今月号の「致知」の特集テーマは「未来をひらく」。
対談の記事は、ともに三十年以上小学校教諭として子供たちと向き合ってきた平光雄さんと菊池省三さんのお二人が登場しました。
お二人とも実践から編み出された独自の指導法をお持ちで、その根底をなす教育への探求心とたぎる思いを語られています。今日はその中から一部を抜粋してお届けします。
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菊池「平先生とははじめてお目にかかりますね。よろしくお願いします」
平「こちらこそ、よろしくお願いします。よく、『最近の子供は変わった』と言われますが、私は三十年前と基本的にはそう変わったとは思わないんです。もちろん、幾つか思い当たることはありますよ。
例えば、何かをしてもらって当たり前と思っている子が結構多くて、逆に『してくれない』ことに対して被害者意識が強いとか」
菊「それはありますね。私も三十年くらい前とあまり大差がないように思うのですが、いまの子供たちは要らない衣を身に着けているような感じがしますね。それを脱がせてまともな衣を着せてあげると、やっぱり子供は子供なんですよ。
要らない衣っていうのは、無意識にまとっていると思うのですが、その最たるものが責任を自分以外の人に向けることですね」
平「そのとおりですね」
菊「すべて自己責任と言うとらえ方ができないから、自分を守ろうとする力が強くて他人を攻撃しようとする。こうした現象を、私の立場から言うとコミュニケーション力がないということになります。相手の気持ちを読むとか、場の空気を読むとか、先を読むなどの力が相対的に落ちているなという感じは受けますね」
平「『人生、人のせいにするな』という考え方の逆をいっているのですが、これは大人の責任でもあると思うんですよ。
例えば、いまはお店なんかでも子供に対して非常に丁重で賞。どこへ行っても『お客様』として扱われる。でも昔は『坊主、その辺の物に触るなよ』と言って叱られることもありましたよね。
お店の対応が良くなるというのは、もちろんよい面もあるでしょうが、それによって損なわれる面もたくさんあると思いますよ。どこに行っても丁重に扱われていると、学校でもお客様みたいに扱われるのが当たり前だという考えが自ずと出てくるんです」
菊「神戸女学院大学名誉教授の内田樹先生が、病院で『患者様』と呼ぶようになったら院内ルールを守らないだとか、クレームをつける患者が増えたと指摘しています。同じように、学校が『お子様』と呼び始めてから、学校のルールは守られなくなるし、親は給食費を払わなくなると。
結局、構図としてはどれも同じですよね。子供に迎合しすぎたことで、自分以外の人に責任を求める子供や親までが増えてしまったのではないでしょうか」
平「…だからこそ、そうした風潮に迎合させないことがとても大事ですね。
特に今は楽しさ第一主義というか、楽しくて当たり前の世の中をつくってしまっているから、学校は楽しくなければおかしいと親も子供も思ってしまっている。
でも本当は、自分が成長することで、結果として楽しいと感じるのが本来なんです。極端な話、一年間先生にたくさん叱られたけど、それで成長できたんだったら『いい一年だ』という思考が大事ですね。叱られてばかりで楽しくなかったから『よくない一年だ』という短絡的な考え方をもたせてはいかんのですよ」
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(中略)
平「私がいつも言っているキーワードに『変さ値の高い集団』というのがあります。学生時代の経験からも言えることなのですが、いい集団になればなるほど、みんな自分の変なところが平気で出せるんですよ。逆に社会的に認められた部分しか出せない集団って、いい集団じゃないんですよね」
菊「確かにそうですよね」
平「やっぱり人って、それぞれ変なところがあったり、妙なこだわりがありますよね。いわゆるオタクみたいな子にも、これまでいっぱい出会ってきました。例えば、鉄道オタク、トカゲマニア、熱狂的な石好きだとか、そういう子供たちの知識量というのはものすごいわけですよ(笑)
ただしここで教師の方が『こいつは変な奴だ』と思っちゃいけなくて、その子の趣向に寄り添って受け止めてあげる。その時に、ちょっと知識欲を刺激するとなおいいです。『なんだ、それは知らないのか。まだまだ大したことないなぁ』とたきつけると、もっと意欲に火がつくんです。ただ概念的に『とことんやることが大切だ』と口先だけで言っても響かないですね。
でもそういう接し方をするためには、こちら側も知識や教養が不可欠です。
何かにこだわっている子を私が認めることで、周囲もその子を認められるようになる。そうやって、自分の『変なところ』を平気で出せる様なクラスになるのが『変さ値』の高い、いいクラスだと思います」
菊「私もそう思います。学校のカリキュラムの中だと、それぞれが変なところを出せるのは係活動ですね。自分の趣味とか得意なことをやって、それが皆に受け入れられればクラスで楽しめる。
学級のキーワードの一つに『自己開示』というのがあって、いい意味でバカになる、そしてクラスの友達の新たな面を発見することを楽しもうというわけです。そうなると教室がダイナミックになりますね」
平「それは『変さ値の高い集団』と同じことですね。
何かこだわりのある子というのは、いわゆる内向的な子であることが多いですね。内向的な子供を見ていて思うのは、彼ら持っている力というのは本当にすごいということです。そして、その力を活用すれば、集団のレベルアップや活性化に繋がることは間違いありません…。」
菊「先ほど安心感のある集団づくりと言いましたが、その一環として取り組んでいるものに『褒め言葉シャワー』があります」
平「『褒め言葉のシャワー』ですか」
菊「毎日、帰りの会の時に日替わりでその日の主役となる子供が教壇に上がって、クラスの前でその子の良いところを伝え合うという活動なんです。
具体的には『事実(一文)+気持ち(一文)』の構成で、例えば『菊池君が机の間に落ちていたプリントを拾って、落とした子に渡していました。さりげない優しさが五年生の時よりも成長しているなと思いました」というように、全員が褒め言葉を浴びせかけていく。そして全員の発表が終わったら、主役の子がお礼のスピーチをして、最後に私がコメントをして終了。
時間にして十五分くらいですが、教室の中に一日三十個くらいの具体的な小さな行為と、『なぜそれがいいのか』という価値ある言葉が溢れるわけですよ。
これが一巡すると三十×三十で九百個。年間で五巡くらいするから四千五百個。ボクシングのボディブローじゃないですが、これがじわりじわりと効いてくるんです。お互いに小さな自信をつけ合い、それがひいては安心感のある学級集団になっていくと思って、私は続けてきました。
やはり人間というのは、言葉で思考するわけですから、言葉が育てば、自然と人が育つのではないでしょうか」
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まだまだ対談は続くのですが、教育の現場での熱い思いがほとばしっていました。
熱い思いを読むとこちらも元気になりますね。やはり人を感動させるのは真剣な人の営みなんだと思います。
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