新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今日は
■元日に思う です
【元日に思う】
札幌のお正月は雪も風もなく穏やかに明けました。今年一年も穏やかに過ごせますように。
わが家では転勤生活の名残から、新年は私の親の実家で過ごす事になっている。年末はその親の家でごちそうに囲まれてK1、プライド、紅白…とチャンネルを変えながら過ごした。
いつもながら食べきれないほどのごちそうに囲まれて、普段の日ならば「もったいない」と思うのだろうけれど、改めて食べられる事の幸せを実感した。
考えてみれば、ほんの半世紀ほど前までは「飢える」ということが現実感を伴った恐怖だったわけで、そこから逃れることが信仰の中でも重要な部分を占めていたはずだ。
最近はお供え餅さえもそういう形の容器になってしまって、中にはパックの切り餅を入れて売られるというようになってしまった。日常の生活が農業を中心にしていたころの正月飾りやこの時期の風習に込められた意味を調べてみたりすると感心する事も多いけれど、もはや現代生活からはかけ離れたものになっているのもまた現実だ。
今の子供達には「昔の人は飢えて死んだんだよ」という説教は全然実感を伴っていないし、彼らが飢える事に想像もつかなくて恐怖も感じないという事は決して子供達世代の責任ではない。
それは一つには我々のご先祖さん達が一貫して「飢えないように今より良い社会を作りたい」として荒れ地を切り開いては、豊かな農業を興してきた結果である。そしてまた同時に勤勉という国民性を発揮して、世界の中にあってもいち早く社会が求めている良い工業製品を生み出して世に送り出し、大きな貢献をしてきた結果としての豊かさゆえのことだ。
我々は子供達には少しでも豊かな生活をさせたいという素朴な願いを積み重ねてここまできて、やっとのことで飢えないであろう生活に達することができた。
しかし実はそのことも、今の国の借金の重さを考えると、子孫のためという思いが結実した本当に良い社会なのか、それとも子孫に借金を残しながら今の我々だけがごちそうを食べているようなものでもある。
ご先祖さん達が本当に子孫に残したかった社会がこんな社会だったのかどうかを我々も改めて考えてみなくてはなるまい。
豊かな事を嫌ったり否定する事はないけれど、日本人に似合うのは実は「豊かさという『驕り』」ではなくて「豊かさの中にある『つましさ』」なのではないだろうか。
「スローライフ」や「LOHAS」や「もったいない」といった言葉を単なる商売のための流行言葉にするのではなくて、そこから日本人の生き方の美学に通じる「つましさ」を感じたい。
そうして、日本人全体がもうそろそろ自分の子孫のことだけではなく、社会全体の子孫のことを考えてもう一がんばりしなくてはならない時期になりつつあるのではないだろうか。
元日恒例の初詣で引いたおみくじは「小吉」。このくらいのつましさが良いのかも知れないね。
皆さん、今年もよろしくお願いします。
今日は
■元日に思う です
【元日に思う】
札幌のお正月は雪も風もなく穏やかに明けました。今年一年も穏やかに過ごせますように。
わが家では転勤生活の名残から、新年は私の親の実家で過ごす事になっている。年末はその親の家でごちそうに囲まれてK1、プライド、紅白…とチャンネルを変えながら過ごした。
いつもながら食べきれないほどのごちそうに囲まれて、普段の日ならば「もったいない」と思うのだろうけれど、改めて食べられる事の幸せを実感した。
考えてみれば、ほんの半世紀ほど前までは「飢える」ということが現実感を伴った恐怖だったわけで、そこから逃れることが信仰の中でも重要な部分を占めていたはずだ。
最近はお供え餅さえもそういう形の容器になってしまって、中にはパックの切り餅を入れて売られるというようになってしまった。日常の生活が農業を中心にしていたころの正月飾りやこの時期の風習に込められた意味を調べてみたりすると感心する事も多いけれど、もはや現代生活からはかけ離れたものになっているのもまた現実だ。
今の子供達には「昔の人は飢えて死んだんだよ」という説教は全然実感を伴っていないし、彼らが飢える事に想像もつかなくて恐怖も感じないという事は決して子供達世代の責任ではない。
それは一つには我々のご先祖さん達が一貫して「飢えないように今より良い社会を作りたい」として荒れ地を切り開いては、豊かな農業を興してきた結果である。そしてまた同時に勤勉という国民性を発揮して、世界の中にあってもいち早く社会が求めている良い工業製品を生み出して世に送り出し、大きな貢献をしてきた結果としての豊かさゆえのことだ。
我々は子供達には少しでも豊かな生活をさせたいという素朴な願いを積み重ねてここまできて、やっとのことで飢えないであろう生活に達することができた。
しかし実はそのことも、今の国の借金の重さを考えると、子孫のためという思いが結実した本当に良い社会なのか、それとも子孫に借金を残しながら今の我々だけがごちそうを食べているようなものでもある。
ご先祖さん達が本当に子孫に残したかった社会がこんな社会だったのかどうかを我々も改めて考えてみなくてはなるまい。
豊かな事を嫌ったり否定する事はないけれど、日本人に似合うのは実は「豊かさという『驕り』」ではなくて「豊かさの中にある『つましさ』」なのではないだろうか。
「スローライフ」や「LOHAS」や「もったいない」といった言葉を単なる商売のための流行言葉にするのではなくて、そこから日本人の生き方の美学に通じる「つましさ」を感じたい。
そうして、日本人全体がもうそろそろ自分の子孫のことだけではなく、社会全体の子孫のことを考えてもう一がんばりしなくてはならない時期になりつつあるのではないだろうか。
元日恒例の初詣で引いたおみくじは「小吉」。このくらいのつましさが良いのかも知れないね。
皆さん、今年もよろしくお願いします。
ブログの背景のあまりの華やかさに、パソコンの前でのけぞってしまいましたよ。変化やイメチェン、意外性は大事ですねえ~。
さて、本年も「なだれ込み研究所」では掛川の「熱さ」と「粋狂」と「なんちゃって」を発信します。観察したことを思考するとき、この「北の心の開拓記」は知識の宝庫。
(たしかこの話題、一週間前の「北の心の開拓記」で言っていたぞ。管理人さんは、どんな意見を持っていたんだっけなあ)
というように、知識の面、思考の面でのシンクタンクなのです。
二つのブログが、北海道と掛川をつなぐホットラインになればいいなあと思います。
では、本年もどうぞよろしくお願いします!
「掛川奮闘記」をお手本に始めたブログ「ガンバレ!マチ!」もなんとか継続しています。
今年も様々な場面でお世話になると思いますので、引き続きよろしくお願いします。
初詣は昨年11月に小松さんを案内した上川神社です。
小松さんの分もお願いしようと鳥居を潜って驚く、社殿まで3列の人の波で埋まっていた。
これほど込んだ年を私は知らないし、元旦の神楽太鼓(参道での)が中止になったのも始めてであった。
何でこれほどの参拝者が集まったのか、天気のせいだろうとは思うがそれだけではつまらない気がする。
旭川だけか、全道的かは知らないが本当の「まつり」が無い土地の「まちづくり」は難しい。などと昨年話あった(小松さんと)ことを思い出し、何とかこの人波を神道に誘うことが出来まいか考えながら帰って来た。
神社そのものがもう少し布教に精を出し、氏子を増やさないと駄目でないか?小松さんのような人を神主に据えるか、氏子総代に頼むほかないかも知れない。
神を信じて汗を流し、まつりを盛大に行い御利益を待つ暮らしに戻そうよ。
今年も元気で「まちづくり」に関与してゆきますのでよろしくお願いします。
あっ、挨拶を忘れる所だった。
開けましておめでとうございます。
旧年中は大変大変大変お世話になりました。
今年も宜しくお願い致します。
>「昔の人は飢えて死んだんだよ」
これは今でも私の農耕民族のDNAに残っていて、
今も家族分の米は自分で作るようにしています。
>今の国の借金の重さ
収支バランスを考えた政治をしないと、
遠くない将来とんでもない事態になりますね。
子々孫々に負担を負わせる分けにはいきません。
「身の丈」政治をしようじゃありませんか。
>onimasaさん
こちらも「なだれ込み研究所」を楽しみにしています。ブログのトラバで読者を「熱さ」と「なんちゃって」と「酔狂」に引き込みましょう。熱さだけではない、ゆるみも大事ですね。
>NAGAさん
こちらも「ガンバレ!マチ!」に触発されています。お互いにトラックバックを貼りながら情報交換をよろしくお願いします。
>saitou さん
昨年はお世話になりました。上川神社が随分混んでいたとの事でご同慶の至りです。
神道は日本人の思想的背骨だと思っていますが、その世界に入ってしまうと自分の利益を誘導する形になってしまいます。
ですから私は常にその世界の外側にいて、外から応援するという立場を貫きたいと思います。
掛川では神社の拝殿をお借りして、古事記を語るというイベントもやっていました。「神様を信じなさい」というお説教よりも、イザナギ、イザナミの国生みの物語やヤマトタケルの英雄物語を語る方が、心に響くものがあるように思います。
今年もよろしくお願いします。
>nomanda さん
昨年もいろいろとありがとうございました。nomandaさんのバランス感覚も絶妙です。今年もときどきぴりっとスパイスの効いたコメントをお願いします。
トンネルの向こうは雪かな~