今年も東日本大震災の発生した3月11日がやってきました。
もうあれから14年が経って、記憶も断片的になってきましたが、当時釧路市の副市長として書き留めていたブログを読み返すと生々しいその瞬間がよみがえります。
発災の瞬間は、市長ともう一人の副市長と三人が市長室で打ち合わせをしている最中のことでした。
すぐにテレビをつけると、太平洋沿いの海岸線が赤く点滅していて、釧路の沿岸も高さ6メートル以上の大津波警報が出ていました。
結果として釧路市への津波は高さ2メートルで、幣舞橋上流で高潮対策で堤防が整備されていた旧釧路川沿いのエリアは堤防の高さがまさに2メートルだったのでぎりぎりで助かりました。
しかし幣舞橋から下流は堤防が整備されておらず川沿いの観光施設MOOでは津波で上がった水が地下の電気室に入り込んで約5千万円の被害が発生しました。
また釧路川沿いの建物や住居はやはり浸水被害を受けたのですが、市内には人的被害がなくこの震災と津波で亡くなられた方がいなかったのは幸いでした。
当時は公の災害情報は釧路市役所のホームページから発せられていましたが、テレビやラジオのニュースはもう岩手県や宮城県の災害情報ばかりで、ローカルな地域がどうなっているかはまったく情報が伝わらなかったことをつよく覚えています。
私もブログで市役所の災害情報を発信していましたが、私のブログにドイツ在住の方からメールが届き、「両親が釧路市の昭和地区にいるのだが大丈夫だろうか」という質問が来ました。
「そのエリアだったら浸水していません」という回答をしましたが、情報の伝達の難しさや、また今であればフェイクニュースなどへの対応などもあって、情報の発信元の信頼度がこれからもなお一層問題になることでしょう。
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釧路では釧路湿原の奥まで標高の低い土地が続き、ひとたび大津波が襲えば市街地の奥深くまで津波が侵入する地形です。
そのため津波避難は水平移動ではなく垂直避難が原則、とにかく高い建物の上に上がって高さを稼ぐ避難をしなくてはなりません。
しかしあれから14年が経ちましたが、釧路ではいまだに垂直避難ができるような建物が近くにないエリアが広がっています。
市の財政体力と防災力強化の折り合いをつけるのもなかなか難しい現状ではありますが、なお一層の取り組み強化が求められます。
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何度も書きますが、釧路では過去9千年に20回以上の津波に襲われていることが分かっていて、約500年に一度の周期で大津波に襲われます。
冬に結氷する春採湖で氷上から湖底の堆積物を調べたところ海水に由来する堆積物が一定間隔で見られて、これが津波によって春採湖に侵入した海水に由来するものとわかりました。
いま千島周辺の地震・津波については「北海道・三陸沖後発地震注意情報」という形で情報提供がなされていますが、どうにも覚えにくくて認知度が上がりません。
https://www.bousai.go.jp/kyoiku/pdf/221017_poster.pdf
災害対策は日頃の備えが肝心です。
いざというときのために、心に「3.11」を刻んでおきましょう。
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