を目的としていましたが、実際には逃走した者を多く
収監しました。また、懲戒権は園長に与えられていたため何ら裁判は
行われませんでした。
生後の民主憲法下でも使用され続け、昭和28年[らい予防法]改正により
ようやく廃止になりました。当時園内が治外法権だったことを物語っています」

監房が隔離病棟からの脱出者の懲罰の場所だったことは、他の療養所も同じだ。
一応30日の監禁が期限であったがそれ以上の監禁も可能だった。
今は外壁しか残っていない。

この監房跡から少し登ったところに目白寮の跡がある。
この目白寮には、俳人「明石海人」さんが暮らしていた(昭和の初め)。
パンプからの引用です。
「海人は視力を失った後、この場所で短歌、俳句、散文に才能を発揮しました。
25万部を売り上げた歌集『白猫』の序文、
[深海に生きる魚族のやうに自ら燃えなければ何処にも光はない]の言葉は、
後の入所者にも大きな希望を与えました」

私はまだこの有名な歌集を読んではいない。
しかし、目白寮跡あとに置かれた案内板の短歌は忘れることができない。

監房にあざけりわらふもの狂い
       夜深く醒めてその声を聴く

目白寮から、監房までは50メートルあるだろうか。
情景を想像するだけで背筋が寒くなる。絶望の深さは底知れない。

監房には、過酷な条件の中、精神を病んだ入所者も閉じ込められていたことが
わかる。

※写真は監房跡


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