【写真と本文は関係ありません】
昨日屈斜路湖から札幌へ帰る途中の話。
どこかでお昼ご飯を食べよう、ということになり、ネットで必死に検索してあるところで「町の洋食屋さん」を名乗る小さなレストランに入りました。
私はオムハヤシライスを頼んで、妻と娘はオムライスを注文。
私に運ばれてきたオムハヤシライスはとても美味しく、内心(ネットで美味しいレストランが探し当てられて良かった)と思っていました。
ところが妻と娘に「オムライスはどうだった?」と訊くと、「うーん、なんだかケチャップライスの味が薄くて物足りなかった」とかなり残念な感じ。
「お母さんにも『味薄くない?』って聞こうかと思ったけれど、お店の人に聞こえるのも嫌だなと思ってそのまま食べちゃった」
「なあんだ、お店の人に『こちらのお味はこんな感じですか?』って訊けばよかったのに」
「ええ!できない、できない!それはできないなあ」
「そうなの?訊く方がお店のためになると思うけどな」
「お店の人に『どうしてですか?』って逆に訊かれたら答えに困るよ」
「そんなときは『私子供の頃から濃い味に慣れすぎちゃったもので、すみません』って言えばいいんじゃないの?」
「急にそんなこと思えないし、やっぱり聞けないよ~」
結局、お店としてこの味で良いと思っているのかどうかはわかりませんでした。
こういうときにはなかなかお店の人には聞けないという人が多いようですが、「私は聞けるよ」という方っているでしょうか。
この手の奥ゆかしさは日本人らしいところでしょうか。
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日常生活で、問題を全く感じないまましていたことについて、あるとき突然何かが間違っていたということってありませんか。
そういうときに間違ってしまった相手さんに素直に謝るなんてことはできますか。
知らぬ存ぜぬを貫いていれば、やがて向こうの方が諦めて何も言ってこないまま終わるということは良くある話。
しかしそれでは間違われた相手は二度とこのお店に来ることはないかもしれません。
自分たちが用意した商品の売れ行きが悪くなった時には、それが陳列してある前を通るお客さんの様子を見てみてはいかがでしょうか。
それに対する反応こそ、何度も買ってもらえるかそれとも二度と買ってもらえないかを表すバロメーターのようなものです。
日本人はしばしば拒否の態度としてクレームを直接ぶつけるという事ではなく、二度とそこに足を踏み入れないという消極な形で態度を示します。
使い勝手の感想を求めても全ての人が正直に感想を述べてくれるわけでもありません。
静かに去ってゆく"隠れクレーマー"の姿を見逃してはなりませんね。