北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

人望の研究

2009-08-05 23:36:32 | 本の感想
 


 「『ダメだな、あの男は人望がないから』日本社会ではこの一言でその人の前途が断たれる。その人が以下に有能であってもダメ、そしてこの言葉には反論の余地がない ー 『人望、人望なんてなくたっていいじゃないですか』とは誰も言えないのである」

 これは今日ご紹介する山本七平著「人望の研究」の冒頭の書き出しです。

 日本で暮らすのには、いやおそらく世界中どこでもリーダーとして欠くべからざる素養は人望ということになるのだろうけれど、では一体「人望」とは何か、「人望」を得るためにはどうすればよいのか、ということについて古典を紐解きながら答えを導いているのがこの一冊です。

 「人望」と非常に似た言葉は「人気」である、と著者は言います。最近の流行は若い三十代の首長の登場。なにやら流行病のような気すらしますが、彼らは立派に選挙で勝ち抜いて対立候補者よりもより多くの得票を得て当選を果たしてきています。

 しかしそのことが本人の人望によるものなのか、それとも人気によるものなのか、その両方なのかは選挙民でない私には分かりません。しかしその二つに違いがあるのだ、ということが頭の片隅にあると「ううむ、自分はどちらを基準にして投票をしているのかな」という自己分析くらいは出来そうです。

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【克伐怨欲】
 著者がまず紹介するのは、人望を得るために不可欠な条件。著者はこれを儒教が発達した朱子学の概論と言うべき『近思録(きんしろく)』に見いだします。明治の指導者の若き日の読書には必ずこれが入っていたわけで、知識階級必読の書であったわけ。

 そして人望の根っこにあるべきものはまず「徳」である、ということになります。徳への入り口は「克伐怨欲(こくばつえんよく)なきこと」

 「克」とは他人を押しのけようとする態度、「伐」とは「オレが、オレが」という自己中心的な態度、「怨」は他人を恨む心根、そして「欲」は私欲・貪欲のこと。

 こうしたことをなくすることが徳への入り口であり人望の入り口だというのです。

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【七情】
 しかしながらこれらの「克伐怨欲」を押さえても、人間には「情」があります。これには七つあって「喜・怒・哀・懼(おそれ)・愛・悪(にくしみ)・欲」なんだそう。

 賢者とは、これらを抑制して中庸を保つように心掛け、自らの心を正し、その本性を養い全うする者のこと。

 しかして愚者とは、これらの七情を抑制することを知らず七情にまかせて行動し、ついには邪(よこしま)に陥り自らを滅ぼしてしまうのです。

 そしていよいよ、そのうえで人望を得るための具体的な行動規範として『九徳を目指せ』という段階に至るのです。

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【九徳】
 九徳は後のためにもここに列挙しておきますのでよくかみ砕くのが良いでしょう。すなわち九徳とは

①寛(かん)にして栗(りつ) (寛大だがしまりがある)
②柔(じゅう)にして立(りつ) (柔和だが事が処理出来る)
③愿(げん)にして恭(きょう) (まじめだが丁寧で、つっけんどんでない)

④乱(らん)にして敬(けい) (事を治める能力があるが、慎み深い)
⑤擾(じょう)にして毅(き) (おとなしいが、内が強い)
⑥直(ちょく)にして温(おん) (正直・率直だが、温和)

⑦簡(かん)にして廉(れん) (大まかだがしっかりしている)
⑧剛(ごう)にして塞(そく) (ごうゆうだが、内も充実)
⑨彊(きょう)にして義(ぎ) (強勇だが、義(ただ)しい)

 の九つの相反した要素を同時に持つ徳のことだと言います。

 九つと言いながら、それぞれ二つの要素を持っているので、何かが欠ければ九不徳、全部がダメだったら十八不徳という恐ろしい人間ができあがります。

 著者の山本さんはこの近思録を読んだ時に、なぜ明治の始めに欧米へ行った日本人の使節などが現地の信頼と尊敬を勝ち得ることが出来たかが分かったような気がした、と書かれています。

 つまりそれは、外国語がペラペラであろうがなかろうが、「十八不徳人間」が尊敬されることはないし、逆に幕末の江戸の知識教育を受けた指導者階級にあった者は皆、幼少時からこの近思録をたたき込まれて、これで訓練されてきたのだ、と。

 こうした能力は、決して生まれ落ちた才能によるものではなく、幼い時からの教育と修練によって、あるいは年かさを重ねたとしてもあるときに事の本質に目覚めれば、訓練によって身につけることが出来る素養なのです。

 「七情を抑制し、九徳を心がける」こと。そういう人間になれたならば自ずと人望はついてくるものだ、というのが数百年の時のフィルターを経た古典が教えてくれる人間世界の真実。

 本当ならばこの本を手にとって読むのが一番ですが、その要諦は上記のことに尽きるのです。

 あとは実践あるのみ。さて、手帳に書き写していつでも読めるようにしておくとしますか。 
コメント
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