今日は掛川のお話。
当時の掛川市長榛村純一さんに出会って、掛川で三年間助役をやらせてもらったことは今生の人生の中でも指折りのエポックメイキングな出来事でしたが、今となってはそれも偶然というよりは必然的な出会いのように感じています。
国家公務員の立場でいると、「割愛(かつあい)」と言って地方自治体から期限を区切って人材を借りる人事があります。
当時の榛村さんはこの制度を上手に利用して、有為な人材を市役所行政の中に取り込んで、能力を発揮させたのですが、それにはもう一つの意味があったと思います。
それは割愛期間を終えて公務員が古巣に帰れば、そこから先は訪ねて行っても「これはこれは、ようこそ」と恩人扱いされる人間関係が形成できることです。
古巣に帰った人たちがやがて偉くなってゆけば、その後輩たちには、「先輩がお世話になった方」として尊敬が得られ、さらに人脈が広がってゆく。
余計な接待などしなくても、戦略的にそうやって信頼と人の和は広がってゆくところが榛村さんは上手でした。
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人事の話があった時にも不思議なことがありました。
国家公務員を割愛で借りるというときには、借りる側は具体的な個人は指名できないのがルール。
一方、貸す側の国でも「地方自治体だけど転勤できるか?指名されたら行っても良いと思うか?」という問いかけはあるものの、具体的な自治体の名前は口にしません。それがルールです。
僕が当時の人事担当者から行く先として与えられたヒントは「ん~、関東近傍の小都市だよ」という言葉でした。
しかしそれを聞いた私は思わず「掛川ですかね?」と口にしていました。何の前触れもヒントもなくです。
人事担当者は逆に焦ってしまって、「え?えっ?俺、その名前は口にしていないよね?なんでわかった?」と思わずゲロっていました。
一方で、掛川の名前を口にしたものの、掛川に知り合いは一人もいないし、東京にいたときに一度だけお城を見にドライブに行っただけの関わりしかありませんでした。
それなのに掛川という名前が口をついて出てきたということは、掛川なり榛村さんとは前世のどこかでなにかしら縁があったに違いない、と今では思っています。
榛村さんにお会いして生涯学習の真髄に触れるにしたがって、どんどん感化されていった私。
今では掛川での3年間の生涯学習の教えが日々の精神的支柱になっています。
日本の教育者森信三先生の『人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に』という言葉をかみしめています。
今日は榛村さんの命日です。 合掌。
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