「おもてなし」を科学的に観察してもっと活用できるようにしよう、という「日本型クリエイティブ・サービスの時代」という本を読みました。副題として「『おもてなし』への科学的接近」と書かれていて、おもてなしとは何かが面白く書かれています。
難解な大学論文的なところもありますが、おもてなしの現場を研究することでその空間と時間の中で何が行われているかが分析されていて興味深く読めました。
ちょっと長くなるので、二回に分けてお届けします。今日は前篇です。
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"クール・ジャパン"と言われて、今年の訪日外国人数は過去最高。
この"クール"とは「カッコイイ」という意味で、世界中の他にはどこにもない日本独自の風景や歴史、文化、食べ物、国柄をカッコイイという訪日客が増えています。かっこよさにもいろいろありますが、中でも日本式の「おもてなし」に感動している人も多くいるようです。
日本はこれまで「ものづくりの国」として世界に存在を認められてきましたが、先端技術はどんどん新興国に追いつかれコモディティ化して安くなり、一方世界標準化に出遅れているうちに「ガラパゴス化」などと言われてやや自信を失いかけているかも知れません。それがここにきて、文化や伝統を大切にしながら変化・革新を続ける「おもてなしの国」としての評価が高まっていると言えるでしょう。
ところでこの「おもてなし」とは何なのか、と言われると案外これを説明するのは難しい。日本人ならあまり考えずに常識だと思っていても、それを外国人が感じたりその良さを真に理解できるかというとちょっと意識差がありますね。
だからこそまずは日本人自身が、おもてなしとはどういうことなのかをちゃんと理解しておくことが重要だと私は思います。
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さて、おもてなしの心は「高コンテクスト文化が背景にある」と言われます。目の前の売り物それ自身はコンテンツと言われますが、コンテクストとは「文脈」と訳されてその背景や歴史など目先のモノだけではなく、コンテンツにまつわる様々な知識や曰く因縁を知って感じることを面白いと思う文化が、高コンテクスト文化というわけです。
日本人はできあがったコンテンツだけよりも、それができあがる過程をも楽しみに感じる民族。だから、K-popの完成されたアーティストよりも、AKB48がファンの支持によって成長する過程の方がビジネスになるのだ、という分析も紹介されていて(なるほど、そうかも)と納得です。
もてなすということは、一方的にこちらの持っているものを相手のことを考えずに提供することではありません。
世界資本のハンバーガーショップでは、どこの国でも同じレベルのサービスを提供できるようにと従業員マニュアルを整備し、にっこり笑って「ご注文をどうぞ。ドリンクはいかがですか。ポテトのセットはいかがですか」という標準的なやりとりサービスが安定的に行えるように訓練していますね。
これはこれで最低限のサービス品質を保つことに寄与していますが、想定外の臨機の対応ができなかったり、相手との会話を楽しんだりするようなことはありません。あくまでも売り物はハンバーガーやそのサイドメニューを売ることが目的で、その過程が心地よいかどうかはビジネスとしては関心がないのです。
これに対する日本型おもてなしの一つの具体例として、日本旅館の女将の対応が本書の中で挙げられています。
…客が自分自身の欲求を明確に自覚していなければホテルは
反応しない。コンセルジュも、自分が何をしたいのかと尋ねる
顧客に対しては対応困難である。旅館ではサービスリーダーで
ある女将が客に働きかけ、顕在的潜在的な欲求を引き出して、
それに対応する。明確に自分のしたいことを自覚している客に
は過度にかまうことをしない。
旅館の顧客対応は基本的には客をかまうか、あまりかまわな
いかという区分から始まる。新婚旅行の客をあれこれかまう必
要はない。しかし、中年のカップルについては、その客が夫婦
なのか、不倫カップルなのか瞬時に見極めて対応を変えていく
必要がある。ベテランの女将や仲居であれば、容易にそれを見
極める。放っておかれる方がよいという客か、かまってほしい
客かの見極めは、一人旅であればかなり難しい。外見だけでは
判断が付かない。
さらに、客自身に自覚がなく、自分がどのような時間を過ご
すかについて明確な意識をもっていないことも少なくない。こ
のような客に対して、仲居/女将は可能な選択肢を提示する。
それは旅館内だけではなく、旅館近くの、例えば近辺の飲食店
や農家などをサービス資源としてその場で新規のサービスを提
供することがなされる。
相手がどのようなコンテクストにあるのかの自覚がなくとも、
それを察してサービスに反映させることが為される。これが
「以て」「為す」状態であり、これをサービス価値の共創であ
ると考えることができる。
ここには「以て」「為す」という心構えが説明されています。しかし具体的にその場面で何をどう話して接遇をするか、というところは定まっていません。
それは一人ひとりのプレイヤーに託されていて、プレイヤーが日々の対話の中から研鑽を積んで力量を増さなくてはなりません。どこか求道的なところがあるのも、日本人らしいかもしれませんね。
(後篇に続く)